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第31話:不幸だー!

翌日。

1限目の数学の授業中。

教室に充満する微積分の重たい空気の中、迂闊は、両脇からの無言の圧力に耐えていた。

のぞみは、肘でそんや迂闊の背中を小突きながら、耳元で楽しそうに囁く。

「さあ、迂闊、時間よ。早く手を挙げて、みんなにロマンスの夢を見せてあげなさい」


北斗は静かに教科書を閉じ、にこやかな表情で迂闊を見据えた。

しかし、その瞳だけは「逃げるな」と無言の圧で語っている。


迂闊は、ガチガチに緊張したまま、ゆっくりと、まるで重力に逆らうかのように、ぎこちなく手を挙げる。

「せ、先生……」


若手の女性教師・白石先生は優しく応じる。

「はい、迂闊くん。どうしましたか?」


迂闊は、罰ゲームのセリフを絞り出すような声で口にした。

「先生……この微分積分の問題……恋愛に例えてもらえませんか?どういうことなのか、よくわからなくて……」


白石先生の笑顔が、ピタリとフリーズした。

「え……? 迂闊くん、あなた……それ、本当に言ってるの……?」


一瞬の、異常なまでの静寂。


そして次の瞬間──


はははははははははははははははははははは!


教室が文字通り、屋根を吹き飛ばすかのような大爆笑の渦に包まれた。

「えっ何!?恋愛!?あいつバカなの!?」「『恋愛に例えてもらえませんか?』って、真面目かよ!」

「迂闊くん……まさか失恋でもしたのかな!?」

「頭大丈夫か!?熱でもあるんじゃないか!?」

野次と爆笑の波が迂闊を襲う。


迂闊は顔を真っ赤にして、机に突っ伏した。


先生は笑いを必死に堪えながら、チョークを握り直す。

「ふふ……まったく、大胆な生徒ね。じゃあ……お情けで乗ってあげましょう」

先生は黒板を叩いた。

「じゃあ……この『関数』は、好きな人の気持ちの変化。

そして、この『微分』は、告白した瞬間の感情の爆発ってことで、どう?」


すると迂闊は、机に突っ伏したまま、呻く。

「俺……もう消えてなくなりたい……。

この教室にいる全員に、俺の人生の終わりを見届けられてる気分だ……」


のぞみは、口元を手で覆い、肩を震わせながら満足げにほくそ笑んでいる。

そして、小声で彼に言い放った。

「最高の舞台だったよ迂闊。ありがとう」


北斗のほうは、口元には笑み一つ浮かべず、静かに、だが長く、迂闊に拍手を送っていた。

「迂闊くん。君の演技は、プロ級のコメディアンに匹敵するよ」


「うるせえ!」



休み時間。

のぞみと北斗の二人に見守られる中、迂闊は観念した表情で保健室の前の廊下に立ち尽くす。


「なあ……ほんとにやるのか、これ……?

今の保健の先生、気分の浮き沈みが激しいことで有名なあの彩乃先生だろ?

最近彼氏にフラれて相当機嫌悪いって噂だぞ!」

迂闊が、最後の抵抗を見せる。


北斗は、涼しい顔で答える。

「大丈夫です。『最悪の状況で最高にロマンチックな台詞を言う』のが罰ゲームです。

僕はちゃんと君の活躍をドキュメンタリー映像として見届けますので」

そして、北斗は躊躇なく保健室の扉に手をかける。

「ちょっと待てって!

北斗、おまえの『大丈夫』は、毎回俺を地獄に突き落とすんだよ!」


そして──


「ゴクリ」

迂闊は深呼吸の後に唾を飲み込み、人生最大の勇気を振り絞って入室。


保健室特有の匂いの中、カルテをめくる彩乃先生の背中が見えた。



「先生……あの……その……恋の病って、診てもらえますか……?」


迂闊の言葉の語尾が震える。


すると彩乃先生は、鉛筆を持つ手を止めずに、低い声で言った。


「はっ?」

先生はゆっくりと顔を上げ、まるで虫けらを見るかのように迂闊を睨みつけた。


そして……、

「チッ!」と、ヤンキーみたいに露骨な舌打ちをする。


迂闊は思わず身を縮めた。

(やっぱ相当機嫌が悪い……最悪だ!)


「で……熱は?具体的に、どこがどう病気なの?」


「……熱は、ないです。ただ……胸が苦しくて……」


すると先生は、ドンとカルテを机に叩きつけた。

「そんな糞くだんねー理由で、あんたは保健室に来たのか!?

ここは病人の場所だ!二度と、そんなふざけたことを言うな!」


その剣幕に、迂闊は深々と頭を下げる。

「は、はい! なんか……生まれてきてごめんなさい……」


沈黙が、保健室を支配した。

重く、笑いもない。ただただ、シュールで恐ろしい時間だった。


迂闊は、顔を上げずに呟く。

「いっそ……このまま殺してくれ……」



扉の外で待ってのぞみは、涙が出そうな程に笑いを堪えながら、そっと迂闊の肩を叩いた。「よく頑張ったね、迂闊」


北斗は、ポケットから取り出した小さな手帳に、「機嫌の悪い保健の先生への対応マニュアル(実践編)」というメモを真剣な顔で書き込んでいた。



保健室から戻り、解放感と、次なる展開への高揚感が入り混じった表情で、三人は教室に戻る。


迂闊は、自分の机にドンと手をつき、意地の悪い笑みを浮かべる。

「ふう……やっと終わったぜ。

俺は約束通り完璧に罰ゲームを遂行した」

彼は、北斗を指差して言った。

「じゃあ次は……北斗、おまえの番だな!

罰ゲームのルールは『クラスメートに何をお願いする』だったかな?」


のぞみが「え?」と驚いて振り返る。

北斗は、迂闊の勝利宣言を無視し、静かに、そして真っ直ぐに、のぞみに向き直る。

そして、一世一代の告白をするかのような、真剣な瞳で言った。


「のぞみさん──今日だけ、僕の、恋人ってことで、いいですか?」

一瞬、教室の空気が、完全に凍り付いた。

のぞみは、数秒間北斗を見つめ、ハッと顔をほころばせた。


「……オッケー」

のぞみは、悪戯が成功したような、最高の笑顔で応えた。


迂闊は、一気にパニックに陥る。顔面は蒼白だ。

「え?ちょ、ちょっと待てよ!?

俺の罰ゲームの趣旨と違うだろ!?

それ、のぞみ直通の駅のホーム作ったりのぞみと並走してるってレベルじゃねえぞ!

完全に合体トランスフォームしかけてんじゃねーか!

なんで!?なんで!?なんで北斗……おまえがのぞみにそんなロマンチックなこと言ってんだよ!」


迂闊がテンパって叫び続ける中、のぞみは教室の出口で立ち止まり、北斗がそっと彼女の肩を抱く。

のぞみは、得意満面の表情で振り返り、迂闊に向かって、まるで先生が生徒に教えるように言った。

「ルールは『クラスメートの異性に『今日だけ、恋人ってことでいい?』ってお願いする。だったよね?」


「ああ……」


「だけどあんたは《《クラスメートの異性に》》ってだけで、誰は含まれないとか例外決めなかったよね?

だから、北斗くんは、同じクラスメートなら誰にお願いしてもいいの」


のぞみは得意げにそう言うと、勝利者特有の輝くようなスマイルを迂闊に向けた。

「全く──ルール設定が迂闊だったね。迂闊だけに!」


のぞみの言葉が、冷たい刃のように迂闊の心に突き刺さる。


「そ、そんな……」


教室に一人取り残された迂闊は、机に突っ伏し、天を仰ぎながら叫んだ。


「俺の考えた罰ゲームだぞ!

なんでおまえらの恋のキューピッドにされてんだよーー!

不幸だ〜!!」



次回予告

雪の街で、少女は待っていた。

信じることだけを手がかりに。

青春は、時々静かに胸を刺す。


次回、『雪の空に、発車のベルは鳴らない』

その一言が、すべてを変える。

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