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竜帝は番に愛を乞う  作者: 浅海 景


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失態(マヤ視点)

「二ヶ月後にルーをエルクセリアに連れて行くよ」


穏やかな口調で宣言するアレクシスの手にはルーが刺繍を施したハンカチがある。想いを伝えるために心を込めて刺したハンカチは先ほど渡されたばかりだ。

幸せそうに微笑む主人を、マヤ以外の全員が感極まったように見つめていた。


マヤとて祝福する気持ちや喜びの感情を覚えていないわけではないが、これからのことを考えると不安と緊張が押し寄せてくる。


(ご主人様は私を許さないだろう……)


あの日、マヤは個人的な理由でルーの側から離れた。いくら学園内であっても、ルーが許可したとしても、離れるべきではなかったのだ。

直接的な暴力ではなくても、言葉だけで人を簡単に傷付けることができる。クレイの悪意は嫌がらせの範疇内であったが、ルーの心を揺らし体調にも影響を与えた。

ルーの中で蓄積された感情があったことを差し引いても、負荷が掛かったことは違いなく、マヤが側にいれば防げたことだ。


己の不手際はすぐに報告していたが、その後の対応とこれまでの勤務態度、何よりルーに不安を与えかねないと一旦今まで通り継続することになった。

しかしエルクセリアに戻るなら、きっとマヤは今の仕事から外されるだろう。


(お嬢様が望んでくれたとしても、きっと難しい)


エルクセリアには女性の護衛もおり、竜族であるためマヤよりもずっと強い。何より竜帝への忠誠心は並々ならぬものがあり、竜帝の番に仕えることは竜帝の信頼を得たということと同義であり、彼女たちにとって非常に名誉なことなのだ。

半端者のマヤなど到底敵わない。


「ルーが雪を楽しみにしているし、家庭教師を付ければ卒業資格の試験勉強も問題なさそうだからね」


具体的な話に皆が未来に向けて表情を綻ばせている中、マヤは自分が異端者のように感じられた。


「テレサ、ドレスなどの身の回りの準備を頼んだよ。ファビアンは仕事の調整を、ああ、バートにはこの国にいる間に作ってもらいたい料理があるんだ」


流石に追い出されることはないと信じたいが、ルーに関することにおいてアレクシスがどういう判断を下すか予想がつかない。下働きでも何でもするから、バートと一緒にいさせて欲しい。

過保護だとルーには告げたものの、まだ自分には父親が、家族が必要なのだ。


「マヤ、君はその間に弟としっかり向き合っておいで。ルーが気にするからね」

「……その節はご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。もう二度と関わるつもりはございません」

「マヤ」


窘めるようなバートの声に、ムッとしながらもマヤはアレクシスから視線を逸らさない。今後の処遇を言い渡すなら、早く教えて欲しかった。


「責めているわけではないよ。ルーの側を離れたことは確かに軽率だったけれど、今回は結果的に良い方向に働いたからね」


その後はしっかりとルーに寄り添い、ルーのために行動したことで失態を挽回した形になったらしい。


(お咎めなしなんてお嬢様のためとはいえ、随分と寛大な計らいだわ……)


アレクシスは公正な人物だったが、他者の事情や感情を勘案することはなかった。ルーと出会う前ならば、馘首にされないまでも別の仕事に回されていたかもしれない。


「余計な棘だと思うなら、なおのこと早く抜いておいたほうがいい」

「ご配慮ありがとうございます」


マヤは素直に感謝を述べたが、どうやってブルーノと折り合いをつければ良いのか。あの日の苦い記憶が甦る。



「母上が会いたがっている」

「お断りします」


反射的にそう告げてから、湧きあがってきたのは強い怒りだ。今更何を言っているのだろう。


「母上はずっと後悔していた。落ち着いた頃には竜族に拾われていて、引き取りたいと申し出ても聞き入れてもらえなかったそうだ」


視界の端に留めていたルーから視線を引き剥がし、ブルーノを睨みつけると僅かに怯む気配があった。


「あの人が何を思っていても、私には関係のないことです」


父様が手を差し伸べてくれなければあのままのたれ死んでいたか、後ろ暗い連中の手に掛かっていただろう。食べ物の誘惑に釣られたこともあるが、本能的に危険を身近に察知していたからこそ、父様に付いて行ったのだ。


「それでもあんたの、俺たちの母親だ」


くどい、と思いかけて、ルーから目を離していたことに気づき、視線を戻してぞっとした。


諦めと罪悪感を含んだ瞳はどこか虚ろで、今はもう無縁のはずのものだったのに。

自分の失態を悟り、元凶と思しきクレイを締め上げたが、制止するルーの顔色が今にも倒れそうで、慌ててそちらを優先した。


どうして目を離したのかと歯噛みしていると、ぽつりと漏らしたルーの言葉にすぐさま行動に移した。落ち込むのは後回しで、今はルーのことだけを考えなければ。

そう思ったら自然と自分の過去を打ち明けていた。


それが功を奏して何とかルーを、さらには狼狽するアレクシスをも落ち着かせることができ安堵したのも束の間、ルーからクレイと二人で話したいと告げられたのだ。

アレクシスが難色を示すだろうという予想に反して、フィンを護衛に付けることを条件に許可が下りた。


ルーはアレクシスがフィンと言葉を交わせることを知らない。それなのにどういうことかフィンはルーから口止めをされたために、話の内容を聞き出せないという事態に陥ってしまった。


ルーがクレイに惹かれている様子はないが、要注意人物との間に何があったのか気に掛かる。さらにアレクシスが不安を覚えたせいか体調を崩し、屋敷内が騒然となった矢先のことだ。



「手紙、ですか」

「ええ、クレイに渡してほしいの。お願いしてもいい?」


ルーの頼みなら断るつもりはないが、躊躇する気配を感じたのか不安そうな表情に変わる。


「承知いたしました」


そう言って受け取ると、ルーはほっとしたように小さく笑みを浮かべた。そんなルーの背中を見つめていると、背後から声が掛かった。


「マヤ、それは私が預かりましょう」

「いえ、大丈夫です」


マヤの返答にファビアンの表情から感情が消える。竜族の竜帝に対する忠誠心は強い。竜帝の大切な番に不用意な言動をとるほど愚かではないが、滅多にないアレクシスの不調に焦れて何とかしようと必死なのだろう。それでもルーから託されたものを勝手に渡すわけにはいかない。


「ただの確認ですよ。主人の憂いを晴らすことも使用人の務めでしょう」

「私はご主人様からルー様を優先するように命じられています」


苛立ちを示すかのようにファビアンが目を細めた。無理やり奪われることはないだろうが、竜族から圧を向けられれば、本能的に従ってしまいそうで怖い。


「ファビアン、おやめなさい。ご主人様はそのようなことを望んでおりませんよ」


テレサの声に空気が緩む。背中にびっしょりとかいた汗が気持ち悪い。


「マヤ、用事を済ませていらっしゃい。ただ私もアレクシス様が心配なの。お嬢様のご要望を叶えた上で、可能な限り事情を探ってきてちょうだいね」


更に難しい仕事を頼まれたと気づいたが、マヤにはどうすることも出来なかった。

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