ぴいちゃんの彼氏は俺なんだけど・・・。(4)
4月10日、火曜日。
朝練が終わって教室に向かいながら、手前の7組にさしかかったときに、8組の廊下でおろおろしているぴいちゃんが目に入った。
俺と目が合ってほっとした顔をしたところを見ると、どうやら俺を待っていたらしい・・・けど、そんなこと彼女らしくない。
何か緊急に困ったことが持ちあがったのかも。
一緒に歩いていた根岸を置いて、急いでぴいちゃんのところに。
すると。
「ちょっと来て。早く早く!」
と廊下のすみに手招きされて、
「カバン開けて! 早く!」
と催促される。
よくわからないけど、プレゼントでもくれるのか?
大急ぎでエナメルバッグのファスナーを開けると・・・。
ぼすっ!!
気が付いたら、弁当が入っていた。
しかも、どう見ても、うちのだ。
「俺の弁当?」
まるで重要なミッションをやり遂げたみたいな顔をして、ぴいちゃんがうなずく。
「さっきね、茜ちゃんが届けに来たの。渡してほしいって頼まれたんだけど、どうやって渡したらいいのかわからなくて困っちゃった。」
小声で説明する彼女にごめん、と言いかけて、違ったな、と思い出す。
「ありがとう。」
そう言ったら、彼女の困り果てた様子が目に浮かんできて笑いそうになった。
「どうりでバッグの中が空いてると思ったよ。」
「そうだよ! こんなに大きなお弁当が入ってなかったのに、気付かなかったなんて変だよ。じゃ、あたしは先に行くね。」
そう言って、ぴいちゃんは大急ぎで教室に入って行った。
本当に、まるでスパイが秘密の打ち合わせをしているみたいだ。
でも、彼女は恥ずかしいのを我慢して、俺を待っていてくれた。知らん顔して俺の机に置いておくこともできたのに。
本当にありがとう。
「あ、藤野くん。聞いたよー。」
昼休みに廊下でニヤニヤしながら話しかけて来たのは、去年のクラスメイトの高橋めぐみ。
遠慮なくズバリとものを言うのが彼女の特徴。
それと、周りで起こっていることを面白がって見ていることも。
「何を?」
俺、何か変なことしたっけ?
「ライバル登場でしょ? しかも、年下のイケメン。」
あ、もしかして。
「早瀬響希のことか? 高橋、なんで知ってる?」
「昨日、うちの部に来たよ。かっこいいから、みんなに質問攻めにされてたんだけど、途中で『俺、もう結婚相手が決まってますから。』って言ってさあ。」
「高橋って、吹奏楽部だっけ?」
「うん、そう。ほら、うちの部は女子が多いでしょ? だから早瀬くんみたいな子が来ると大騒ぎなんだよね。でね、『結婚相手ってどこの人?』って誰かが訊いたら、『3年8組の吉野陽菜子です。』って言うから、みんな、またびっくりでね。だって、まさか同じ学校の生徒の名前が出てくるとは思ってなかったからね。」
はあ・・・。
またぴいちゃんが注目されることになったか・・・。
「高橋は早瀬が言ったことを信じてるのか?」
「あたし? あたしは藤野くんとぴい子のことを見て知ってるからね、 “藤野くんも苦労するね” って思っただけ。」
つまり、早瀬が勝手に言ってるだけだと思ったわけか。
じゃあ、あんまり心配する必要はないかな。
でも、それは高橋が俺たちを直接知ってるからか・・・。
「それに、早瀬くんて毎朝、ぴい子に会いに行ってるらしいじゃん。」
「え?」
「あれ? 藤野くん、同じクラスなのに知らなかった? 早瀬くん、登校すると一番にぴい子に会いに行くって言ってたよ。」
あいつ!
まさか、 “朝のあいさつ” とか言って、あれをやってるんじゃないだろうな?!
ぴいちゃん、なんで俺に何も言わないんだ?!
「あ。もしかして、心配になって来た?」
高橋が人の悪い笑い方をしながら俺を見ている。
「い、いや。別に。吉野は『弟みたい』って言ってるし。」
「ふうん、そう。でも、気をつけないとね。じゃあね。」
早瀬め。
そこまで大胆な手段に出るとは思わなかった。
大勢の女子の前でそんなことを言ったら、あっという間に学校中に広まるぞ。
それが狙いなのかもしれないけど・・・。
うわさが広まる前に、ぴいちゃんに言っておいてあげないといけないな。
早瀬のことも、相談してみよう
よく考えると、今、高橋が教えてくれてよかった。
知らないままだったら、きっと俺なんか、 “婚約者がいる女の子に惚れてる気の毒な男” っていう目で見られて落ち込んでたかも・・・。
放課後、今日はバイトで帰るぴいちゃんと話すために、ゆっくりと帰り支度をする。
去年からずっと彼女は、バイトがある日には、下校時間のラッシュを避けて、みんなより少しあとから教室を出る習慣だ。
根岸には先に行ってもらい、教室に生徒が少なくなってきたところでぴいちゃんに声をかける。
ほかの生徒が周りにいなければ、彼女が普通に話せるのは去年から実証済み。
「昼休みに高橋からきいたんだけど。」
「めぐ? 何かあったの?」
「早瀬のこと。」
「響希? どうしてめぐが・・・ああ、吹奏楽部か。」
「知ってるのか?」
「吹奏楽部に入部するっていうのはね。中学からトランペットをやってるから。」
知ってるのは部活のことだけか。
「昨日、吹奏楽部に行って、吉野のことを話したらしいよ。」
「あたしのこと?」
「結婚相手だって。」
「え?! そんなところで宣言したの?! なんてことを!」
ぴいちゃんがあきれた顔をする。
「それに、毎朝、吉野に会いに来てるって。」
「あ・・・。」
ぴいちゃんがそっと上目づかいに俺を見た。
俺に言わないでいたことが後ろめたいんだ。
「べつに俺は怒らないけど、たぶん、うわさになるだろうと思って。」
「・・・そうだね。藤野くんもきっと巻き込まれちゃうね。」
ぴいちゃんがため息をつく。
「ああ、俺のことはいいんだよ。それより朝は・・・。」
「朝ね・・・。毎朝来てるよ。金曜日から。」
ぴいちゃんがカバンを持ちながら言う。
「あれを・・・?」
「あれって・・・、ああ、抱きついてくること? うん、そうなの。どうしてもやめさせられなくて。今日は、茜ちゃんと奈々ちゃんの前でやられたよ。」
そう言って、またため息をついた。
そんなぴいちゃんを見ていたら、俺が心配していた色々なことがすうっと消えて行った。
ぴいちゃんにとって、早瀬は弟そのものだ。
あいつが何をやっても、彼女は姉として叱ったり、困ったり、責任を感じたりするだけ。
そして、彼女が何を言っても、早瀬が納得しない限り、変わりようがない。
「仕方ないな。」
「え? そうかな?」
教室を出て、昇降口へと向かってゆっくりと歩く。
廊下ももう生徒はまばらだ。
「うん。仕方ないよ。無理矢理やめさせようとしても、無理だろうから。早瀬の気が済むまでやらせておくしかないだろう。」
「そうかな・・・。」
ぴいちゃんは知らないだろうけど、この前、弟の真悟くんが言ってたよ。
『本気だ』って。
「ただ、うわさが広まると、いろいろ言われることがあると思うから、それは覚悟しておかないと。」
「うん、そうだね。藤野くんにも迷惑かけちゃうかもしれないけど。」
「気にしなくていいよ。」
「・・・ありがとう。」
あんまりひどいことになりそうだったら、俺から早瀬に言おう。
だから、ぴいちゃんは笑ってて。
「今日の朝は、どんな様子だった? 茜たちは?」
「ああ、今朝?」
ぴいちゃんは朝のできごとを思い出しながら、くすくすと笑い出した。
「教室の入り口で茜ちゃんと奈々ちゃんと話してるところに、響希がいきなり抱きついてきてね。」
「この前みたいににこにこ顔で、『陽菜子〜』って?」
「そうそう! 2人とも目を丸くしてびっくりしてたよ。」
そうだろうな。
茜はいつも睨まれてるって言ってたから、そんな甘ったれた早瀬を見たらさぞ驚いただろう。
「あの子たち、響希と同じクラスなんだってね? で、響希がまたそこで結婚するとか言うから、ゲンコツでなぐって・・・、」
ああ!
この前もやられてたな、あいつ!
ぴいちゃんのゲンコツは、けっこう痛そうだった。
まったく、姉と弟そのものだな。なんだか笑える。
「痛くてうずくまってるところでまーちゃんが来たから、響希は慌てて帰って行った。」
「長谷川も知り合いなのか?」
「そうだよ。あたしとまーちゃんは中学から一緒だもん。響希はまーちゃんは苦手なの、ビシビシ厳しく叱るから。」
ってことは、長谷川がいるときには、早瀬は何もできないってことか。
じゃあ、教室では特に心配いらないか。
「茜ちゃんたちは、ただびっくりした顔をしたまんまでね。そのときは時間がなかったから、明日の部活で説明するからって言っておいた。」
「そうか。」
茜には、ぴいちゃんが信じているとおり説明すればいい。
早瀬の本当の気持ちを知っても、ぴいちゃんはどうしたらいいかわからないだろう。
それに、自分の気持ちを伝えるのは、早瀬が自分でやらなくちゃいけないことだ。
「じゃあ、部活、がんばってね。」
昇降口から中庭に出たところで、ぴいちゃんが優しい表情で言う。
「うん。吉野も気をつけて帰れよ。」
「ありがとう。じゃあね。」
お互いに軽く手を振ってそれぞれの方向へ。
さよならの言葉まで全部、俺たちの会話には心がたくさん詰まっている。