悩みと相談
相変わらず遠巻きにされているものの、学園にも慣れてきた日のことだった。
「おい」
昼食を終え、マヤとともに教室に向かっていたルーは、その呼び掛けに半ば反射的に振り返った。かつてはこのような乱暴な呼びかけは自分に向けられるものだったからだ。
「っ、失礼いたしました!貴女様ではなくその隣の女に対してでしたが、ご不快な思いをさせてしまったこと、お詫び申し上げます」
「……マヤは私の侍女ですが、彼女に何かご用ですか?」
ルーに対しては丁重な態度で詫びてはいるが、マヤには横柄な態度を取っても構わないというような口振りに、ルーはむっとして言葉を返した。
「ルー様、煩わせてしまい申し訳ございません。ルー様が相手にするほどの者ではございませんので、参りましょう。私への用件は手紙でお願いします」
「竜族の後ろ盾があるからと、随分と偉そうに振舞うのだな。血の繋がりもなく同情だけで世話になっている分際で図々しいとは思わないのか?」
男の背丈はアレクシスと同じぐらいだが、がっしりとした体躯と鋭い目つきは威圧感がある。後退りかけた自分に気づいて、マヤを護らなければと前に出ようとするよりも先に冷ややかな声が上がった。
「思いませんね。私の仕事は竜帝陛下の大切な方をお護りすることです。私を足掛かりにルー様に取り入ろうということでしたら、厳重な抗議を入れさせていただきます」
取り付く島もないマヤの態度に、男が怯んだように瞳を揺らす。
促すようにマヤの視線にルーはその場から離れたが、何故かその男の表情が気になって頭から離れなかった。
「あの男はブルーノ・B・クンツと言って、私の母方の親族に当たります。お互いの存在は知っていますが、接触はないものと放置しておりました。申し訳ございません」
教室に入る前にマヤが淡々と告げてルーに頭を下げた。獣族でミドルネームを持つ者は歴史の古い貴族である場合が多いらしい。
(マヤはもしかして身分の高い方の子供なのかしら?)
言われてみれば、どことなくマヤに似た面影があったような気がする。
マヤは獣族と人族の間に生まれた子供であることは聞いていたが、それ以上はあまり触れてほしくなさそうだったのでルーから訊ねることはなかった。
今もあまり口にしたくなかったのか、謝罪には質問を拒否するような響きが感じられた。
「マヤのせいじゃないよ。……もし、私に出来ることがあったら言ってね」
「恐れ入ります」
その後マヤは表面上いつも通りに見えたものの、どこか元気がなさそうで、それでも踏み込んでいいのか分からない。
そんな風にもやもやした気持ちを抱えながらも、ルーはそのことを口にできずにいた。
「学園には慣れたかな?何か困ったことはない?」
珍しくマヤが不在でテレサが給仕をしてくれたものの、すぐにいなくなってしまった。
二人でお茶を飲むのはいつものことだが、必ず誰かが側に控えているのが当然だっため少しだけ違和感を覚えながらも、アレクシスの問いに答える。
「ええ、授業もちゃんと付いていけているわ。以前よりも勉強することが楽しいと思えるの。この間習ったことなのだけど――」
以前は授業を受けながらも、家事やメリナからの無理難題について考えることも多かった。こうして授業に集中していると、違う角度から疑問を覚えたり、もっと知りたいと興味を引かれることも増え、それが学園に通うモチベーションにも繋がっている。
ひとしきり話した後で、アレクシスが困ったように微笑んでいることに気づいた。
興味のないことを話し過ぎてしまっただろうか。
「ルー、本当に何も困っていない?それとも私では力になれないのかな……」
「アレク……?」
「最近少し元気がないように見えたのだけど……私の勘違いかな?」
『困ったことはない?』
学園に通い始めてから、アレクシスからそんな風に訊ねられることが増えた。過保護だなと思いながらも、ルーは何もない、大丈夫だと答え続けていたのだが、アレクシスはどんな気持ちで聞いていたのだろう。
本当は友達が出来ないことに落ち込んでいたし、マヤにどう寄り添っていいか分からずに悩んでいたのに、それをアレクシスに相談しようと考えたことはなかった。
心配させたくなかった、アレクシスは忙しいのだから、など理由はいくつも浮かぶ。
(でも、本当は友達も作れないような人間だと思われるのが怖くて恥ずかしかったからだわ……)
そんなルーのちっぽけな虚栄心のために、アレクシスが心を痛めていたと思うと申し訳なさに自然と頭が下がる。
「ごめんね。ルーを困らせたいわけじゃないんだ」
「ち、違うの。私のほうこそ心配かけてごめんなさい。……実は学園で友達を作ろうと思っていたのだけど、少し上手くいかなくてそんな風に見えたのかもしれないわ。でもこれから出来るかもしれないし、出来なくても本来の目的ではないのだもの。大丈夫よ」
「私の番だと周知したことで、ルーの邪魔をしてしまったのだね」
それが全てではないのだが、敬遠されているのは事実だ。
悲しそうに眉を下げるアレクシスを見て、ルーは自分の言語能力を恨めしく思う。もっとスマートにアレクシスを落ち込ませることなく、伝えられたらどれだけ良かったか。
「でもアレクが伝えてくれていて良かったと思っているわ。自分から番だって言えなかったと思うから、仲良くなった子に隠し事をしなくて済んだもの」
「ルーは優しいね」
ふっと和らいだ表情にルーもほっと胸を撫で下ろす。アレクシスに嫌な思いはさせたくない。
(マヤももしかして同じなのかしら……?)
誰かに相談出来ているのなら良いけれど、マヤの性格からして一人で抱え込んでいるような気がする。
「アレク、マヤのことでバートに少し聞きたいことがあるの。いつでも良いのだけど時間をもらえないかしら?」
アレクシスがすぐさま手配してくれたため、時間を置かずバートがやってきた。少し緊張した様子のバートに、アレクシスはソファーに座るよう声を掛ける。
「ルーがマヤのことで聞きたいことがあるそうだ」
緊張な面持ちはそのままだが、その瞳には案じるような気配を感じられてルーは口を開いた。
「私の気の所為かもしれないけれど、マヤが、少し元気がないように見えるの。バートはどう思う?」
「お嬢様にご心配をお掛けして申し訳なく思っております。私も最近は様子がおかしいと思い訊ねたのですが、何でもないの一点張りでして。父親として面目ないことですが年頃の娘にどこまで踏み込んでよいのか分からず躊躇しておりました。もしお嬢様に何かお心当たりがございましたら、教えていただけないでしょうか?」
真摯な瞳から父親の愛情が伝わってきて、自分に向けられたものではないのに心がぽかぽかと温かくなるようだ。
「ブルーノ・B・クンツ様を知っている?マヤはお母様のほうのご親族だと言っていたけれど、あまり良い関係ではなさそうだったわ」
ルーの言葉に目を瞠ったバートは、ぐっと何かを堪えるように息を吐いた。
「お嬢様、教えてくださりありがとうございました。彼はマヤにとって義弟に当たります。マヤの母親は――」
「バート、待って!」
不作法ではあるものの、ルーはバートの言葉を遮った。
「マヤが言いたくないことを私が勝手に聞いてはいけないと思うの。でもバートはマヤの家族だから」
心配を掛けたくないのかもしれないが、このまま一人で悩み続けることが最善だとも思わない。
「娘に過分な配慮をいただきまして、父親としてお礼を申し上げます。これ以上お嬢様にご心配をお掛けしないためにも、マヤと話してみます。ご主人様、お時間をいただきありがとうございました」
慌ただしく退出していくバートを見ながら、上手くいきますようにと念を送る。
「ルー、私にも何か出来ることはない?」
「アレクにはもう十分過ぎるぐらいの物をもらっているわ。いつもありがとう。……私もアレクのために何か出来ることはないかしら?」
側にいるだけでいいとは言われている。だけどそれで本当に良いのかと確認することは少し怖い。
それでもアレクシスに少しでも何かを返せるのなら、躊躇う理由はないだろう。
「それなら明日、私と出かけてくれる?一緒に街で買い物をしよう」
そんなことでいいのだろうかと思い掛けたが、返事を待つアレクシスの表情は期待に満ちている。
「ええ、私で良ければ」
そう答えたルーにアレクシスは嬉しそうな微笑みを浮かべた。心臓が早くなるだけでなく顔まで熱くなってくるような気がして、美し過ぎるのは罪だなと思いながらも自分を落ち着かせるのだった。




