番外編 ~来客と相談~
※アレクシスとルーがコノル王国に戻って半年ほど経った頃のお話です。
「アレク、そろそろ時間でしょう?」
「もうちょっとだけ補充させて」
屋敷内とはいえ玄関先で抱き締められるのは、人の目があるため少し気恥ずかしい。首元に埋めた顔を僅かに上げて耳元で囁く声は甘く、そして僅かな怯えの気配があった。
「マヤとフィンが付いていてくれるし、バートもそばに控えてくれるから大丈夫よ」
そう言って背中に回した手に力を込めると、腕の力が緩み大好きな人の顔が見えた。蕩けるように甘く、愛しさが溢れた眼差しの中に、不安の影がちらついている。
今日はこれからユーリアが屋敷を訪れることになっているからだ。
コノル王国の屋敷に戻ってきてから三ヶ月ほど、アレクシスは片時もルーを離さなかった。アレクシスがどれだけの恐怖や痛みを感じたのか伝わってきて、ルーはアレクシスを不安にさせないよう言葉や態度で示し続けた。
その甲斐あってか、ようやく落ち着きを見せてきた頃にユーリアから手紙が届いたのだ。
ユーリアは披露パーティーより前にレクスの元へ出立していたため、あの日何が起きたのか知らない。だがエルクセリアにいる両親より四家の背信行為を知り、ルーのことを案じてくれたのだ。ユーリアからの手紙は気遣いや労わりに満ちた言葉が綴られており、ルーはユーリアに会うことを決めた。
そう伝えた時、アレクシスはしばらく無言だったものの最終的には了承してくれたが、無理をしていることは明らかだった。
(それでも、これは私とアレクのためだわ)
輪をかけて過保護になったアレクシスは、屋敷内で仕事を行いほとんど外出しなくなった。それでも問題ないとアレクシスは言うが、流石に素直に信じる気にはなれない。これまで世界の調整のため各国を訪問していたのだ。
少しの期間であれば大丈夫だとしても、その状態が長く続くのであれば流石にまずいだろう。
アレクシスが不在の間にユーリアと会うのはルー自身の望みでもあると同時に、リハビリのようなものでもあるのだ。
「行ってらっしゃい。アレクが帰ってくるのを待っているわ」
名残惜しそうに見つめるアレクシスを、ルーは笑顔で見送った。
「ご無沙汰しております、ルー様。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
「こちらこそ来てくれて嬉しいわ、ユーリア」
優雅な微笑を浮かべて現れたユーリアを、ルーも自然な笑みを浮かべて歓迎したものの、その表情に翳りがあるような気がした。
懸念を覚えながらも部屋に案内すると、ユーリアは固い面持ちを浮かべて言った。
「事の仔細は存じませんが、陛下の番であるルー様に多大なご迷惑をお掛けしたこと、竜族の一人として、深くお詫び申し上げます」
深々と頭を下げたユーリアに驚いて、ルーはすぐに止めようとしたが、膝の上で固く握られた手が僅かに震えているのを見て、胸を突かれたような気がした。
竜族の竜帝に対する忠誠心や崇敬の深さは並々ならぬものがある。今回ユーリアが足を運んでくれたのは、謝罪のためだと気づいたからだ。
「顔を上げてちょうだい。あの当時ユーリアが味方でいてくれたことはとても心強かったし感謝しているの。それにユーリアが礼儀作法を教えてくれたおかげで、何があっても堂々としていられたのよ」
穏やかな口調で告げると、ユーリアはようやく顔を上げたが、その表情は沈んだままだ。
「お気を遣わせてしまって申し訳ございません。事の次第も分からない状態での謝罪など自己満足でしかありませんわね。もしも、お許しいただけるのであれば、何があったのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ユーリアの真摯な表情に、ルーは少し思案した。ユーリアに非はないのだが、話してしまえば余計に気に病ませてしまうかもしれない。
だけど話さなければユーリアの不安は消えないだろう。
「分かったわ。だけど本当にユーリアが気に病むことではないから、これ以上の謝罪は無しよ?」
冗談めかして伝えると、ユーリアは僅かに口元を緩めて頷いた。ルーはなるべく淡々とした口調であの日の出来事を語ったのだった。
話し終えるとユーリアは口元に手を当てたまま固まっていた。
ばきっと何かが折れるような音がして振り返れば、マヤが給仕用のカートの持ち手を握りつぶしていた。
そんなマヤの様子に当時の状況をこれまで知らなかったのだと分かった。
(てっきりアレクが伝えていたとばかり思っていたのだけど……)
アレクシスは口にすることすら出来なかったのかもしれないと思い至った。マヤが聞かなかったのは危険な目に遭ったルーに、その時のことを思い出させないようにという配慮だったのだろう。後で謝ろうと思いながら、ルーはマヤに声を掛けた。
「マヤ、温かいお茶を淹れてくれる?ユーリアももう気にしては駄目よ。貴女にそんな顔をさせてしまったら、レクス様から怒られてしまうわ」
「そんなこと――っ、本当に何という蛮行を、あの男は……!」
蒼白な表情から一転、ユーリアは眦を吊り上げて怒りを露わにしている。自分のために怒ってくれることは嬉しいが、心身に負担を掛けてしまうのは申し訳ない。
「もう過去のことはいいの。アレクを傷つけたあの人のことは嫌いだし許さないって思うけど、そんなことよりも私はアレクを幸せにすることを考えたいから」
「……ルー様は随分と頼もしくなりましたわね。きっと陛下もそんなルー様に救われたのだと、わたくしは思いますわ」
ふっと空気が和らいだタイミングで、ルーはユーリアにお茶とお菓子を勧めた。ユーリアに会いたい気持ちはあったが、本当の目的はまだ達せられていない。
「実はユーリアに聞きたいことがあって……」
顔が火照ってくるのを自覚しながら、ルーはユーリアに相談内容を打ち明けたのだった。
ユーリアが屋敷を辞去してすぐに馬車が止められた。もしかしたらという予感があったので驚きはなかったが、張り詰めた空気に緊張が高まっていく。
「ルーに余計なことを話していないだろうね」
従者とともに馬車の中に入ってきた竜帝陛下の雰囲気は以前よりも格段に冷淡だ。唯一の存在を失いかけたのだから、当然の反応だとも言える。
「エルクセリアの現状については何一つ申し上げておりませんわ。……ルー様より事の顛末をお聞きいたしました。謝って済むことではありませんが――」
「四家はもちろん、あの地にいた者を許すつもりはないよ。君はルーが懐いている限りは排除しない」
遮った声は静かだが、ひしひしと感じる圧力に、ユーリアは悲鳴を上げそうになるのを必死に耐えた。
「……ご厚情痛み入りますわ」
ようやくそれだけ答えると、用は済んだとばかりに竜帝陛下は馬車を後にした。馬車が動き出してからも震えはなかなか収まらない。
かつて楽園と言われたエルクセリアが荒れ果てた地に変わりつつあることをユーリアは両親からの便りで知っていた。だからこそよほどのことが起きたに違いないと確信し、ルーのことが気にかかっていたのだが、届いた返事と一緒に竜帝陛下からも手紙が届き、そこにはエルクセリアの現状について黙秘するよう記されていたのだ。
優しいルーが心を痛めることのないように。
(陛下はルー様のために、ルー様は陛下のために行動していらっしゃるのね。お二人にはずっとお幸せでいてほしいわ)
ルーとのやり取りを思い出せば、ようやく強張った身体が緩んだような気がした。
「ルー、ただいま」
「おかえり、アレク」
普段と変わった様子はないルーに、アレクシスはそっと安堵の息を吐いた。ルーが懐いているとはいえ、本音のところ竜族に会わせたくなかった。過剰な忠誠心は毒になると身をもって教えられたばかりだ。
それでもルーの眼差しに諦めがよぎったのを見て、慌てて了承してしまった。
ルーが傍にいてくれるのは奇跡のようなものなのに、我慢ばかりさせていたら逃げ出してしまうかもしれない。ルーを失うのは耐えられないが、嫌われてしまうことも恐ろしい。
すっかり臆病になってしまったアレクシスに、ルーはいつも寄り添ってくれている。
抱きしめると柔らかさと温もりが伝わってきて、気持ちが安らぐ。
「アレク、あのね、良かったらなんだけど……」
目元を僅かに染めながら遠慮がちに切り出そうとする内容が予想できずに、少しだけ不安になったが、そんな感情は続いたルーの言葉で一転した。
「膝枕、されたらアレクは嬉しい?」
以前泣きすぎて目を腫らしたルーに膝枕をしたことがあったが、逆の立場だとこうも違うものなのか。
重たいだろうとなるべく負担を掛けないように首を持ち上げていたが、すぐにばれて叱られてしまった。疲れているだろうからと目元に蒸しタオルを載せられて、そっと優しい手つきで頭を撫でられている。
まるで子供に戻ったようだと思いながら、幼少時ですら誰かにこんな風に撫でられた記憶はない。
甘やかされ大事にされているような気持ちが少し面映ゆく、またもどかしくもある。
触れてもらえるのは嬉しいが、少しだけ男としての欲が疼いた。
半ば強引な手段で身体を重ねてしまったこともあり、身体目当てだと思われないよう控えているものの、甘く艶やかな声や潤んだ瞳、縋りつく腕の強さを思い出してしまったのだ。
(でも、こんな風に穏やかで優しい時間も好きだ)
「アレク……?眠ってしまったのかしら」
心地よさに微睡んでいると、ルーが小さく呟いた。そろそろ頃合いだろうと返事をしようとした時、柔らかい感触が頬に当たり思考が止まる。
「勝手にするのは、やっぱり良くないわよね」
反射的にタオルを取ると、僅かに頬を染めたルーがぎくりとしたように動きを止めた。
「ルーになら何をされてもいいけど、もう一回してくれる?」
「アレク…っ、起きてたの?」
今や林檎のように真っ赤な顔でルーが消え入りそうな声で言った。
「ルーがしないなら、私がしてもいい?」
「え……っ、待って、ちょっと待って」
恥じらいながらも頬に唇を寄せたルーを可愛く思いながらも、不意打ちに対するお返しとして、口づけが落ちる瞬間にルーのうなじに手を添えて、少しだけ位置をずらすことにした。
「………っ、アレク!」
「ルーから口づけしてくれたのは初めてだね。もしかして寂しい思いをさせていたのかな?ルーに負担を掛けないようにと思っていたのだけど、ルーが望んでくれるなら毎晩でも愛し――」
「違っ、そういうことじゃなくて!アレクへの愛情表現が足りないんじゃないかと思っただけで!」
羞恥と焦りからルーは早々に降参し、ユーリアとの再会の目的を自白したのだった。
「アレクにはいつももらってばかりだから」
もっと愛情を伝えるためにはどうすればいいかと考え、新婚であり竜族であるユーリアは適任だと思い相談したのだという。目を逸らし恥じらいながら告げるルーに愛しさが込み上げてくる。
胸に燻っていた嫉妬は消え失せて、アレクシスはルーを抱きしめた。同性とはいえ、他の竜族との再会を望まれてからずっとあった黒い感情が浄化されていくようだ。
「ルーがいてくれるだけで幸せなのに、ルーは私を喜ばせる天才だね」
ぎゅっと抱きしめて額に口づけを落とすと、ルーも頬に口づけを返してくれた。顔を真っ赤に染めながらも、懸命に自分のことを考えて行動してくれるルーが愛しくて堪らない。
「アレクが幸せだと私も幸せなの。アレクのこと……あ…愛してるから」
ルーの言葉と潤んだ瞳に理性が飛んだのは仕方がないことだと思う。
翌朝マヤから叱られながらも、アレクシスはルーとの外出を考えていた。
美しい風景や知らない文化、初めて味わう食事に、ルーは目を輝かせ嬉しそうに微笑むのだ。
ずっと感じていた不安は薄れ、愛しい人の笑顔と幸福感がアレクシスの胸を満たしていた。




