交換条件
「……これが奥様のドレスですか?」
「はい、届けられたのはこちらのみになります」
スレンダーラインのシンプルなドレスは灰色に近い紫色で、アレクシスの色ではあるもののどこか寂しさは否めない。最低限体裁を整えるためだけに準備したものだと言われても納得してしまいそうなドレスに、また一つ胸の重石が増える。
「私、このドレスも好きよ」
「……申し訳ございません」
怒りに震えるマヤにそう声を掛けると、ぐっと唇を噛みしめながら頭を下げた。マヤの所為ではないし、きっと誰の所為でもない。
仕方がないと諦めることは慣れている。アレクシスの要素が皆無のドレスを贈られる可能性や、そもそも招待されない可能性だってあったのだから、参加できるだけ有難いことなのだ。
(アレクに会うのは、これが最後になるかもしれないのね……)
披露パーティー開催の知らせを聞いたのは、一週間前のことだった。
あれから屋敷の外に出ることはなく、ルーは自分の部屋と図書室を往復するだけの日々を送っていた。
アレクシスは一度だけ屋敷に帰ってきたそうだ。深夜のことで、翌日も早朝に城に戻ってしまったと執事のクレマンが申し訳なさそうに、ルーに伝えてくれた。
帰ってこない理由は多忙のためだったが、以前なら一目だけでも顔を見に来てくれたはずなのだ。避けられているという事実は悲しかったが、ルーはその感情を呑み込んだ。
どれだけ嘆いても何も変わらないし、言葉に出してしまえばもっと辛くなる。
『あんたなんかどうせすぐに捨てられるんだから』
『番だからという理由だけで選ばれたのに』
メリナやクレイから言われた言葉が頭から離れない。何の価値もなくアレクシスに不釣り合いなことはルー自身がよく分かっていて、彼らの言葉を尤もだと思っていたのに、今のルーはそれでもと願ってしまう。それでも側にいたいのだと。
『ルー、私のことを信じて待っていて欲しい』
アレクシスの最後の言葉がルーを支えていた。
だからアレクシスが別の人を選ぶのだとしても、それまでは堂々とアレクシスの番として振舞おうと決めたのだ。
せめて少しでも華やかにとマヤはハーフアップに髪をまとめ、以前アレクシスからもらった髪飾りを付けてくれた。
デコルテが広く開いたタイプのドレスだったので、ルーはアレクシスのピアスと対になるブラックダイアモンドのネックレスを付けた。
ひんやりとしたネックレスはすぐに体温に馴染み、御守りのようでほっとする。未練がましいと思われても構わない。アレクシスから咎められたら、外せばいいだけだ。
「会場までご案内いたします」
「ファビアンが迎えに来ると聞いているわ。勝手に行動するわけにはいかないから」
屋敷にやってきた見知らぬ男性は城の使用人のようだが、だからと言って付いて行くわけにはいかない。謝罪の気持ちを込めて、やんわりと断ると男性はむっとした表情で続けた。
「ファビアン様はお忙しいので、私が代わりを頼まれました。時間が迫っておりますので、どうかお聞き分けください」
男性の言葉が嘘か本当か分からない。だけどルーの返事は同じだ。
「ごめんなさい。行けないわ」
アレクシスの従者であるファビアンが忙しいことは分かっている。それでもルーの迎えについてはファビアンから言われたことだし、忙しい中でもルーを案じてくれていることをルーは理解するようになっていた。
少し前までは責められているように感じた言葉も、ただの気遣いや助言だったと分かる。
そんな話をマヤにしたところ、ファビアンは少し分かりづらいが、何だかんだとアレクシスの認めた相手に対しては優しいのだと同意を示していた。
城に行けば四家がいて、ルーに好意的でない相手もたくさんいるはずだ。だから会場に着くまでの間だけでもファビアンに側にいて欲しいと思う。
「ああ、まだこちらにいたんですね」
男性にお引き取り願うために開けた扉から、エドヴィンが入ってきた。
「ハウザー公爵、どうしてこちらに」
「番様が揃わないと始められないですからね。お姿が見えないのでお迎えに来ました。君はもう下がっていいよ」
エドヴィンの登場に、男性はほっとしたように表情を緩めて出て行った。勝手に城内を動き回るわけにも行かないものの、エドヴィンを信用するわけにもいかない。
前回エドヴィンがルーを城に連れて行ったのは、アレクシスと令嬢の様子をルーに目撃させるためだったのだろう。
ルーに立場を分からせるためか、嫌がらせなのか分からない。だけど出会った当初から彼がルーに対して良い感情を抱いていないのは確かだ。
四家に逆らうことが得策でないと分かっていても、ルーはエドヴィンの案内を断るつもりだった。
「折角ですが――」
「そういえば、こちらに来る前に拾いましたので番様にお渡ししておきますね」
無造作に放り投げられた赤い物体が、何であるのかすぐに理解できなかった。精巧な作り物のようなそれは、外傷こそなかったが泥などで汚れており、まるで死んでいるかのように動かない。
「…………フィン」
ルーの声に微動だにしなかった身体が、微かに痙攣したように動く。同時にマヤが庇うようにルーの前に立ち、焦りを滲ませた声を上げる。
「オルガ、ルー様を――!」
言い終わる前にエドヴィンはマヤの首を掴み、軽々と持ち上げた。
「止めて、マヤを離して!」
「騒々しいですよ。無礼な使用人に身の程を教えているだけではありませんか」
振りほどこうにも地面に届かず力が入らないようで、マヤの表情が苦悶に歪む。ルーは聞く耳を持たないエドヴィンの腕をしがみついたが、あっさりと振りほどかれて壁にぶつかる。
「奥様!」
「オルガ、お前の主人は陛下だろう。今でも陛下がそれを大切にしていると思うか?忠誠を誓う相手を間違えるなよ」
重い音がしてマヤが力なく床に崩れ落ちていて、ぞっとした。
「早々に手当すれば、どちらも助かるかもしれませんね。どうしますか、番様?」
「一緒に行きます。他の人には手を出さないでください」
迷う時間などなかった。ルーが拒めばエドヴィンがどういう行動に出るか、容易に想像がつく。
ルーの言葉に、オルガが迷ったように視線を彷徨わせた。
「オルガ、マヤとフィンを頼むわね」
ルーを助けようとすれば、エドヴィンはオルガも排除しようとするだろう。ここで助けを呼んだとしても、屋敷の使用人たちがルーを助けてくれるかどうか分からない。
(バートやテレサは違うけど、彼らまで危険な目に遭わせるわけにはいかないわ)
ドアの近くに控えているカミラは顔を伏せたまま、動こうとしない。きっとエドヴィンにルーの情報を伝えていたのは彼女だろう。
「それでは行きましょうか。大人しくしていれば痛い思いをせずに済みますよ」
ちっとも信用できないことを口にする男が差し出した手を、ルーは無言で取ることしか出来なかった。




