番外編 ~変わらない想い~
「アレク、少し話したいことがあるの」
笑顔を浮かべているものの、静かな口調にアレクシスは内心ぎくりとした。伴侶と過ごすひと時は何事にも代えがたい幸福な時間だが、ルーが怒りを抱えている状況となると話は別だ。
ルーが伴侶となって5年半たつが、滅多に怒らないルーが本気で腹を立てたのは一度だけ。
ルーが妊娠した際に心配のあまり半ば監禁状態になったことが原因だった。その時はしばらく口を利いてくれず、必死で懇願して何とか許してもらったが、今回もそうとは限らない。
アレクシスには心当たりがあったからだ。様々な要因から先送りにしていた問題だったが、本気で解決しようとしていなかったことがバレたのかもしれない。
「シリウスと一緒にしばらく旅行に行きたいの」
「それは、家族で旅行をしたいという意味かな?」
希望を込めて確認をすれば、返ってきたのは呆れを含んだ眼差しと拒絶だった。
「いいえ、私とシリウスだけでいいわ」
勿論マヤは連れていくけど、と素っ気なく付け足すルーの態度に、アレクシスは膝から崩れ落ちそうになるのを堪えた。大事な妻と息子の側にいるのは夫である自分であるべきなのに、マヤの方が優先順位は高いらしい。
「どうして私が一緒では駄目なんだろう……」
「だってアレクはエルクセリアに行きたくないんでしょう?シリウスとお義父様を会わせてあげたいし、私もいい加減にお義父様にご挨拶したいもの」
予感が的中したこととルーから告げられた理由に、アレクシスは言葉を詰まらせた。ずっと先延ばしにしていたアレクシスを見限り、ルーは自分で行動を起こすことに決めたらしい。
「それは、悪かったと思っているけど、君たちだけでエルクセリアに行くなんて危険すぎる。準備をするからもう少しだけ待ってほしい」
「アレクのもう少しなんて当てにならないわ。それにもうお義父様に訪問の日程もお手紙でお伝えしているの。ちゃんと護衛も連れて行くから大丈夫よ」
ルーの話は許可を取るものはなく決定事項を伝えるものだった。
「そういう問題じゃない。エルクセリアだけは駄目だ。シリウスと会わせるのなら、父上を呼び出せばいいだろう。あんなところに君たちが行くことはない」
愛しい伴侶を失いかけた場所にどうして行く必要があるのか。あの時の恐怖と怒りが鮮明に甦ってくる。
気が狂いそうなほどの絶望感、痛々しい姿で涙を流すルーの表情を思い出すだけで呼吸が苦しい。
「アレク、ごめんなさい。でも、私はお義父様と――」
「ルーは私より父上を優先するの?」
驚きに見開かれた瞳が潤み、アレクシスは失言を悟った。自分の行動を棚上げしたばかりか、あまりにも子供じみた発言だ。
「ごめんなさい。少し、頭を冷やしてくるわ」
アレクシスが謝罪を口にするよりも先にそう告げて、足早に去っていくルーをアレクシスは止めることが出来なかった。
(伝え方を間違ってしまったわ……)
アレクシスにとってエルクセリアは辛い記憶が残る場所になってしまった。それはルーにとっても同様だが、初めて目にした時の風景の素晴らしさは忘れられないし、アレクシスが誇らしげに故郷を語る姿も覚えている。
だからこそ、辛い思い出を上書きしたかったし、そんな美しい場所をシリウスにも見せてあげたいと思ったのだ。
何よりアレクシスと義父の関係を改善したいという思いもあった。手紙でやり取りするようになったものの、実務的な話しかしていないらしい。
シリウスやルーが緩衝材となれば、親子としての時間を作ってあげられるのではないかというルーの企みは失敗に終わってしまった。
最終的にはアレクシスが折れてくれるだろうと甘い考えがあったのは否めない。
(望んでいないことを押し付けるのは、ただの我儘よね)
気持ちが落ち着いて自分の行動を省みる余裕が出て来た頃、小さなノックの音に自然と口角が上がった。
「おかーさま!プレゼントです」
小さな一輪の花は強く握りしめていたせいで茎が潰れていたが、その瞳は期待と喜びに溢れている。
「まあ、こんな綺麗なお花をお母様にくれるなんて嬉しいわ。ありがとう、シリウス」
花を受け取り額に口づけを落とすと誇らしそうな顔をしていたシリウスだが、その表情が僅かに曇る。
「おかーさま、どこか痛い?おいしゃさま、呼びますか?」
アレクシスに似て優しく利発な子だ。感情の揺れに気づかれてしまう自分はまだまだ未熟な母親だと反省しつつも、安心させるためにシリウスを抱きしめた。
「いいえ、どこも痛くないわ。少しどうしたらいいか迷っていることがあって、考え事をしていたの」
「僕もおかーさまと一緒に考えます。マヤも手伝って。あ、おとーさまも呼びましょう」
良いことを思いついたとばかりに立ち上がるシリウスを引き留める。アレクシスが息子に対して感情的になるとは思わないが、今はそっとしておきたい。
「シリウス様、お母様のお悩みはこのマヤにお任せください。それよりも、お母様にプレゼントしたお花を飾るための花瓶を一緒に選んでくれませんか?」
マヤがシリウスの関心を逸らしてくれたことに感謝しつつも、後で事情を聞かれることを思えば苦笑が浮かぶ。
マヤは基本的にルーの味方なので、そのまま伝えればきっとアレクシスに苦言を呈するだろう。
マヤもアレクシスもルーの気持ちを大切にしてくれるのだが、アレクシスの行き過ぎた過保護さや考え方の違いを窘めてくれるのは圧倒的にマヤのほうが多い。
大切な人たちに囲まれていることの頼もしさと愛しさを感じながら、ルーは気持ちを切り替えてアレクシスの説得について考えを巡らせるのだった。
「視察……?」
朝食の席に姿を見せないアレクシスに疑問を覚え、ファビアンに聞いたところ急遽視察に向かったと知らされた。
「ええ、一週間ほどで戻られるそうですが現地の状況次第ではもう少しかかるかもしれません。その間、奥様とシリウス様には屋敷に留まっていてほしいとのことです」
3日以上屋敷を空ける場合は、いつもならルーとシリウスを伴って出かけるはずなのに、これではまるで避けられているようだ。
しかも屋敷から出ないようにと言われている。ルーが勝手にエルクセリアに向かわないようにということだろうが、一言も話さないままで決められてしまうのは一方的すぎてアレクシスらしくない。
「ファビアン?」
「どうかご容赦を。アレクシス様に叱られてしまいますので」
恐らくは事情を知っているファビアンをじっと見つめるが、目を合わせてくれない。
「ルー様、私にお任せください」
妙にきらきらした瞳でマヤから言われたが、ファビアンの表情が真っ青になったので止めておく。お互い嫌いあっているわけではなくむしろ逆なのだが、マヤはルーをファビアンはアレクシスを主人としているため、このような場合はお互いの主張を曲げない。
「竜族は愛した相手にはとことん弱いですからね……」
自分にも心当たりがあるため、何となく申し訳ない気分になってアレクシスが不在の間、大人しくしていようと決めた。
「ルー、シリウス、エルクセリアに行こう」
帰ってくるなりそう言われて、ルーはぽかんと口を開けてしまった。
「おとーさま、エルクセリアってどこですか?」
「お父様が生まれた場所だよ。ルー、遅くなってごめんね。私と一緒に行ってくれる?」
シリウスを抱きしめながら、不安そうに尋ねるアレクシスにルーは慌てて頷いたのだった。
帰宅した翌日には荷物をまとめて、エルクセリアへと出発した。ルーが父上に伝えたとおりの日程に間に合わせるためだ。
「アレク、私の我儘で無理をさせてしまって、ごめんなさい」
「我儘というほどのことではないし、エルクセリアに行くのは私のためなのだろう?謝るのは私のほうだよ」
不安そうな眼差しは自分のことを気遣ってのことだと分かっていたから、そう伝えるとルーはほっとしたように肩の力を抜いた。
ルーはずっと変わらない。主張するときはいつだって自分よりも他人のことを考えた結果なのだ。
だからアレクシスはルーへ謝罪するよりも、ルーの望みを叶えるために竜化してエルクセリアへと向かった。
父上への挨拶やシリウスを会わせることも目的だろうが、それよりもエルクセリアに行きたい理由はきっと自分だと思ったのだ。
アレクシスが寄り付かなくなったエルクセリアは楽園と呼ばれた面影もなく、寒さが厳しく不毛の地という言葉が適切だった。
荒天の中、突然現れたアレクシスを父上は平然と招き入れ、手ずから茶まで淹れてくれた。
『お前の番がくれる手紙はいつもお前のことばかりだ。愛されているな』
いつも屋敷で飲む茶と同じ物だと気づき、思わず父上を見ると硬い表情が崩れふっと口角を上げた。アレクシスがこの茶を好んでいることもきっとルーが伝えてくれたのだろう。
『お前の番と孫が来るのなら、四家の関係者は全員外出を禁じるなり見張りを付けるなりするから安心しなさい』
番に対する扱いとアレクシスへの暴挙を知った竜族たちの四家に対する反発は激しかった。環境の変化についても恨みの矛先は四家に向けられ、身の危険を感じた公爵らはほとんど屋敷から出ずに細々と生活しているそうだ。
『――ありがとうございます、父上』
少しだけぎこちないが、嫌な雰囲気ではない。ルーが望んだのはきっと、かつてアレクシスが得られなかった父上との時間だろう。
その日からアレクシスは土地の状態を整え、天候を調整するために尽力した。
ルーやシリウスに荒廃した土地を見せるわけにはいかない。
「わあ、きれいなお花がたくさん!おとーさま、おかーさまとマヤにプレゼントしたいです。だめですか?」
「構わないが、先にお祖父様に挨拶してからにしようか」
「はい!」
どこか落ち着かない様子で待っている父上の元へ、シリウスが勢いよく駆けていく。勢いあまって転びそうになるシリウスを父上が咄嗟に支えて、抱き上げた。
戸惑いながらもその表情は柔らかくなったのは、シリウスの笑顔につられたのかもしれない。
かつて自分には向けられなかった愛情が我が子に向けられているのを見て、胸が震える。あの頃の自分が救われたような、愛おしさと幸せがつまった光景にルーの言葉を思い出す。
『アレクが私のせいで諦めた幸せを、いつか全部アレクに返してみせるわ』
「ルー、私を幸せにしてくれてありがとう。これからもずっと君を愛している」
口づけを落としてエスコートのため手を差し出すと、ルーは嬉しそうに微笑みながら手を預けてくれる。
温かく柔らかな手のひらを握り締めて、アレクシスは大切な家族の元へと歩き出したのだった。




