第19話:感情の乗車券
3月14日。
のぞみ新幹線が開業した日。
そして——のぞみの誕生日でもあった。
夕暮れ時。
誰もいない教室の窓から差し込む光が、少しだけ春めいていた。
机の上には、普段の喧騒が嘘みたいに、静かな空気が漂っている。
部活の用事を理由にのぞみを呼び出した迂闊。
彼は、照れ隠しの笑みを浮かべながら、可愛くラッピングされた小さなプレゼントを差し出した。
その手は、どこかぎこちなくて、期待と不安が混ざっていた。
「ほら、おまえ今日が誕生日だっただろ?」
「え、もしかしてこれ……私に?」
「ああ……別に。渡すだけだし」
「ありがとう、迂闊。いま開けてもいい?」
「か……勝手にしろよ」
のぞみは、一つ一つ丁寧に包装を開ける。
指先が少し震えていた。
中から出てきたのは、2015年8月24日——錦川清流線キハ40系の記念乗車券。
母が退院した日。
父は仕事で先に帰り、のぞみは母と二人で列車に乗って帰った。
そのとき母が「この列車はね、がんばり屋さんなのよ」と言って、キハ40系に乗せてくれた。
それが、母と最後に鉄道に乗った日の記憶だった。
その切符は、のぞみにとって“時間の標本”だった。
母と過ごした最後の夏が、そこに閉じ込められているような気がした。
視界が少し滲んだ。
胸の奥に、誰かがそっと触れたような感覚。
記憶のページが、静かにめくられていく。
「……これ、どうやって?
それに、なんで知ってるの?」
「スーパーで、おまえの親父さんにばったり会ってさ。
ちょっと話してるうちに、つい聞いちまった。探るつもりじゃなかったけどな。
で、調べてみたら……記念チケットって意外と《《安いんだな》》。
駅前のチケット屋で見つけて、ちょっとだけ値引きしてもらってさ。
まあ、俺にかかればこんなもんだろ。運だけはいいからな。……っていうか、別に喜ばせようとか、そういうんじゃねぇし」
その瞬間、のぞみの表情が変わった。
目の奥が、静かに揺れた。
「……安く買えたって、そんな……」
声は小さかった。でも、確かに震えていた。
「え? だって、よかっただろ?
高くても買うつもりだったけど、安いに越したことは——」
「いらない……」
「そうだろそうだろ……って、はぁ?」
「……あんたは私の気持ちなんて、
全・然・わかってない!」
のぞみの声が、雨の前触れのように空気を震わせる。
迂闊は、言葉を失った。
教室の静けさが、急に冷たく感じられた。
窓の外では、風が止まり、空が少しだけ暗くなったように見えた。
その乗車券は、のぞみにとって“記憶の改札”だった。
誰かに触れてほしくて、でも触れられたくなかった。
その矛盾が、今、感情を大きく乱していた。
【今週の鉄道豆知識】「のぞみ」が走り出した日って、いつ?
今回のお話に出てきた“のぞみ”という新幹線の名前。
実は、1992年3月14日——この日が、新幹線「のぞみ」の運行開始日なんだ。
東京〜新大阪間を、当時の最速で結んだ新しい列車として登場した「のぞみ」は、スピードも設備もひとつ上。
それまでの「ひかり」や「こだま」とは違う、“未来の新幹線”って感じだったんだよ。
ではまた!
※この物語は2024年〜を舞台にしていて、
今回ののぞみの17歳の誕生日は2025年3月14日ということにしています。
(※新幹線「のぞみ」の開業年とは関係ありません)
高校2年の時に迂闊の通う高校に転校してきたのぞみ。
高校2年の春休みから高校3年の始業前の間です。春休み期間中も二人が学校内で会うシーンがあるかもしれませんが、それは個別の事情や登校日だったりする……とお考えください。
次回予告
次回、「紙切れと、涙の値段」
のぞみの怒りの余韻と、迂闊の気づきが交差する静かな雨の一日。
記念切符の“値段”と“意味”がすれ違った二人の心は、どこへ向かうのか——。




