第52話:格闘技と身バレの危機と、遅すぎた返事の真相
※今回はコメディ強めの温泉回です。ストーリーだけを追いかけたい方向けに、第53話の冒頭に要約を載せています
続いて、澪の友達なのか……他の女子二人の声も聞こえてくる。
──澪たち三人が湯に入ってきた。
俺は湯の底で、シュノーケル越しに様子をうかがっていた。
「夜の温泉って、ほんと最高〜!」
「星、見えるかな〜?」
俺は慌てて再び湯の底へ。
シュノーケル、再潜行。
(……もう、俺、いつ出られるんだよ……)
「さつき、最近また格闘技ハマってるんでしょ?」
一番小柄な女子が湯の中で声をかける。
「うん!昨日もミット蹴ってきたばっか!」
(あの娘がさつきなんだな……)
さつきは湯の中で立ち上がり、軽く構えを取った。
「見てて!この前習ったコンビネーション!」
──その瞬間。
バシャッ!
さつきの右ストレートが、湯の中を切り裂いた。
そして──
(ぐはっ!)
俺のこめかみにクリーンヒット。
(痛い痛い痛い!今の、完全に実戦レベルの威力だったぞ!?)
続いて、左ミドルキック。
(ぐふっ!)
俺の脇腹に炸裂。
(なんで湯の中で実演するんだよ!俺の存在、完全に岩扱いじゃねえか!)
さつきは満足げに湯に沈みながら言った。
「やっぱ湯の抵抗あると、フォーム崩れるな〜」
(俺の顔面も崩れかけてるよ……)
さつきが座ったあと、澪がゆっくりと湯に入ってきた。
「……あったかい」
澪は湯の中で体勢を変え、俺の真上に腰を下ろした。
──その瞬間。
ふわりと、澪の胸が俺の額に触れた。
(……っ!?)
柔らかくて、でもしっかりとした重み。推定──Eカップ。
(……いや、違う!今はそういうことじゃない!)
(……でかい。いや、でかいとかでもなくて、これは……)
俺の額に触れた澪の胸は、柔らかくて、でもしっかりとした重みがあった。
湯の中でふわりと揺れる感触が、シュノーケル越しに伝わってくる。
(……Eカップって、こんなに……いや、違う!今はそういうことじゃない!)
俺は必死に思考を切り替えようとした。
でも、脳内の語彙が「やばい」「柔らかい」「尊い」の三語で埋め尽くされていく。
そのとき──
「……ん?」
小柄女子の声がした。
「なんか今、変な音しなかった?」
(……え?)
「音?どんな?」
「……なんか、下の方から、ぷくぷくって……変な気配しない?」
(やばい!シュノーケルの呼吸音か!?)
俺は慌てて息を止めた。
でも、もう遅かったかもしれない。
「……このへん、なんか変じゃない?」
小柄女子が湯の中をじっと見つめている。
その視線が、徐々に俺の方へと近づいてくる。
「さつき、ちょっとこっち来て。なんかある」
「え、なになに?また心霊現象?」
「違うってば!なんか、気配がするの!」
(気配って、忍者か俺は!)
さつきが湯の中を覗き込みながら、拳を構えた。
「よし、確認してみるか。こういうときは──」
バシャッ!
──さつきの拳が俺のシュノーケルを捉えかけたその瞬間、
澪の声が、湯けむりの向こうからふわりと響いた。
「さつき」
「え?」
「……あのさ、さっきの話の続き、してもいい?」
さつきの拳が止まる。
小柄女子も、はっとして澪の方を向いた。
「うん、もちろん!」
「聞きたい聞きたい!」
──助かった。
俺は湯の底で、心の中でガッツポーズを決めた。
けど、同時に思う。
(……澪、今の……わざと?)
俺の存在に気づいて、助けてくれた──
そんな気がしてならなかった。
でも、確かめる術はない。
俺はただ、湯の底で息を潜めるしかなかった。
「……好きな人、いるよ」
澪の声は、少しだけ照れたように、でもどこか懐かしそうだった。
「小学校のとき、仲良くなった人がいて……。交換ノートしてたの」
「へぇ〜!かわいい!」
「でも、ある日突然、返事が来なくなって……」
(……)
「中学の図書館で、偶然再会したの。びっくりした。あのとき、私……」
澪は、湯に肩まで浸かりながら、ぽつりとつぶやいた。
「“行きます”って、ちゃんと返事書いてたんだよ。ノートに。……でも、彼に読まれなかったみたいで」
──返事、書いてた……?
俺は、湯の底で息が止まりそうになった。
(あのとき、俺が見落としてた……?)
「でも、もう……遅いかなって思ってた」
澪の声が、湯けむりの中で静かに揺れる。
「その人、私の返事、読んでなかったみたいだったから……」
(……)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
湯の温度じゃない。
もっと、深いところが、じんわりと。
(俺……)
俺は、何を見落としてたんだ。
何を、ちゃんと見てなかったんだ。
──湯の底で、俺は目を閉じた。
澪の声が、遠くて、でもすぐそばにあった。
──澪の語りが終わったあと、湯の中にしばしの沈黙が流れた。
「……澪、それ、めっちゃロマンチックじゃん」
さつきがぽつりと言う。
「うん……その人、気づいてくれるといいね」
きららも優しく笑った。
澪は、湯の縁に手を置いて、静かに頷いた。
「……うん。もう、遅いかもしれないけど」
──その言葉が、湯の底の俺の胸に、じんわりと染みた。
(遅くなんか、ない……)
俺は、湯の底でそっと拳を握った。
──そして、澪たちが湯から上がる気配。
バシャッという水音。タオルを巻く音。
足音が遠ざかっていく。
(よし……今度こそ、出られる……!)
俺は、シュノーケルを外し、そっと湯の中から顔を出した。
湯けむりの向こうには、誰もいない。
静かな夜の露天風呂。
星がちらりと見えて、夜風が頬を撫でる。
(……やっと終わった。俺の潜入任務、完遂──)
そのとき。
「ちょっとアンタ!誰よ!」
──声がした。
濃い。
大阪の風が吹いたような、濃厚なイントネーション。
湯けむりの向こうから、三人の女性が現れた。
年齢は……俺の母親よりちょっと上くらい。
でも、テンションは高校生並み。
「アンタ、男やんか!なんでここおんねん!」
俺は慌てて湯に沈みかけながら、必死に言った。
「ち、違うんです!これは、その……掃除係の、研修で……!」
「掃除係がシュノーケルつけるかいな!」
「いや、それは……水質調査の……!」
「水質調査が胸に顔ぶつけるかいな!」
(見られてた!?)
俺は逃げようと湯から出ようとした──が。
「逃げたら、覗きバラすで〜?」
三人のうちの一人が、ニヤリと笑った。
「せやな〜。せっかくやし、ちょっと話し相手になってもらおか〜」
「若い男の子、久しぶりやしな〜」
「うちの孫より可愛いわ〜」
──俺は、湯の縁に座らされ、三人の“おばはんトーク”の相手をすることになった。
「趣味は?彼女は?年収は?貯金は?将来の夢は?」
(なんで面接みたいになってんだよ!)
そして──
「兄ちゃんの胸筋ゴツゴツして触り心地ええな〜」
「え、そこは違っ?なについでに下半身触ろうとしてるんですか……!」
俺は慌てて身を引いた。
でも、三人は笑いながら言った。
「冗談やがな〜!女の子みたいな反応するな〜!」
「ははははは!」
「かわええ〜!ほんまに逃げ腰やな〜!」
……俺は、湯の縁で震えながら叫んだ。
「不幸だーーー!」
次回予告
湯上がりの夜、偶然ふたりきりになった迂闊と澪。
でも、図書館での“返事”は、なかなか切り出せないまま──
次回、『深夜の再会と、言えなかった言葉の行方』──迂闊は、その一言を言えるのか。




