第42話:通過列車と静かな歪み
──高崎駅。
五人は上越線のホームに降り、駅弁を買ってベンチに並んで座った。
のぞみは売店の方へ向かっていて、ひよりは黙って釜めしの蓋を開けている。
迂闊は、弁当には手をつけず、ぼんやりと反対側のホームを見ていた。
──その時だった。
通過列車が、風を巻き上げながら滑るように走り抜けていく。
窓の向こう、座席に並ぶ乗客の顔が一瞬ずつ流れていく。
──その中に、いた。
窓際に座る女性。
伏し目がち。長めの髪。
私服。静かな横顔。
──既視感。
──懐かしさ。
──痛み。
迂闊は、息を飲んだ。
胸の奥がざわついた。
何かが、揺れた。
──そして、異変が始まった。
心臓が、ドクン、と跳ねた。
その一拍が、異様に大きく響く。
次の鼓動が来ない。
一瞬、心臓が止まったような錯覚。
そして──ドクドクドク、と暴れ出す。
こめかみがズキズキと痛み出す。
視界の端が、じわりと暗くなる。
耳鳴り。
風の音が遠ざかり、代わりに自分の血流の音が聞こえる。
通過列車が風を残して去る。
だが、風は肌に触れない。
空気が、止まっていた。
駅のアナウンスが、まるで水の中から聞こえるようにくぐもっていた。
周囲の色が、少しだけ褪せて見える。
迂闊は、ベンチの縁を握った。
指先が冷たい。
手のひらに、じんわりと汗が滲む。
「……迂闊くん、大丈夫ですか?」
隣で、迂闊の様子を心配した北斗が静かに声をかけた。
その声だけが、妙に鮮明だった。
迂闊は、少しだけ笑って言った。
「……乗り物酔いかもな。のぞみに、トイレ行ってくるって伝えといてくれるか?」
「わかりました。お気をつけて」
北斗は軽く頷いたが、視線は迂闊の背中を追っていた。
──ホームを歩く。
人の流れ。アナウンス。風。
迂闊は、さっきの女性の顔が頭から離れなかった。
記憶の底に、何かが引っかかっている。
──駅の階段を上がる。
改札の横を通り抜ける。
トイレの案内板が見える。
──その時だった。
通り過ぎる人々の動きが、ほんの少しだけ、遅く見えた……気がした。
スーツ姿の男性がスマホを取り出す動作。
女子高生が髪を結び直す仕草。
駅員が案内板を指差す手の動き。
──ほんの、ほんの僅かに。
迂闊は、足を止める。
風が止んだような気がした。
駅の音が、少しだけ遠くに聞こえる。
心拍がまた、ひとつ跳ねた。
胸が詰まるような感覚。
頭の奥が、じんわりと重くなる。
視界の中心が、少しだけ揺れた。
呼吸が浅くなる。
喉が乾く。
足元が、ほんの少しだけ沈んだような錯覚。
「……気のせい、だよな」
誰に言うでもなく、呟く。
でも、心の奥では、何かが“止まっていた”ような気がしていた。
──トイレのドアを開けると、風が再び吹き抜けた。
次回予告
貸切風呂に駅弁トーク、旅は順調──のはずが、迂闊だけが上の空。
通過列車“謎の女性”が残した声が、胸の奥をじんわり揺らす。
次回、「トンネルの手前、忘れるはずのない声」
記憶の闇が、静かに目を覚ます。




