後ろめたさ
それから十日後、ルーはディルニス王国に到着した。
あれからあっという間に準備が整えられ、ルーとアレクシスは馬車で7日間かけて、ディルニス王国へ向かったのだ。
国外どころか王都外にも出たことがなかったルーにとって、移動中は何を見ても新鮮で高揚する気持ちが抑えられなかった。そんなルーにアレクシスは呆れもせず、一つ一つ説明しまるでガイドのように案内してくれた。
ゆったりとした旅程で時間にも余裕があるからと、アレクシスとその場所の名所に立ち寄ったり美味しい名物を食べたりと旅行気分で浮かれていたのだと思う。
「仲睦まじくお過ごしのようで何よりです」
ファビアンの言葉にルーは冷や水を浴びせられたような気がした。嫌味な感じではなかったし、ちょっとした雑談程度のものだっただろう。
込み上げてきた感情を心の底に沈めて、笑顔を作って部屋に戻る。
「キュイ?」
部屋にはフィンしかおらず、肩の力を抜いてフィンを抱きしめた。
どうしてこんなに泣きそうなのだろう。
他意のない言葉は当てこすりなんかではないはずなのに、後ろめたくて苦しい。
ファビアンに変に思われなかっただろうか。
「大丈夫だよ。何でもないから心配しないでね。私は、大丈夫だから」
キューキューと心配そうに鳴くフィンを抱き締めたまま、呟くように言った。
何でもないことなのに、心が揺れるのを止められない。
自分に言い聞かせるように、ルーは胸の中で何度も大丈夫だと繰り返した。
「学園に通うのは一週間後だよ。まずはディルニス王国の生活に慣れないといけないからね」
アレクシスの言葉にルーは頷いた。移動するにつれて街並みには高い山が混じり、空気が少しずつ冷たくなっていくように感じていた。
ディルニス王国は寒冷な気候で冬には雪が積もるそうだ。雪を見たことがないため、今から楽しみでならない。
「こちらの屋敷もルーが過ごしやすいように変えていいからね。不便なところがあったら何でも言って」
以前も簡単に新しい屋敷を準備しようとしていたことを思い出して、ルーは苦笑するしかない。住みやすくなければルーがいなくなるとでも考えているのだろうか。
「アレクは世界中にお屋敷を持っているの?」
「いや、あれは各国が用意したゲストハウスだよ。竜帝専用だから好きに使って構わないと言われているんだ」
だからと言って流石に勝手に改装まですれば注意されるのでは、と思いながらも指摘するのは止めた。それなら新しい屋敷を用意しようと言われる気がしたからだ。
(わあ、素敵!)
煉瓦色の三角屋根はどこか温かみがあり、青い空によく映える。窓が小さいせいか少し薄暗さを感じる部分はあるが、さり気なく置かれた絵画やこっくりした色合いの花瓶などの小物から温かみが伝わってきて、重厚さよりも素朴さを感じられる。
「気に入ってくれたようで良かった。おいで、ルーの部屋に案内しよう」
見惚れていたルーに柔らかく微笑んで、アレクシスが手を差し出す。ただエスコートしてくれるだけなのに、毎回少しだけ躊躇ってしまうのはアレクシスが美し過ぎるせいだと思う。指先を軽く握られるとドキドキして息が苦しくなるのだ。
だがそれも部屋を見た瞬間には忘れてしまった。
淡いミントグリーンの壁紙を基調に整えられていて、ソファーやテーブルは落ち着きのある色合いのため、爽やかすぎ温もりのある印象を与えている。そんな室内をルーは一目で気に入ってしまい、アレクシスの手を思わずぎゅっと握りしめてしまう。
「っ……ルーが可愛い。そんなに気に入ったなら他の場所も全て同じようにしつらえようか?」
「今のままで十分に素敵だから変えなくていいわ。この部屋はアレクが選んでくれたの?」
ルーが訊ねると、アレクシスが柔らかく目を細めた。
「うん。ルーが好きかなと思って」
どこか稚くて誇らしそうな表情は幼い子供のようで、何だか抱きしめたくなったことは内緒だ。
「ルー、何か困っていることはない?」
マヤが淹れたお茶を飲んでいると、アレクシスが微笑みながら尋ねてきてぎくりとする。
困っているわけではない。
ただディルニス王国までの移動から編入の手続き、そして現地での衣食住まで全てアレクシスに甘えている状況が不甲斐なく思っているだけだ。
自立への道を模索したはずが、これでは本末転倒どころかさらに負担を掛けている。
アレクシスからは元々ディルニス王国にも用事があったため問題ないと言われているが、ルーが学園に通いたいと言わなければ訪問しなかったのではないだろうかと勘繰ってしまう。
(番だから大切にしてくれるのは分かっているけど……)
ルーにはアレクシスに返せるものがない。だけどそれはルーの問題だから。
「何もないよ。ありがとう」
「それならいいんだ。もしも何か不安や悩みがあったら言うんだよ。私でなくても、マヤかファビアンにでもいいから相談してごらん。きっと助けてくれるから」
そう告げたアレクシスの表情はどこか憂いを帯びたように見えたのは、光の加減のせいだろうか。
「ルー?」
「あ……ええ、そうするわ」
促すように名前を呼んだアレクシスは、もういつもと変わらない様子で、ルーは気のせいだと思うことにした。いつもの紅茶が少し苦く感じたのもきっと気のせいなのだ。




