たわいもない質問
出て来たばかりの部屋に戻ることになったが、アレクシスはべったりとルーに張り付いて離れない。
「ご主人様」
マヤが咎めるように呼び掛けると肩を抱く腕の力が一瞬強くなったが、ルーが身じろぎするとすぐに緩んだ。
「マヤ、大丈夫よ。私が勝手なことをしたせいで、アレクに誤解させてしまったから。アレク、ごめんなさい」
「ルーは悪くないよ。マヤから言われていたのにルーを追い詰めてしまった。ごめん、本当にごめんね。……勝手に触れられて、嫌だったよね」
ようやく腕を解き、ルーを膝の上から下ろしたアレクシスは明らかに消沈していた。
「嫌じゃないわ。それにアレクは本当に何も悪くないの。私がいつまでも至らないから」
「ルーのせいじゃない。ルーには時間が必要だと分かっていたのに、私が自分の望みを優先してしまったからだ」
「お二人ともその辺で止めてください、切りがないですから。それよりも、ご主人様はどうしてこちらに?お嬢様に一人で考える時間をくださるようお伝えしたはずですが?」
お互いに自分が悪いと主張を続けるのは不毛だと言わんばかりに断ち切ったマヤは、アレクシスに冷たい視線を向けている。
「ルーが滞在する場所の安全を確認しようとしただけだよ。だからルーに会うつもりはなかった」
迎えに来たわけではないと言ったのは、マヤに向けての言葉だったらしい。
マヤはルーにゆっくりと考える時間を与えようとしてくれていたのだ。ホテルに滞在予定だったルーが、説明もなく何処かに行くような言動をしてしまったため、それを知らないアレクシスは驚き、ルーを引き留めようと必死になってしまったということらしい。
「屋敷に戻るつもりだったの。アレクが別の用事なら邪魔をしてはいけないと思って、早々に会話を切り上げようとしたのが悪かったのね。誤解させてしまってごめんなさい」
「……良かった」
その一言に込められた深い安堵の響きに、余計な気苦労を掛けてしまったと申し訳なさを感じたが、マヤの言葉を思い出してぎゅっとそれを押し込める。
アレクシスの気持ちが負担なわけではなく、自分に自信がないからと言っていつまでもそれを言い訳にしてはいけない。
「屋敷に戻ってくれるのは嬉しいけれど、ルーは我慢していない?嫌だと思うことがあったら何でも言っていいんだよ。私に話しにくければマヤに伝えてくれてもいいから」
既視感のある問いかけに、ルーはディルニス王国に到着してからすぐにアレクシスから尋ねられた言葉を思い出す。あの時同じようにアレクシスは不安や悩みがあれば誰かに相談するよう伝えてくれた。その時アレクシスはどこか憂いを帯びていたように見えたが、ルーが居た堪れなさを覚えていることを感じ取っていたのではないだろうか。
それがルーの問題であることは今も変わらないのだが――。
「アレクに聞きたいことがあるの」
続きを促すように優しい眼差しを向けられて、ルーは質問を口にした。
「アレクの好きな食べ物は何かしら?」
「……私の好きな食べ物?」
小首を傾げてルーの質問を繰り返すアレクシスを見て、ルーは顔が火照ってくるのを感じる。
(今更な質問だし、きっと変に思われると分かっていたけど……)
番であることに不安を覚え、アレクシスとの関係をどうしていいか分からず、相手に踏み込むことが出来ず立ち止まっていた。
だけどもう目を逸らして逃げ出したくない。
「アレクのことを知りたいの。アレクに喜んで欲しかったのに選べなかったせいで、結局嫌な思いをさせてしまったわ。……アレクが私にしてくれるように、私もアレクに何かしてあげたいの」
してあげたい、なんて傲慢だっただろうか。膝に置いた手に力が入り、スカートに皺が寄る。
「嬉しいことを言ってくれるね。ルーからそんな言葉を聞けるなんて、とても幸せな気持ちだよ」
目を細め慈しむような眼差しに、ルーの心も温かいもので満たされる。アレクシスが嬉しいとルーも嬉しい。
この気持ちはマヤや祖父母に感じるよりも強くて、何だかアレクシスを抱きしめたいような衝動に駆られる。
「そうだね。バートの作るローストビーフはかなり好きかな。ルーは?」
アレクシスに問い返されて、はしたない考えを振り払う。
「ブルーベリーが大好きだってさっき気づいたわ。バートの作る料理ならベーコンと野菜のトマトスープかしら」
「ああ、それなら野菜たっぷりのトマトクリームスープも好きだと思うよ。スパイスが効いていて冬にぴったりだから、近いうちに作ってもらおう」
スパイスの効いたスープという説明に、ルーは直感的に訊ねた。
「もしかして、それってロルロ国の家庭料理?」
「うん、良く知っているね。食べたことがあるのかな?」
「昔、本で読んだ時に食べてみたいと思った料理なの。ずっと忘れていたのに、まだ覚えていたなんて不思議だわ」
たった一つの質問から広がっていく会話が楽しい。迂闊な発言で相手を不快にさせてはいけないとなるべく話さず、聞き役に徹することが多かった。相手を知るということはその情報だけでなく、会話の中で交わされるやり取りも含まれるのだろう。
たわいのない質問にも関わらず、アレクシスは楽しそうに返してくれる。
「アレクは何色が好き?」
「榛色と赤茶色だね」
その回答がルーには少し不満だった。祖母から受け継いだ瞳と髪の色を、今では厭うことはないが、一般的に好みとして挙げられる色ではないのだ。
「じゃあ、私と出会う前はどんな色が好きだったの?」
「ルーに出会うまではそんなこと考えたこともなかったよ。色だけではなく料理も本も植物も、特定の物を好むことはなかったからね」
少し困ったような表情で、アレクシスは続けた。
「私は竜帝を継ぐ者としては完璧だったけれど、人としては欠陥品だったのだろう。だけどルーに出会って、人としての感情を得て想いを知った。今まで見ていた景色すらも違って見えるんだ」
アレクシスの言葉でルーはようやく腑に落ちた気がした。どうしてそれほどまでに番を望むのか、アレクシスに好意を向けられる理由に納得しかけたが、アレクシスは首を横に振った。
「勘違いしないで欲しいのだけど、自分の不足を埋めるためにルーといるわけではないんだよ。確かに番を慈しみ愛したいという欲求は本能的なものだけど、理性がなくなるわけではない。竜帝である私は本能だけを優先させるわけにはいかないからね。どれだけ番を愛しく思っていても、ルーでなければきっと駄目だっただろう」
それはどんな理由なのだろうと続きを待つルーに、アレクシスは口元を綻ばせながら人差し指を添えて言った。
「それはまだ秘密だよ。ルーだって私に伝えていないことがあるだろう?」
帰りたくなかった理由が買い物の件でないことにアレクシスは気づいたのだろう。それでも全て打ち明けないのはお互い様だとルーが気にしないようにしてくれたのだ。
「ありがとう。いつかちゃんと話すから、もう少し時間をちょうだい」
良い子だというように撫でてくれたアレクの手は温かかった。




