吉野先輩は人気者?(1)
茜ちゃんのおはなしです。
一日前に戻ります。
「ねえねえ、早瀬くんって、うちの学校に許婚がいるんだってね!」
金曜日の体育のあとの休み時間。
更衣室で2組の荒木さんにささやかれた。
昨日、同じ中学出身の由香里からこの話を聞いたあと2人目だ。
「その話って」
ウソらしいよ・・・と続けようとして気付く。
こういうウワサをその度に否定してもキリがない。
たぶん、「でも、本人が言った。」ってことの方が信憑性が高いし。
「ねえ、その相手って誰?」
「3年生の先輩だって。」
「ふうん。名前は聞いた?」
「教えてくれた人もちゃんと覚えてなくて、吉本とか吉田とかって言ってたよ。」
名前が違ってる。
どこかでちゃんと伝わってるのかもしれないけど、1年生には関係ないからかな。
こんなウワサじゃ、放っておいても平気そう。
「もしかして、興味あるの?」
意味ありげに尋ねられて、「違うよ。」と笑って否定。
「昨日もその話を聞いたんだけど、うちのお兄ちゃんの彼女と名前が似てたから。」
「ああ! 野球部のお兄さんでしょ? この前の部活紹介のあと、うちのクラスでかっこいいって話題になってたよ。」
うそ?!
あのお兄ちゃんが?
信じられない。
そういえば、利根ちゃんも言ってたな。
「お兄さんの彼女って何ていう名前なの?」
さすがに話題になるだけあって、興味をもたれるってわけか。
「吉野先輩。吉野陽菜子さんっていうの。あたしは天文部で一緒なんだけど、すごくかわいい人なんだよ。」
なんか、自慢してる?
変かな?
「やだ! 一文字同じだけじゃん! あーちゃん、心配症すぎない? それともブラコン?」
荒木さんがくすくす笑う。
「お兄ちゃんより吉野先輩が心配なんだよ。ウワサで誤解されちゃったらかわいそうだなと思って。」
一方的なウワサなんだから “誤解” でいいよね?
「ふうん。あーちゃん、その先輩のこと好きなんだ?」
「そうなの。一見目立たないんだけど、見てるとすごく可愛くて、でもちゃんと先輩らしい親切なところもあって、いい人なんだよねー。」
「へえ。」
「お兄ちゃんの話を出すと恥ずかしがっちゃって、ホントにかわいいんだよ!」
先輩の様子を思い出すと、思わず笑顔になっちゃうよ。
「話を聞いてたら、一度見てみたくなってきた。」
「天文部に来れば見られるよ。」
荒木さんは感心しながら2組の女子たちと戻って行った。
「あーちゃんって、ホントに吉野先輩が好きなんだね。」
後ろで着替えていた奈々が言う。
「そうだよ。変?」
「そんなことないけど。あたしも吉野先輩はかわいいと思うし。それより、あのウワサ、広まってるみたいだね。」
廊下に出て、速足で教室に向かいながら話す。
「うん。だけど、名前が伝わってないみたいだから、放っておいても平気かもって思い始めたところ。」
「たしかにね! 早瀬くん、残念だったね!」
奈々と一緒にあたしも笑う。
そうだ。
あんなウワサ、気にする必要ないや!
放課後、天文部に行って驚いた。
女子がいっぱいいる!
振り向いた彼女たちを見たら、2組の女子が3人と初対面の子が2人。
どうして急に?
「あーちゃん!」
2組の三浦さんににこにこと手を振られて我に返る。
「入部希望?」
近付きながら尋ねると、彼女は「今日は見学。」と言ったあと、小声で付け加えた。
「吉野先輩を見に来たの。」
吉野先輩?
わざわざ見に来たの?
そりゃあ、荒木さんに「天文部に来れば見られる」って言ったけど。
「今日は休みだと思うよ。」
あたしも小声で答える。
まさか、本当に来るとは思わなかったから、あのときは言わなかったんだよ・・・。
「うん、聞いた。でも、いいよ。部長さんがちょっとかっこいいから。」
それを聞いて奈々が鼻息を荒くする。
あらら。
それにしても、吉野先輩を見に来た理由って、お兄ちゃんの彼女だからってことなのかな?
そんなにお兄ちゃん関係の情報が欲しいの?
それを訊くと、三浦さんは笑った。
「まあ、あーちゃんのお兄さんにも少しは興味あるけど、吉野先輩本人に会いたかったの。荒ちゃんの話を聞いたら、なんとなく “萌え” な感じがしたから。」
“萌え” って、あの・・・?
「だって、彼氏の話を出されて恥ずかしがるなんて、まさにそんな感じじゃない? 会いたいよー! ねえ?」
三浦さんの言葉に、残りの4人が力強くうなずく。
ああ、そういう趣味の人たちですか?
この子たちに囲まれても、吉野先輩、大丈夫だろうか?
「じゃあ、今日初めての子たちはこっちに来て。」
長谷川先輩がきびきびと声をかけてくる。
いつものとおり凛々しい。
三浦さんたち5人が、長谷川先輩を見てまた色めき立つ。
うちの部って、独特の好みを持つ人たちに人気のある先輩がそろってるのかな?
「あれ? また新しい見学?」
2年の先輩の声に振り向くと、戸口から男子生徒3人がおずおずとのぞいていた。
1人は2組の・・・榎本くんだ。美術の授業で一緒だ。
あとの2人は見たことないな。
3人は控え目な声で「こんにちは。」と言いながら入って来た。
室内を見まわす目が、なんとなく落ち着かない。
「あれ? 津田と清水じゃん。」
声をかけたのは、あたしたちと一緒に入部していた6組の矢野くん。
1年の男子部員は、今のところ4人。
笹本先輩が進み出て、「見学?」と尋ねる。
「はい・・・。」
なんだか元気のない男子だね。
まるで笹本先輩に叱られてるみたいに見える。
それに、さっきからずっと何かを探してるみたい。
「どうしようかな・・・。」
笹本先輩はちょっと考えてから2年の川村先輩を呼んで、笹本先輩があたしたちの手伝いが終わるまでと言って、榎本くんたちのことを頼んだ。
それから、あたしたちに向かって微笑む。
「じゃあ、いつもの観測と記録、やっちゃおうか。」
「はい!」
奈々の元気いっぱいの声。
榎本くんたちとは雲泥の差だね。
作業がひと段落して1年生の部員同士で話していると、榎本くんたち3人がやって来た。
「吉野先輩って、あんまり出られないんだってな。」
榎本くんががっかりしたように言いながら、奈々の隣に座る。
「吉野先輩?」
奈々が不思議そうに尋ねる。
「俺たちさぁ、吉野先輩を見に来たんだよ。」
「なんで急に?」
と奈々。
三浦さんたちも同じ目的だったけど、榎本くんたちまでどうして・・・?
「早瀬が美人でやさしい先輩だって言うから、どれほどかと思って。」
「早瀬くんが?」
「お前たち、聞いてない? 早瀬の婚約者のうわさ。」
ああ、あれか。
男子にもちゃんと流れてるんだ。
「今日の体育のとき、早瀬に訊いたら名前もちゃんと教えてくれたからさぁ、あいつが “美人” って言うんなら、ものすごい美人なんじゃないかと思って。しかもやさしいって言うからさぁ。」
早瀬のやつ、吉野先輩のことを自慢したんだ!
かわいいところあるじゃん。
だけど、その結果はこんなことになってるよ・・・。
「吉野先輩は、美人っていうよりかわいい感じの人だよ。」
矢野くんが訂正する。
「やさしいっていうのは本当だけど。癒し系っていうか。」
その言葉にあたしたちもうなずく。
「癒し系かあ・・・。いいなあ・・・。」
ほわーんとした表情を浮かべる3人組。
いったいどんな先輩を想像してるんだろう?
長谷川先輩があたしたち部員に新しい仕事を教えると呼びに来て、見学者はほかの3年生が連れて行った。
「三浦さんたち、どんな感じでした?」
こっそりと長谷川先輩に訊いてみる。
あたしが言ったことで彼女たちが来てしまって、たぶん天文部の活動にはまったく興味がなさそうなところに責任を感じてしまう。
「三浦さんたち? いやー、テンション高くてやりづらいね。一年生って元気だよねー。」
長谷川先輩はそう言って笑った。
三浦さんたちは、吉野先輩に会いに来たって言ったんだろうか?
・・・よく考えたら、あたしたちも同じか。
奈々が笹本先輩に近付くために、ここに来たんだもんね。
ほかの人のこと、あれこれ言えないな。
「吉野先輩は、次はいつ来られそうなんですか?」
「ん? 来週は水曜日って言ってたよ。」
そうか。
それまでに三浦さんや榎本くんたちの熱が冷めて、来なくなってるかも知れないよね。
吉野先輩のためにはその方がいいだろうな。
あんな感じで注目されたら、きっとびっくりしちゃうもんね。