第66話:現実への帰還、深まる断絶
※迂闊視点
「……つ、……院さん、余裕院さん」
低い振動を伴う声に、俺はハッと意識を現実に戻した。
窓の外は、いつの間にか横浜の街明かりに包まれている。
「……もうすぐ、新羽駅です。お荷物の確認、お願いしますね」
目の前には、立ち上がって荷物をまとめるのぞみの背中があった。
声には何の抑揚もなく、ただ事務的に「同行者」としての義務を果たしているだけ。
陸からのLINEが、スマホの画面で虚しく光っている。
『お前、また逃げてんのか』
逃げていた。
あの日、陸に誓った「秘密」を言い訳にして、俺はのぞみの勇気から、一番楽な言葉に逃げ込んだんだ。
「のぞみ、あの……」
俺は立ち上がり、震える声で呼びかける。
しかしのぞみは振り返りもしなかった。
ただ、ドアの方を見つめたまま、静かに言った。
「……お疲れ様でした、余裕院さん。今日はここで解散ですね。ひよりちゃん、るい君。北斗くんはまた明日、学校でね♪」
列車がホームに滑り込み、重いドアが開いた。
のぞみは一度も俺を見ることなく、夜のホームへと吸い込まれていった。
一人、座席に残された俺の目に、ふと信じられないものが映った。
俺が食べた鯛めしの空き箱が、他の乗客の邪魔にならないよう、座席の隅に美しく片付けられていた。
「……っ」
丁寧にかたどられた折り目、綺麗に畳まれた包み紙。
それは、さっきまで俺を「余裕院さん」と呼んで突き放していたはずの、彼女が残したものだった。
あんなに酷いことを言った俺を、彼女はまだ、無意識にでも気にかけてくれている。
微かな喜びが込み上げた瞬間、それ以上の重さで、激しい自己嫌悪が俺を圧し潰した。
(まだ……俺のことを、見ててくれてるのか……?)
こんなにも優しくて、律儀で、真っ直ぐな彼女を。
俺は自分の醜い保身のために、「お前らしくない」なんて言葉で踏みにじったんだ。
彼女の優しさに甘え、胡坐をかいていたのは、他でもない俺だった。
「……クソっ!!」
俺は、自分の顔を両手で覆った。
それから──
新羽駅の改札を抜けた瞬間、
人混みの向こうで、壁にもたれて立つ男の影が見えた。
俺は足を止めた。
陸だった。
陸はゆっくりと顔を上げ、
そして──まっすぐ俺を見た。
次回予告
次回、「拳の距離」
改札前に立つ陸。
振り上げられた拳。
避けない迂闊。
交わるのは拳か、言葉か──。
痛みが、二人を試す。




