第67話:拳の距離
「……俺がここにいる意味、言わなくてもわかるよな」
胸が締めつけられる。
陸は一歩近づき、低く続けた。
「のぞみ、泣いてたらしいぞ。
俺の彼女から聞いたんだよ。
お前らが小田原で話した後、泣いて電話してきたって」
心臓が跳ねた。
陸は歩み寄り、拳を握った。
その拳が俺の頬の横まで振り上がる。
俺は避けなかった。
避ける資格なんて、ない。
風を切る音。
拳が迫る。
──が、頬に触れる寸前で止まった。
陸の拳は震えていた。
怒りか、失望か、それとも──。
「……殴らねぇよ」
押し殺した声が落ちる。
「性根の腐った今のお前なんて、殴る価値もねえ」
心臓が殴られたみたいに痛んだ。
陸は拳を下ろし、俺の胸を指で軽く押した。
「『また旅か。逃げてるんじゃないだろうな』──
あのライン送った時点で、全部知ってたよ。
のぞみが泣いてた理由も、
お前が逃げた理由も、
全部、俺の彼女から聞いた」
俺は何も言えなかった。
陸は背を向け、歩き出す。
「……逃げんなよ、迂闊。
次のぞみを悲しませたら、今度こそお前を全力でボコす」
その背中は、昔と同じで、
でもどこか大人になっていた。
数歩進んだところで、陸は振り返らずに言った。
「行ってやれよ、迂闊」
喉が詰まる。
「ああ……陸」
陸が立ち去った後、
俺は全力で、のぞみの小さな背中を探した。
次回予告
次回、「大幅遅延、そのあとの始発駅」
【次回 第1部 完結】
「お疲れ様でした、余裕院さん」
その冷たい言葉に、迂闊は自分自身の「逃げ癖」を突きつけられる。
失った信頼、傷つけた心。取り戻すためのタイムリミットは、もうすぐそこまで迫っていた。
夜の横浜で叫んだ、なりふり構わぬ告白。
敬語の壁が壊れたその先に、のぞみが見せた表情とは──。
二人の旅路に刻まれる、忘れられない夜。




