第11話:感情ダイヤ、再発車
「……小学校の遠足の日。
バスで出かけたんだけど……クラスの子と喧嘩して……泣いちゃって。
帰りたいって、ずっと駄々こねてた」
のぞみは、黙って聞いていた。
ひよりの声は、少しずつ震えていた。
「先生が困って……親に連絡して……迎えに来ることになったの。
でも……その途中で、交通事故に巻き込まれて……父さんと母さん、亡くなった」
ポッキーの先が、かすかに震えた。
ひよりの手も、少しだけ冷たくなっていた。
「……私が、帰りたいなんて言わなければ。
あのとき、我慢してれば……」
「……」
「あの……のぞみさん、ぼーとして、
どうかしました?」
「ごめん、なんでもない。
ひよりちゃんは何も悪くないよ!」
のぞみは、そっとひよりの小さな手に触れた。
その小さく震える手を、優しく包み込むように。
「ところで……ひよりちゃん。
それ、誰にも話してなかったの?」
「……うん。誰にも。
でも、乗り物に乗ろうとするたびに、呪いのように思い出すの。
あのバスの匂いとか、窓の景色とか……全部、怖い」
のぞみは、静かに頷いた。
*
そして、その夜——
「迂闊……ひよりちゃんの本当の両親のこと、調べてみて」
「……わかった。戸籍と事故記録、追ってみる」
*
数日後。
のぞみと迂闊は、神奈川県内の古い団地を訪れた。
そこには、ひよりの実の祖母が暮らしている。
「ひよりちゃんのこと……今でも写真飾ってるのよ」
祖母は、静かに語った。
そして、押し入れの奥から、小さな箱を取り出した。
「事故のあと、警察から返された遺留品……手紙が入ってたの。
ひよりちゃん宛てに、お父さんお母さんが書いたものよ」
のぞみは、そっとその封筒を開いた。
中には、折り目のついた便箋が二枚。
ひよりの名前で始まり、優しい言葉が並んでいた。
『泣いてしまうのは、悪いことじゃないよ。
ひよりが泣くときは、心がまっすぐだから。
泣き虫でも、ひよりは強い子だからちゃんと前に進めるさ。
だから、泣きたいときは泣いていい。
パパもママもいつでもひよりを見守っているからね』
のぞみは、言葉を詰まらせながらその手紙を読んだ。
その瞬間、便箋の文字がほんの一瞬だけ、柔らかく光ったように見えた。
まるで、今この瞬間に届いたかのように。
迂闊は、黙って頷いたあと、ぽつりと呟く。
「なあ、のぞみ?……これ、いつ書いたんだろ。事故の直前だったら……タイミングが、ちょっと不思議だよな」
のぞみは、手紙を見つめたまま、静かに答える。
「……まるで、泣くことを予感してたみたいね。
でも……予知っていうより……なんだろ……
気持ちが、届いた瞬間を見てるみたいな……そんな感じ」
迂闊は、少しだけ目を細めて言った。
「……予知夢って思いたくなるけど……でも、なんか……わかる気もする。
誰かの気持ちが、遅れて届くことって……あるよな」
のぞみは、何も言わず、そっと手紙を胸元に抱えた。
*
その夜。
ひよりは、のぞみの部屋でその手紙を受け取った。
ポッキーをくわえたまま、無言で便箋を見つめる。
そして、読み終えたあと——
「……私、泣き虫だったから……お父さんもお母さんも、困ってたと思ってた。
でも……こんなふうに、書いてくれてたなんて……」
ひよりの声が震える。
そんな姿をみてのぞみは言った。
「ひよりちゃん……その言葉、今も届いてるよ。
泣いてもいいって。
ご両親はいつでも見守ってるって」
ひよりは、ポッキーをそっと外して、両手で持ち直した。
そして、静かにうなずいた。
「私……乗ってみる。もう一度」
*
──そして、今日。
新横浜駅のホーム。
のぞみと迂闊が、ひよりの左右に立つ。
風が吹き、アナウンスが流れる。
「まもなく、1番線に電車が到着します。白線の内側まで——」
ひよりは、ポッキーを口にくわえたまま、改札を通る。
ピッという音が、静かに空気を切り替える。
ホームに上がる。
鉄の匂い。風の音。
今までは緊張で息苦しかった道のり。
でも、今日は違う。
「……乗るよ。私、乗る」
その言葉に、のぞみは笑った。
迂闊は、そっと背中を押す。
ドアが開く。
ひよりは、一歩、足を踏み出す。
そして、車内に入る。
座席に腰を下ろし、ポッキーをくわえたまま、窓の外を見る。
耳は、ほんのり赤い。
でも、表情は——少しだけ、柔らかかった。
「……発車、オーライ」
迂闊が小さく呟く。
のぞみは、ひよりの隣に座り、そっと言った。
「感情ダイヤ、再発車だね」
電車が動き出し、
ゆっくりとホームが遠ざかる。
風が、ひよりの髪を揺らす。
その瞬間——
ひよりの咥えるポッキーの角度が、ほんの少しだけ、上を向いた。
──翌日。放課後。
のぞみと迂闊が並んで歩いていると、前方のコンビニから白いパーカーの少女・ひよりが現れた。
ポッキーをくわえたまま、無言。
耳はほんのり赤く、表情は……完全に無。
のぞみは、昨日の感動を思い出しながら、軽く手を振った。
「ひよりちゃん、今日もお疲れ……」
しかし……ひよりは、のぞみを一瞥。
そして、口元のポッキーを上下左右に小刻みに動かし始めた。
「……え? ひよりちゃん……なにその動き? 手旗信号?」
迂闊は、すぐに真顔で通訳を始める。
「“昨日の涙は臨時列車。通常運行に戻ったので、会話はポッキー経由でお願いします”って言ってるぞ」
「いやいや、言ってないでしょ!? ポッキーの方角でそんな長文訳すな!」
「まあまあ、のぞみ。見てなって」
「なによ……」
すると迂闊は、のぞみにニヤリと笑うと、ひよりに向かって軽く合図を送る。
すると——
ひよりの口元のポッキーが、今度は一定のリズムで上下し始めた。
「……え、なにこれ。今度は何?」
「ほら、モールス信号。
“のぞみのツッコミ、雑すぎ”って送ってきてるぜ」
「やめて! ポッキーで秘密の会話しないで! てか精度高すぎて怖い!」
ふたりの笑い声が、夕暮れの街に溶けていった。
次回予告
次回、「感情の乗り遅れ、発生」
のぞみ、北斗との“資料整理デート”に遅刻!?
迂闊の“時刻表改正宣言”が、感情ダイヤに衝撃を与える!




