氷解
「アレク、体調はもう大丈夫なの?無理してない?」
「うん、ルーが好きだと言ってくれたからもう大丈夫だよ。恋の病だから一生完治しないけどね」
愛しくて堪らないというように甘い眼差しのまま、アレクシスから言われてルーはその言葉の意味を咄嗟に理解できなかった。
「ルーが他の男と密会するから、胸が苦しくなったんだよ。私にもマヤにも秘密にするなんて、どれほど気を揉んだことかルーには分からないだろうね」
詰るような言葉すら甘く、降り続ける口づけは止まらない。言葉の意味を認識するとともに頬がじわじわと熱を帯びていく。
確かにアレクシスは病気だと言わなかった。ただの体質だというのも番に対する本能のことだと分かればその通りでしかない。
(でも、だったらそう言ってくれればよかったのに……)
ふっと笑む気配とともにまたひとつ、瞼に柔らかな感触が落ちる。
「私はルーに愛されたかったからね。罪悪感で縛り付けるくらいなら、距離を置いた方がまだましだと思ったんだよ」
もう離さないけれどね、と耳元で囁かれた声に背筋に妙な感覚が走り、身体の力が抜けそうになる。
きつく抱きしめられているのに、それでも息苦しさを感じない絶妙な力加減でアレクシスはどれだけルーを気遣ってくれているのだろう。
嬉しくて心がほこほこと満たされて、まるで微睡みの中にいるようだ。
(温かくて優しくて、幸せ……)
寝不足だったこともあり、そのまま意識が途切れそうになった瞬間、ルーははっと身体を起こした。
「クレイを放置したままだったわ!もう帰ってしまったかしら?」
「私の前で他の男を気にするなんて……。好きだと言ってくれたのに」
眉を下げ拗ねたように唇を尖らせたアレクシスは、輪郭をなぞるようにルーの頬を撫でる。艶っぽい仕草に顔を真っ赤にしたルーを見て、アレクシスは楽しそうにルーの指先に口づけた。
はぐらかされようとしていることに気づいて抗議すると、残念そうな顔をしたアレクシスとともにルーは応接室へと引き返したのだった。
「この度は大変申し訳ございませんでした」
平伏した状態で声を発したのはお姫様――ユーリア・D・ビエリ侯爵令嬢だった。あれから一週間、謝罪と説明の場を整えたのはアレクシスだ。
当初はクレイとルーとでカフェなどに出向き話を聞く予定だったが、竜帝の番を呼びつけるのは不敬だとアレクシスがビエリ侯爵家に直接連絡して、屋敷を訪問するよう手配した。
尤もらしいことを並べていたが、できる限りクレイとともにいる時間を減らそうとしているのだとマヤから聞いて、呆れながらも嬉しくもある。
「顔を上げていいよ。ルーが、私の番が気にするから椅子に掛けて」
隣に座るルーの手を繋いだまま、アレクシスが淡々と声を掛ける。想いを伝えてからアレクシスから触れられる頻度が増えた。これまでも十分甘やかされていると思っていたのに、表情や言動にあからさまな愛情表現が加わり、マヤが控えめだと言った意味を実感している。
ユーリアの隣には藍色の小柄な青年が、背後には侍女らしき女性が緊張と不安が入り混じったような面持ちを浮かべている。
「誤解が生じてしまったのは、わたくしがこちらのレクス様に婚約破棄を告げる手紙を学園で読んでしまったせいでしょう」
事情を聞けば、ほんの些細なボタンの掛け違いが原因だった。
まず、アレクシスとレクスと名前の響きが良く似ていたため聞き違えてしまったのだろう。
さらに沈痛な表情で謝罪を告げたのは侍女のヴァレリーで、婚約者のいるユーリアに余計な虫が付かないようにと竜帝の婚約者としても相応しい令嬢だと印象付けることで牽制したのだった。
他の高位貴族であれば余計な波風が立つかもしれず、竜帝という圧倒的な存在を匂わせればいたずらに付きまとうこともないと踏んだヴァレリーの判断が、クレイに誤った認識を与えることになったのだ。
最後に婚約破棄を告げたレクスだったが、彼は獣族の中でも地位の低い鼠族の子爵令息だった。不釣り合いだと言われ続けながらも一途に想いを寄せてくれるユーリアに惹かれ、周囲の反対を押し切られるように婚約を結んだ。
だがユーリアの兄から妹の幸せを考えるよう言われ、悩んだあげく、番を見つけたと嘘を吐き婚約破棄を決意したそうだ。
「それでも結局ユーリア様を諦めきれず婚約破棄を撤回することになりました。そもそもの原因は私にありますので、全ての責はどうか私にお与えください」
「レクス様……!」
目の前で繰り広げられる光景に、ルーはそっとクレイに視線を向ける。お互いを気遣い、愛おしさを視線で交わす様子をクレイはどんな気持ちで見ているのだろうか。
気を揉むルーの心情とは対照的に、クレイは穏やかな瞳で二人を見つめていた。
「断片的な情報に踊らされた愚か者がいただけで、君たちを咎めるつもりはない。ただ私の伴侶に相応しいのは生涯ルーだけだ。今後それ以外の存在を仄めかすような発言をした際には相応の覚悟をしてもらうよ」
アレクシスの言葉に全員が深々と頭を下げて、承諾の意を示した。
「アレク、クレイと少し話をしたいのだけど……駄目かしら?」
「駄目じゃないよ。あまり嬉しくはないけど、気になるのだろう?」
アレクシスは以前と比べて気持ちを伝えることが増えた。ルーの行動を引き留めるような言葉もあるが、最終的にはルーの希望を尊重してくれることが多い。
護衛としてフィンを残して二人きりになると、先に口を開いたのはクレイだった。
「慰めの言葉はいらないよ。これ以上陛下に睨まれたくない」
「慰めというか、お礼を言いたくて」
何を言っているんだこいつ、というようにじっとりした目を向けられる。
「クレイが協力してくれたから胸のつかえがとれたし、アレクと向き合うことができたわ。だから、ありがとう」
「番様、お人好し過ぎるでしょ。そんなのだと悪い男に騙されるよ」
「ふふっ、アレクにも同じことを言われたわ」
口が悪いのに忠告するクレイはやっぱり面倒見が良い人だ。
「……僕も、ユーリア様が幸せだって分かって良かったよ。………ありがとう」
小さな声だが、確かに聞こえて来た言葉にルーは口元を綻ばせた。
「ルー、会いたかった」
クレイとの話を終えてアレクシスの元に向かえば、そんな言葉と共に抱きしめられた。ほんの10分程度しか経っていないはずなのに、と思いながらも嬉しそうなアレクシスの表情にルーも嬉しくなってしまう。
抱きしめ返すと瞳がとろりと甘くなり、美しい菫色に視界が埋め尽くされる。反射的に目を閉じると顎が持ち上げられ、唇が重なった。
柔らかな口づけは離れたかと思えばすぐに重なり、熱い吐息に眩暈がしそうだ。
「ルー、私の願いも叶えてほしいのだけど」
ふわふわする頭で顔を上げると、アレクシスはどこか面映ゆげな顔で告げた。
「領地のエルクセリアの者たちにルーを番として紹介したい」




