第37話:風のあとに咲く(中編)
──初夏の土曜日。
空はよく晴れていて、風は少し強かった。
澪は、白い帽子をかぶって、保冷バッグを手に持っていた。
「こっちの公園、誰もいないから」
澪が振り返って言った。
その声は、いつもより少しだけ弾んでいた。
──三年生と五年生合同の遠足の日、迂闊は風邪で欠席した。
澪は遠足の間ずっと、迂闊のことを気にしていた。
「お弁当、たくさん作らなければよかったな」と、帰り道でぽつりと呟いた。
──そして今日。
澪は、本当にふたり分のお弁当を作ってきた。
「ほんとに作ったの?」
「うん。昨日の夜、こっそり。
卵焼きはちょっと焦げたけど……ウインナーは、ちゃんとタコにしたよ」
「タコウインナー! 僕、大好き!」
「知ってるよ。だから、入れたの」
──公園の奥のベンチに座ると、澪はそっとバッグを開けた。
小さなタッパーに詰められたお弁当。
卵焼き、タコウインナー、きゅうりの浅漬け、そして白いごはんにふりかけ。
仕切りには、折り紙で作った小さな花の飾りが添えられていた。
「これ、遠足の代わり。ちゃんと迂闊くんの思い出になるようにって作ったの」
澪はそう言って、少しだけ照れたように笑った。
──迂闊は、何も言わずに箸を取った。
一口食べて、笑った。
「うまい! 卵焼き、ちょっと甘い!」
「あー! それ、私用。砂糖入れすぎたやつ……」
「でも、うまいよ。僕こういう甘いの好き」
──澪は、ほっとしたように笑った。
その笑顔は、いつもよりずっと自然だった。
──食べ終わると、澪はバッグの底からノートを取り出した。
押し花用のノート。
ページの隅には、すでに何枚かの花が挟まれていた。
「今日の花、探そう」
「うん!」
──二人は、公園の隅に咲いていた小さな白い花を見つけた。
名前はわからなかったけれど、澪は「風のあとに咲く花っぽい」と言った。
「風のあとに咲くって、いい言葉だよね」
「うん。澪ちゃんも、風のあとに咲く花だよ」
迂闊がそう言うと、澪は少しだけ泣きそうな顔で笑った。
──そのあと、二人は木陰で並んで座った。
風が葉を揺らし、光がちらちらと差し込んでいた。
「ねえ、迂闊くん」
「ん?」
「もし、遠足に行けてたら、どんなことしたかった?」
「えーと……お弁当食べて、走って、写真撮って……」
「じゃあ、今からそれ全部やらない?」
「え?」
「走って、写真撮って、思い出にする。今日を、ふたりの遠足にしよ」
──澪は立ち上がって、弟から借りてきたキッズスマホを取り出した。
「タイマーで撮るよ。ほら、笑って」
「え、ちょ、まって──」
「はい、チーズ!」
──シャッター音が鳴った。
画面には、風に吹かれながら笑う二人が映っていた。
「これ、ノートに貼るね。押し花と一緒に」
「うん。僕も、絵に描くね」
──その日、澪は何度も笑った。
そして、迂闊は何度も「楽しい」と言った。
──ふたりだけの遠足。
誰にも知られない、でも確かに残る思い出。
──帰り道、澪はぽつりと呟いた。
「ねえ、迂闊くん。
この思い出、枯れないように残るかな?」
「うん。絶対残る。僕が、ちゃんと二人の心のスケッチブックに描くから」
──澪は、少しだけうつむいて、でも笑った。
「じゃあ、私は押し花にする。
風のあとに咲いた花として、ちゃんと残す」
──その言葉は、風に乗って、迂闊の胸に届いた。
次回予告
次回、「風のあとに咲く(後編)」
迂闊回想回(後編)
「また、どこかで咲こうね」──その言葉に、迂闊は風のように走り出す。
押し花のノート、タコウインナー、そして“言えなかった”気持ちが胸を締めつける。
ホームで交わした「またね」は、涙よりも強く、ふたりをつないだ。
夏の終わり、風のあとに咲いたのは、約束という名の花だった。




