第48話:止まった時間と、言えない言葉
話は、迂闊と澪が温泉ホテルのロビーで再会した場面に戻る。
──缶コーヒーを手にした迂闊は、数秒だけその場に立ち尽くしていた。
彼女がいた。
浴衣姿で、ロビーの隅のソファに座っている。
ノートを閉じたまま、表紙を見つめていた。
彼女が顔を上げる。
澪だった。
目が合った瞬間、迂闊は言葉を探した。
でも、何も出てこなかった。
「……お久しぶりです」
ようやく、それだけが口からこぼれた。
「どうしたの、迂闊くん……改まって?」
澪は、少しだけ笑った。
でも、その笑顔はどこか遠くて──
目元が、ほんの少しだけ揺れていた。
「あ、えっと」
「図書館の時、普通にタメ口だったじゃん?」
「……あ、ごめん。なんか久しぶりすぎて」
「ふふ……らしくないね」
「うるせえって!笑いすぎだろ」
「ふふ……ごめん。なんか、ほんと久しぶり」
そう言うと、澪はノートをそっと膝の上に置いた。
表紙には、淡い紫色の花が一輪。
前に見たものとは違う。
迂闊はその違いに気づいたが、名前まではわからなかった。
──何かが変わった。
でも、それが何なのかは、まだ言葉にならない。
「……旅行、楽しんでる?」
「うん。大学の友達二人と、ずっと騒いでる」
澪の声は、少しだけ乾いていた。
でも、笑いの余韻が残っているようにも聞こえた。
「そっちは?」
「……まあ、にぎやかだよ。クラスメイトが写真撮りまくってたりな」
「ふふ……想像できる」
その笑い声は、ほんの一瞬だけ、昔の澪に戻った気がした。
──でも、すぐに沈黙が訪れる。
迂闊は、缶コーヒーを手の中で転がした。
澪は、ノートの表紙を指先でなぞっていた。
その指が、花の輪郭をなぞるように動いていた。
「……その花、前と違うな」
迂闊が言うと、澪は少しだけ驚いた顔をした。
「うん。……今回は、“期待”っていう花言葉なんだって」
それだけ言うと、澪はノートを閉じた。
まるで、それ以上は見せないように。
「そっか……」
迂闊は、それ以上何も言えなかった。
──ほんの数秒の沈黙。
澪がぽつりとつぶやいた。
「……なんか、空気が……えっと……
“ 辛気臭い”っていうか
“鉛臭い”っていうか、みたいな……」
迂闊は一瞬だけ沈黙したあと、思わず笑った。
「なにをどうやったらそんな感想出てくんだよ!
……その絶望的な語彙力、相変わらず澪っぽいな」
澪は、少しだけ照れくさそうに目をそらした。
──そのとき、遠くからきららの声が聞こえた。
「澪ちゃーん!売店で“嫁割しときますね〜”って言われたー!……って、私いつの間に嫁になったの!?」
「そりゃ言われるだろ。帯、逆にして“嫁です”って名乗ってるようなもんだし」
さつきの笑い声も混じっている。
澪は立ち上がった。
「……行かなきゃ」
「ああ。“また、あとで”」
「……」
澪は一瞬……迂闊を無言で見つめると、
二人のもとへと歩いていった。
その背中を、迂闊はしばらく見つめていた。
──缶コーヒーの温度は、もうぬるくなっていた。
次回予告
再会したのに、なんでこんなに胸がざわつくの!?
次回、「期待の花と、言えないままの理由」
“期待”の花が揺れる夜、バイキング会場で澪の目線は唐揚げより彼の隣の──!?




