第54話:朝の食卓と、まだ揺れる“期待”
(澪視点)
朝食会場には窓の外からうっすらと春の光が差し込む。
湯沢産コシヒカリのおにぎりが並び、炭火焼の干物が香ばしく湯気を立てる。
私は、三角ちまきの笹をそっと剥がしながら、ぼんやりと目を伏せていた。
「澪ちゃん、温泉粥あるよ〜。食べる?」
きららが笑顔で差し出す。
「……うん、ありがと」
私は受け取りながら、昨夜のことを思い出していた。
──迂闊くんの謝罪。
ちゃんと聞いた。ちゃんと受け取った。
でも、私の心の中の“期待”は、まだ整理しきれていない。
……あのとき、ずっと待ってたのは事実。
でも、昨日彼に“見ようとしてなかった”って言われたことの方が、ずっと痛かった。
「澪ちゃん、なんかぼーっとしてない?干物、焦げるよ〜」
きららが小声でつついてくる。
「えっ、あ……ごめん」
「さては昨日の夜、なんかあったでしょ」
さつきがニヤニヤしながら言う。
「……ちょっとだけ」
きららとさつきは、それ以上は聞かず、ただ私の様子を見守っていた。
それから、きららの“嫁割”トークが再燃し、ふたりはまた盛り上がり始める。
「迂闊くん……だっけ?昨日、澪が話してた“ボーイフレンド候補”の件、どうするの?」
「ボーイフレンドって、さつき違うから!
私と彼はまだそんな関係じゃ……!」
「“まだ”、って言ったね?」
「あ、違うの!」
「なるほどなるほど。今はまだだけど、これから彼氏にする気はあるってことね?」
「だからさつき、勝手に話を飛躍しないで!」
「澪の気持ちはおじさん、だいたい察した!」
「さつき、なんで急に自称おじさんなの(笑)」
きららが吹き出す。
「……よし、じゃあおじさん、朝のルーティン始めるぞ」
さつきが急に背筋を伸ばし、コーヒーカップを手に取る。
「え、なにそのスイッチの入り方怖いんだけど……」
と、きらら。
「まずはコーヒーと新聞がないと朝は始まらないんだよな……」
さつきがつぶやく。
「昭和の親父かー!」
きららが思わず叫ぶ。
「新聞なんて置いてないよ」
と、私。
「……じゃあYondleで読むか」
渋々スマホを取り出すさつき。
Yondleアプリの画面の文字サイズは“特大”設定で、ほぼ文字しか見えない。
さらに、一体どこから持ってきたのか、
茶色と黒のベッ甲柄の四角い黒縁メガネを装着。
スマホを顔から30cm離して見つめ、メガネを上げたり下げたりしながら操作を始める。
「利き手でトグル入力……って、ガラケー時代の打ち方じゃん!」
きららは笑う。
「さつきおじさんはフリック使えないからね」
と、私。
「あー!二人とも黙って!あ〜あ。
また『あ行』押しすぎた!」
さつきはそう真顔で漏らしながら、コーヒーをすする。
その様子を見ていた私はぽつりとつぶやいた。
「……さつきのその独特な、声が低くて枯れた話し方のイントネーション、なんかジブリ映画のお父さん役っぽくない?」
「それ、わかるー!」
きららが即座に共感し、味噌汁を吹きそうになる。
「“父さんはな、昔はもっと異性にモテてたんだぞ”って言いそうな感じか?」
さつきが私たちに聞いてくる。
「全然」
私ときららは息ピッタリにユニゾンを決める。
「“父さんはな、過去に浮気された相手には……相手が一生忘れないような鉄拳制裁という名の素敵なプレゼントを渡してきた”って言いそうか?」
「うん!」
私ときららは息ピッタリにユニゾンを決める。
「じゃあ……“父さんはな、恋ってのは男女二人がベッドで行う愛のプロレスなんだよ”とか言いそうか?」
「うんうん!」
「って、それ、全部“さつき”じゃん!(笑)」
それから──笑いがひと段落したあと、きららがふと私の顔を見て言った。
「……澪ちゃん、今ちょっとだけ、顔が“澪”に戻った気がする」
私は、テーブルの端に置かれたクロワッサンを手に取りながら、窓の外を見つめた。
「……期待って、なんなんだろうね」
──食後、部屋に戻った私は、荷物の隅にしまっていた下書きのノートを取り出した。
ページをめくると、そこには冬の日に書いた、たった一言の返事が残っていた。
「行きます」
その下に、小さく描かれた花のスケッチ。
“期待”という言葉が、余白にそっと添えられていた。
私はそのページを見つめながら、静かに目を伏せた。
(……あのときの私は、ちゃんと伝えたつもりだった。
でも、伝わらなかった。だから──今度こそ)
ページを閉じる音が、部屋の静けさに溶けていった。
次回予告
次回はなんと温水プール水着回!
のぞみの謎ムーブに迂闊、困惑!?
澪達女三人組も登場で、湯気の中がざわつく!
次回、「湯気と水着と視線と動揺」
温泉旅行、波乱の後半戦スタート!!




