吉野先輩は人気者?(9)
雨降りの月曜日。
朝の早瀬の様子を奈々に話して大笑い。
その一方で、奈々はゴールデンウィークの予定の返事が来ないと心配してる。
「どうしても会いたかったら、早瀬を脅せばいいよ。」
と、あたしが言うと、奈々が笑った。
「それもそうだね!」
敵に弱味を握らせちゃいけないよね。
「あ、おい、藤野。」
昼休みの終わりごろ、廊下でニコニコ顔の近藤くんに呼びとめられた。
「聞いてくれよ〜。今、吉野先輩に会っちゃった♪」
すごく嬉しそう。
誰かに話したくて仕方ないのね。
「そうなんだ? よかったね。どこで?」
「図書室。俺、図書委員だから、当番で図書室に行ったらさあ、吉野先輩が来たんだよ。」
「へえ。」
図書室って、あたしはあんまり行こうとは思わないけど。
「俺が本を棚に戻す作業をやってるところに、ちょうど吉野先輩が来てさあ、あいさつしたら、『野球部の人?』って! 覚えててくれたんだよ。」
うーん・・・。
その髪型だからわかったんじゃないかな。
「『1年の近藤です。』って言ったら、『3年の吉野です。』って自己紹介してくれて! もう感激!」
なんか、間が抜けたやりとりのような気がするけど。
「よかったね。」
「うん! でさ、もう一言って思ったところに藤野先輩が来てさあ。」
ん?
お兄ちゃん?
「吉野先輩を探しに来たみたいだったぜ。待ち合わせた雰囲気じゃなかったし。俺が本棚の陰にいたから、最初は俺に気付かなくて、吉野先輩のところまできて『やっぱりね』って。それが、見たことないくらい優しい顔しててさあ。」
「そりゃあ、部活中とは違うでしょうね。」
彼女に向けるような目を、後輩には向けないでしょ、普通?
「そしたらさあ、吉野先輩は俺の前で藤野先輩と話すのが恥ずかしかったみたいで、『あの』って言って、俺の方をチラって見て、真っ赤になっちゃって。」
「それを、横でぼんやり見てたの?! 信じられない!」
「いや、だって、藤野先輩にあいさつしなくちゃいけないし! 吉野先輩があんなに恥ずかしがるとは思わなかったから!」
・・・まあ、しょうがないか。
「で?」
ほら、先を話しなさい。
「え? ああ、俺があいさつしたら、藤野先輩、『あれ? 近藤か。』って笑って、これが、落ち着いててかっこいいんだよな! 吉野先輩に『向こうで待ってようか?』って言ってさ。吉野先輩のこと、全部わかってるって感じで。」
そうか。
お兄ちゃん、すごいなあ。
「そしたら吉野先輩が、自分ももう戻るって藤野先輩に言って、俺に『がんばってね。』って声かけてくれたんだよ! 藤野先輩も『放課後にな。』って。」
「へえ。」
目がキラキラしてる。
そんなに感動するほど嬉しかったのね・・・。
「なんていうか、吉野先輩ってかわいいだけじゃなくて、俺みたいに全然つながりがない後輩にも気を遣ってくれるのがいいよな! それに、藤野先輩とお似合いだったぜ〜。俺もあんなカップルになりたいよ・・・。」
ふうん。
こんな話って、なかなか聞けないよね。
なんだか、あたしも嬉しいな。
それにしても、近藤くん、本当に吉野先輩に憧れてるんだね。
天文部は今日もにぎやか。
あたしが入部したばかりのころとは、まるっきり別の団体みたいな雰囲気。
笹本先輩の周りにはミュウたち2、3人が必ず群れていて、長谷川先輩の周りには1年男子が入れ替わり立ち替わり現れる。
人気のない先輩は気の毒よね・・・なんて心配はいらなくて、男には男同士の楽しみがあるらしく、1年から3年まで、あれこれの話題で楽しそう。もちろん、その中に笹本先輩だって入ってる。
「ほら、あーちゃんも笹本先輩のところに行かなくちゃ!」
ミュウたちに対抗しろと、奈々があたしを急かす。
「奈々。あたしは笹本先輩のことを好きなわけじゃないよ!」
「何言ってんの? 吉野先輩に笹本先輩を近付けないためには、笹本先輩が吉野先輩以外を好きにならなくちゃだめなんだよ!」
「その理屈、ちょっと極端じゃない?」
「そんなことないよ!」
奈々が胸の前で手を組み合わせてうっとりした表情で続ける。
「失恋の胸の痛みを慰めてくれる人が現れるまで、笹本先輩は吉野先輩を思い続けるしかないの。」
「考え過ぎだよ。」
「そして! その第一候補は、あーちゃん、あなたです!」
ビシッ、と指差さないでよ・・・。
もう、意味分かんない。
「楽しそうだね。なんの相談?」
笹本先輩!
聞こえてないよね?!
ミュウたちは?
ほかの先輩方とお話し中か。
「も、もうすぐゴールデンウィークだって・・・。」
奈々が意味ありげな視線を送って来る。
やめて〜!
「そういえば、そうだね。」
そう言いながら、笹本先輩がテーブルの向かい側に座る。
今日のメガネのフレームは明るい琥珀色。楽しげな雰囲気。
「俺、ゴールデンウィークが近付くと、必ず思い出すイヤな思い出があるんだよ。」
テーブルに頬杖をついて、親しげにニコニコしている先輩。
リラックスした先輩の様子に、なんとなくほっとする。
先輩の気分が伝染したのか、なんだかあたしも楽しい・・・。
「ほら、西中って、ゴールデンウィークの合間に球技大会があっただろう? 3年のときにソフトボールに出て、足首を挫いちゃってさ。」
あらら。
「けっこう腫れたから救護係のところに行ったんだよ。そしたら、保健の先生がほかの生徒を診ててね、1年生の保健委員が出てきて、『どれどれ?』って言いながら、いきなり足を持って、こう、グリグリって。」
先輩がそのときの様子を自分の手で再現する。
痛そう!
「もう、ものすごい痛みでさあ。思わず『ぎゃあ!』って悲鳴をあげたら、向こうから保健の先生が飛んで来たよ。そばでもう一人の保健委員が大笑いしてるし、足を動かした本人は、俺のこと “弱虫だなあ” って顔して見てるし、本当に情けなかったよ。ははははは!」
お気の毒な思い出・・・。
「先輩、それ、あーちゃんだと思いますよ。」
え?
「その、横で大笑いしてたのはあたしです。」
奈々?
「・・・あたし、何の記憶もないけど?」
「え? その保健委員って男の子だったよ?」
う!
そう言われるってことは、あたしかも・・・。
「あーちゃんとあたしは1年のときに保健委員を一緒にやってたんです。先輩が足を挫いたのって、球技大会が始まって、わりとすぐじゃなかったですか?」
「ああ。確かにそうだったよ。あんまり早いうちにやっちゃったから、そのあと暇で。」
「あーちゃんは入学したころ、体操着を着てると、よく男子と間違えられてたんです。髪が短かったし、日焼けしてひょろっとしてたから。それにあたし、あーちゃんと救護係をやったこと、よく覚えてます。保健の先生が手が離せないのを見て、あーちゃんが張り切ってたことも。それが笹本先輩だったってことは、今初めて知りましたけど。」
うそ〜!!
「奈々、作り話じゃないんでしょうね?!」
あたしと笹本先輩を結び付けようとして!
「え? 本当だよ。あたしがあーちゃんと仲良くなったきっかけが、保健委員だったじゃない。」
「あ、ああ、たしかに。」
「あのとき、空手教室で先生たちが怪我の手当てをするのを見てるから大丈夫って言って、先輩の足を持って・・・。」
ああ・・・、あたしならやりそう。
「笹本先輩、すみませんでした!」
毎年思い出しちゃうほど痛い思いをさせたなんて・・・。
「あはははは! あれが茜ちゃん? 男の子だって、ずっと信じてたよ! ははは!」
うわ〜ん!
涙流すほど笑うなんて!
笹本先輩の記憶に残ってるあたしって、全然いいところがないよ・・・。
「笹本。来月のプラネタリウム、13日で決まり?」
「え? ああ、うん、決まりでいいよ。」
長谷川先輩の問いに、涙を拭きながら笹本先輩が答えた。
「プラネタリウム?」
「あれ? 言ってなかった? 毎年、みんなで行くんだよ。」
長谷川先輩がよく通る声でみんなに日程を伝えてる。
「せんぱーい。」
2年の先輩が手を挙げる。
「なに?」
「今年の文化祭には、天体望遠鏡を作ってみたいんですけど。」
「ああ。それもいいね。」
と笹本先輩。
「はい。人数が増えたから、手分けして買い物も、作業もできると思います。」
「うん。文化祭は2年生が中心だから、きみ達がやれそうだと思ったらいいよ。」
「はい。プラネタリウムのあとに、その買い物もしたいんです。」
「そう。じゃあ、連休中に必要なもののリストを作って、値段も調べておけるといいね。連休明けには分担を決められるように。」
「はい。」
2年の先輩たちのまわりに男子部員が集まって、わいわいと相談を始めてる。
天体望遠鏡を自分たちで作れるなんて知らなかった。
「3年生は合宿までで引退なんだ。その前に部長も交代するしね。俺たちは、もうのんびりするだけ。」
そう言う笹本先輩はすでにのんびりモード?
向かいの席で頬杖をついて、ぼんやりと空を見つめてる。
いったい何を考えてるの?
今日は来ていない吉野先輩のこと・・・?
夜。
吉野先輩のことを何度も考えてしまう。
吉野先輩っていうか、吉野先輩を囲む人たちのことを。
お兄ちゃんは彼氏。
近藤くんが、お似合いだって言ってた。
“吉野先輩のことを全部わかってるみたい” って。
岡田先輩は・・・騎士?
彼女がいるけど、必要なときには吉野先輩のことを守ってる。
吉野先輩が安心できるお友達。
早瀬。
吉野先輩のことが好き。
強引にウワサを流したりするなんて、乱暴な方法だと思うけど。
近藤くんにとっては、憧れの人。
うちの部の1年男子約半分にとっても。
よその学校にも、そういう人がいるって。
そういえば、この前、コンビニで会った東先輩たちも、かな。
笹本先輩は・・・?
吉野先輩のことをいつも気遣っている。
どんな気持ちで?
初めは見た目とかウワサで興味を持った人が、本人に会ってがっかりすることはなかった。
吉野先輩と話すと、みんな先輩のことをもっと好きになってしまうみたい。
彼氏がいても、そういうこととは関係なく、吉野先輩を困らせない範囲で。・・・早瀬以外は。
吉野先輩の魅力ってなんだろう・・・?
ああ。
お兄ちゃんが言ってたっけ。
みんな “応援したくなる” って。
あたしにも、そう思ってくれる人が現れるのかな・・・?
茜ちゃん編はいったん終了です。
次は藤野くん編です。