平行線
「怖い顔してどうしたの、番様?」
にこにこと無邪気な顔で訊ねるクレイは、いつもと変わらない口調だ。だけど瞳の奥には冷静にこちらを窺うような色がある。
これまで気づかなかったのは、初めて声を掛けてくれた同級生に別の意図があったと思いたくなくて、無意識に目を逸らしていたのかもしれない。
(お友達に憧れて大事なことを見落とすところだったのね……)
「クレイ、竜帝陛下に婚約者はいなかったのではないかしら?公にされていなかったと言っていたけれど、それならクレイはどこでその話を聞いたの?」
「陛下の婚約者って何のこと?そんな噂知らないけど、これってもしかして僕を嵌めようとしてる?」
マヤに席を外してもらったせいで逆に警戒させてしまったのかもしれない。不用意な発言は危険だと判断し惚けることにしたらしいクレイに、ルーは言葉を重ねた。
「クレイが知らないと言うのなら構わないわ。自分で調べるだけだから」
「婚約者がいたかどうかなんて、どうやって調べるの?もしも婚約者がいたとしても、馬鹿正直に陛下が教えてくれるとでも?わざわざ番を不安にさせる真似なんてしないよね」
アレクシスに直接確認するのが一番早いのは分かっている。
クレイはアレクシスが明かすはずがないと思い込んでいるが、ルーはアレクシスが嘘を吐かないと考えているので、どのみち平行線に変わりはない。
マヤとアレクシスの言動からルーは婚約者がいなかったと考えているものの、クレイの言葉も単なる虚言とは思えないのだ。
「クレイの言うお姫様はきっと高位貴族のご令嬢なのでしょう。学生であるクレイがご実家である商会を通じて、お知り合いになる可能性は低いわ。だからきっとお姫様とはこの学園内で出会ったのではないかしら?」
無言でルーを見据えるクレイからは何の感情も読み取れないが、まだその場に留まっている。この機会を逃せば、クレイは二度とルーに関わらないような気がして、ルーは自分の推測を続けた。
「その方がまだ在籍中だったら、クレイは私に話しかけてこなかったと思うの。だから私が番だと判明した期間から考えて、三ヶ月以内にこの学園からいなくなった方に絞れば、該当のお姫様を探し出すことが出来ると思っているわ」
根拠と呼べるものは何もない。ルーに分かるのは、婚約者のことを告げるクレイの声にはお姫様に対する深い同情が込められていたことだけだ。
もしもお姫様がまだここにいたのなら、クレイはルーに近づかず、お姫様を気遣い護っていただろう。
「……探してどうするつもり?」
静かな問いかけが、ルーの言葉が正しいと告げている。
「直接それが真実かどうかお尋ねするわ」
「婚約破棄の元凶となった番に会って何も思わないとでも?ははっ、厚顔無恥にも程があるね!あの方には何一つ敵うことなどないというのに、番だからというだけで選ばれたことを理解してないのかな?」
温度が戻った瞳は怒りに燃えていて、ルーはなるべく冷静に聞こえるように言葉を返す。
「どうしてクレイは陛下に婚約者がいたなんて思うの?陛下に婚約者の方がいたのだとしても、一方的に破棄するようなことはしなかったはずだわ」
「あんたの勝手な思い込みだろう。超越者である陛下には下々の心など些末事なんだよ。あんたも子供が出来たら用済みとばかりに捨てられるんじゃない?」
クレイの一言にルーは反射的に言い返した。
「アレクはそんな人じゃない!」
顔が熱くなったが、それは羞恥のせいではなく怒りの所為だ。
人としては欠陥品だと告げた時のアレクシスはとても寂しそうに見えた。出会った当初、上手く会話がかみ合わなくて戸惑っていたのは、きっとルーだけじゃない。
余裕がなかった当時は気づかなかったが、アレクシスはどれだけ懸命にルーのことを考え、理解してくれようとしていたのだろう。
人としての感情が薄かったと言うものの、横暴な振る舞いや他者を傷付けるようなことはなかったはずだと思えるのは、優しさや思いやりを知らなければ他者にそれを与えることが出来ないからだ。
「アレクは誠実で思いやりのある優しい人よ。もしもアレクが私を利用するために側に置いたのなら、学園に通わせる必要なんてないわ。クレイこそ勝手な思い込みでアレクのこと悪く言わないで」
ルーの剣幕に驚いたように目を瞠っていたクレイだったが、すぐに見下すような表情に変わる。
「番の前だから良い顔をしているだけでしょ。何もかも思い通りになる権力を持っているのだから、何かあっても対処することは容易いだろうしね」
「そもそも婚約者がいた学園に通わせるなんて、おかしいと思わない?もし婚約者がいたなら彼女と接点があった可能性がある生徒をそのまま放置しないと思うわ」
ルーの指摘に、クレイが押し黙った。本気でアレクシスが隠そうと思ったら、ルモニア学園への編入を提案しなかっただろう。
「……でも、僕はあの方の悲痛な声を聞いたんだ。陛下はあの方に露ほども興味を持っていなかったとも考えられるけど、これ以上は平行線だろう。もうあんたには関わらないから、あんたもあの方に関わらないでくれ」
拒絶を示すかのように向けられた背中に、ルーはぎゅっと手の平を握り締めた。ここで引き留められなければ、クレイは二度とルーの前に姿を見せないような気がする。
「でも……それだとずっとクレイは辛いままだわ」
「は……何それ?」
後悔はずっと心の深いところに残る。お祖母様の手を拒絶して以来、ルーは家族に受け入れられることに固執していた。傍から見れば滑稽だったに違いないが、自分の選択が間違っていなかったと思わなければ苦しくて仕方がなかったからだ。
(クレイが私と同じとは思わないけど……)
もしも誤解であったなら、クレイの心に刺さった棘は抜けるだろう。
「私も、知りたいの。それが私にとって不都合な事実でも、お姫様を傷つける結果になっても、このままにはしたくないわ」
「……傲慢だね」
「ええ、そうね」
ルーが余計な詮索をすることで他者を傷つけてしまうことになっても、クレイとルーにとっては必要なことだと思うのだ。
感情の読めない瞳でこちらを窺うクレイに、ルーはクレイから目を逸らさないようぐっと力を入れる。
「…………条件は付けるからね」
しばらく無言で睨み合った後、クレイは溜息とともにそう告げたのだった。




