第3話:感情の非常停止ボタン
それから……のぞみの学校と家との行き帰りに、迂闊が当然のように着いてくるようになった。
のぞみは最初こそ「迷惑車両」と言い張っていたが、気づけばその存在を“前提”としてルートを組み立てている自分がいた。
そんなある日の放課後。
のぞみは、いつもの帰宅ルートを脳内で再構築していた。
「乗車時間、徒歩4分。乗り換え時間、1分。乗車率、快適。よし、定刻通り」
胸の奥で、いつもの“確認”が小さく鳴る。
遅れなければ大丈夫。
遅れなければ——。
だが——
「なあ、のぞみ。たまには遠回りしようぜ」
隣を歩いていた迂闊が、唐突に言った。
「は?」
「いや、こっちの路線、景色いいんだよ。川沿いでさ、夕焼けとか反射してて。
俺、お前が休みの日に一人で乗っててさ、寝過ごしてたまたま通ったけど……なんか気持ちよくてよ」
「寝過ごして気持ちよかったって……寝坊をしれっと美化して正当化すんな!」
のぞみは、思わず合図笛を取り出しかけたが——
手が止まる。
迂闊が、まっすぐにのぞみを見て微笑んでいたから。
「……遠回りって、たしかに定刻外だよな。
でもさ、たまにはいいだろ?
俺、のぞみと一緒なら、どの路線でも乗ってみたいし」
その言葉に、のぞみの心拍数が再び跳ね上がる。
胸の奥が、ほんの一瞬だけ“ざわっ”と揺れた。
——遅刻したあの日と同じ場所が、でも違う理由で震える。
(……このドキドキ、この路線と私たちが、単線運行してるってこと……?)
ふたりは、川沿いの路線に乗った。
窓の外には、夕焼け。
反射する光が、のぞみの時刻表に差し込む。
「この路線、景色いいな」
「それ、“複線ドリフト”の名所だから。鉄道ファンの間では、ゆ、有名よ……」
迂闊は、鉄道の専門用語を理解していないのに、
不思議と“聞く姿勢”だけは真剣だった。
「へえ。じゃあ、俺たちも今、複線ドリフトしてるってことか?」
「……は?」
「だって、のぞみのルートと俺のルート、今、並走してるじゃん。
でもさ、ちょっとずつ距離が縮まってる気しないか?」
「大丈夫、それは無いわ……あんたのドリフト、制御不能すぎんのよ」
「ツンドラかよ!
はぁ……あんたにツンデレ期待した俺が馬鹿だったわ」
のぞみは、頭の中の時刻表をそっと閉じた。
そして……初めて、感情の“非常停止ボタン”に手を伸ばす。
胸の奥が、また小さく震える。
——押したら、何かが変わってしまう気がした。
「なあ、それ……押したら、どうなるの?」
迂闊は笑って言った。
「え? な、なんでーー!?
私の心の声、なんであんたに聞こえてんのよー!」
「お前って、いつもぶつぶつ独り言を言うし……。
それに、お前の声デカいから全部聞こえてたんだけど……」
「う、うそー!!
もういい、押す!私、絶対に非常停止ボタン押す——!!」
「ちょ、待っ!馬鹿、それ本物だって!!押したらマジでこの電車止まっぞ!?」
震えるのぞみの手が非常停止ボタンに触れかけた、その瞬間——。
迂闊はのぞみの手を取り、
自分のほうへグイっと引き寄せる。
想定もしていなかった、まさかの壁ドンの体勢。
鼓動や瞳の虹彩の輝きが伝わるほどに、至近距離で見つめ合う二人……。
ドクンドクンとのぞみの心臓は粗く脈打ち、
彼女の脳内から“運行管理センター”が警告を出す!
《感情制御システム:非常停止ボタンへの接触を検知。恋愛列車、脱線の恐れあり》
《恋の非常停止ボタン、作動中……》
のぞみの脳内に「車内アナウンス」が流れる。
《まもなく、ドアが閉まります。
ご乗車の方は、お乗り間違えのないようにご注意ください》
《恋の急行列車、まもなく発車しま〜す!》
おまけ
迂闊「俺さ、のぞみと一緒なら、どの路線でも乗ってみたいんだ」
のぞみ「迂闊くん……残念だけど、あんたの路線、まだ私の時刻表には載ってないみたいなんだけど」
迂闊「まだ?……なあ、今『まだ』って言った?」
のぞみ「うっさい!」
つづく
【今週の鉄道豆知識】複線ドリフトって、何だろう?
今回のお話に出てきた「複線ドリフト」、みんなは知ってるかな?
これは、並行して走る2つの線路が、まるで車の「ドリフト」みたいにカーブでグッと離れたり近づいたりする様子を指す言葉だよ。
鉄道写真では、ここぞというシャッターチャンスになる人気の撮影スポットなんだ。
色々な場所にあるから、みんなも探してみてね!
ではまた!
次回予告
次回、「恋の積載オーバー」
迂闊が鉄道知識をツンデレ風に褒める!?
のぞみ、褒められ慣れてない感情が暴走——
信号、全赤。恋の運行、非常事態発生!




