嘘と懇願
「紅茶を淹れ直しますね。一緒にケーキなども頼みましょうか?」
特にお腹が空いていたわけでもないのに、メニューを見ると食べたくなってしまうのだから不思議だ。
「ブルーベリーのクリームパイを頼んでもいいかしら?」
「ええ、勿論ですよ。お嬢様はブルーベリーがお好きですよね」
言われてみれば確かにそうだと思い至った。好き嫌いができる環境ではなかったし、食べられるだけ有難いのだと、自分の嗜好について考えることを無意識に避けていたような気がする。
望んでも手に入らないことは辛いことだったから。
アレクシスに保護されてからもバートの料理は何を食べても美味しかったため、あまり気に留めていなかったのだが――。
「もしかして、いつもお昼にブルーベリーとクリームチーズのサンドイッチが入っていたのは私のためだったの?」
「もしかしたら好物かもしれないと、ご主人様が父に指示しておりました」
ルー自身が気づいていなことも、アレクシスは丁寧に汲み取ってくれる。至らない自分との差を痛感していると、マヤは付け加えるように言った。
「竜族は基本的に個人主義だそうですが、特別な存在には過剰なほどに愛情を注ぐ傾向にあるようです。父も最初は同情から面倒を見てくれたようですが、自分の作る料理を美味しそうに食べる顔を見ているうちに愛着が湧いたそうで、すっかり過保護になってしまいました。これは子供の時だけでなく、今もそうです」
普段と若干様子が違うだけですぐに気づくので良し悪しですね、と溜息を吐くマヤはそれでもどこか嬉しそうに見える。
仲良しだなと思わず笑みを漏らすと、マヤは誤魔化すように軽く咳払いをして続ける。
「ですので、あれでもご主人様は抑えているほうなんですよ。お嬢様が受け取りやすいように控えめにと申し上げておりますが、これまで誰に対しても一定の距離を保っていた方なので、程度が分からず今回のように見誤ることもあるかと思います。お気になさらないことは難しいでしょうが、そういうものだとお含みおきください」
そんなマヤの言葉にルーは目を瞠った。ルーが気にしていることを察して種族の違いを説明してくれたのだろうが、婚約者に対してもそんな距離感だったのだろうかと驚いてしまったせいだ。
「……アレクもそれなりの年齢なのだし、その……恋人のような方はいなかったの?」
婚約者についてはルーから言及できないので、言葉を変えて訊ねてみた。獣族は貴族であっても恋愛結婚は珍しくないので、不自然ではないはずだ。
聞いてどうするのかと自問する声よりも、この機会を逃せば二度と聞けないかもしれないという焦りのような気持ちの方が強かった。
「そのような方はおりませんでしたよ。ご主人様は他者との関わりが希薄な方で、身体的な接触を伴うダンスなども避けておられましたから」
マヤが婚約者の存在を知らないなんてことはあり得ないだろう。
ルーと出会う前からずっと侍女として働いていたのだ。アレクシスの専属でなくても、客人の世話は侍女の仕事の範囲内であり、マヤはアレクシスに随行して働いていたという。
マヤが嘘を吐いている可能性はゼロではないけど、そんな風には見えないし、露見した時に信頼を失うような言動をマヤがするとは思えない。
それに嘘を吐いているというなら、クレイも同じだ。それなのにあっさりと婚約者の存在を信じてしまったのは――。
(私自身がそれを望んでいたからだわ……)
望んでいたというのは語弊があるかもしれないが、アレクシスにはもっと相応しい人物がいるはずだという考えは常にどこかにあった。それはルーの自信のなさの裏返しであり、罪悪感を逸らすための言い訳だったのだろう。
(……アレクに会いたい)
何を話せば良いか分からなくても、この気持ちをきちんと伝えられなくても、ただ会いたいと思った。
「マヤ………ごめんなさい。迷惑を掛けるけど、お菓子を食べたら屋敷に戻ってもいいかしら?」
「勿論です。迷惑などではございませんので、何なりとお申し付けださい」
躊躇いもなくそう言い切ってくれたマヤの言葉を頼もしく思う。まだ何も解決していないのに、家に帰ろうと決めたら何だか心がすとんと落ち着いたような気がした。
パイを食べ終えてロビーに向かうと、見覚えのある後ろ姿がある。マヤを見るとこちらも怪訝な表情をしており、マヤが連絡したわけではなさそうだ。
声を掛けようかと思っていると、アレクシスが弾かれたように振り向いた。
嬉しそうに瞳を輝かせたかと思うと、はっとしたように眉を下げて何かを堪えるように目を閉じた次の瞬間には、いつもの穏やかな微笑みに変わっていた。その表情がどこか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「ごめんね。迎えに来たわけじゃなくて、少し確認したいことがあっただけなんだ」
帰ると決めたのはつい先ほどのことなので、アレクシスが来たのは別の用事なのだろう。少し残念な気がしたものの、すぐに会えたことは素直に嬉しい。
「ええ、大丈夫よ。マヤ、行きましょう」
邪魔をしないようマヤと先に帰っておこう、と立ち去りかけたルーの視界がくるりと回る。
「ルー、どこに行くの?私から逃げたくなってしまった?ルーがそんなに気にしていたなんて思わなくて。いや、そんなことにも気が付かない男だから愛想を尽かしてしまったのだね。もう二度と物を強請ったりしないからどうか私を捨てないでおくれ。ルーが私に会いたくないと言うなら勝手に会いに来たりしないから。ただ不特定多数が訪れる場所ではどうしても安全が確保できない。私が出て行くからどうか屋敷に戻ってくれないか?ルーが安全な場所にいないと不安で仕方がないんだ」
「ご主人様、落ち着いてください。お嬢様が戸惑っておられます」
ぎゅっと抱きしめられながら勢いよく畳み掛けられて、返事を出来ないルーの代わりに、マヤの淡々とした声が響いたのだった。




