自立への道
「アレク、私そろそろ出て行こうと思うの。いつまでもお世話になってばかりいられないから」
この3日間、どう伝えるべきか散々悩んだものの、結局ルーはそのまま思っていることを伝えることにした。
両親と決別した後にアレクシスの屋敷へ戻ってきたが、1週間も経つと流石に滞在しすぎだと落ち着かなくなったのだ。
周囲はルーが番だからと当然のように受け入れてくれているが、ルーの内心は複雑だった。
もちろんアレクシスには感謝しているし、好きか嫌いかと問われれば好きだと答えるだろう。
だけどそれが恋愛感情かと言われると、頷けない自分がいる。
アレクシスはルーに対して子供相手のような過保護さを発揮しているが、番は伴侶として選ばれるものだ。クルトとメリナのような恋人同士の触れ合いは今のところないが、それを望まれた時にアレクシスを受け入れる自分が想像できない。
想いが返せるか分からないのに、側にいるのは不誠実だと思う。
それでもアレクシスは構わないと言うかもしれないが、それに甘えるのは悪いことをしているような後ろめたさを覚えるのだ。
(それに、愛されるのはやっぱり少し怖い)
自分に自信がないと言えばそれまでだが、あんなに美しくて優しい人の番であることがいまだに信じられずにいる。ましてやアレクシスは世界の王とも言うべき竜帝陛下なのだから、美しくも賢くもない小国の男爵令嬢など誰が見ても相応しくない。
番は本能で選ぶと言われているが、いつかアレクシスが我に返って気づいてしまったら。
そう考えると怖くて苦しくて逃げ出してしまいたくなる。
「ルーがいるだけで癒されるのだから、どちらかと言えば私が世話になっている状態だね。うん、やはり賓客としての待遇だけでなく、報酬も用意しよう。相場が分からないけれど、1日10万クロルぐらいかな?」
ルーが勇気を振り絞って伝えた言葉は、曲解され斜め上の方向に打ち返された。おまけに10万クロルは平民が1ヶ月暮らしていけるぐらいの金額だ。1日でそれだけ稼げる仕事など王城務めの高官ぐらいだろう。
「何もしてないのにそんな大金もらえません」
アレクシスはきょとんとした顔をしているので、彼からすればお小遣い程度の感覚だったのだろう。金銭感覚の違いに慄きつつ、ルーは気を取り直して続けた。
「これを機に自立したいの。だからそのためにはまずエメリヒ家の屋敷に戻って、働き先を探すわ」
我儘だと否定されるだろうか。アレクシスが望むなら側にいるべきなのにと叱られてしまうだろうか。
室内にはファビアンと、ルーの世話をするためにマヤがいる。この中で一番難色を示しそうなのがファビアンだ。アレクシスの従者兼秘書なので、アレクシスと一番関わりが深く、仕事全般の補佐を行っている。
ルーが来てからアレクシスの仕事と休憩のメリハリがついて、作業効率が上がったとお礼を言われたことがあった。ルーのおかげではなく単にアレクシスの努力の結果なので、曖昧な返事をしたはずだ。
ルーの言動がアレクシスに大きな影響を与えるということで釘を刺されたのだろうかと思い至ったのは、しばらくしてからのことだった。
直接何か言われたわけではないのに、それ以来ファビアンと話すときは少し緊張する。
「例えばどんな仕事をしようと思っているのかな?」
アレクシスは肯定も否定もせず、ルーに訊ねた。なるべく行動を制限しないようにしてくれているのは分かるが、内容によっては反対することも考えているのだろう。
「ハウスメイドかキッチンメイドとして働ければと思っているの。実家ではひと通り行っていたし、自分なりのやり方だったから通用しないかもしれないけど、他の仕事よりは慣れている分覚えるのは早いのではないかしら」
侍女は主人の世話が主な仕事になるが、ハウスメイドは掃除や片付け、キッチンメイドは皿洗いや下拵えなど雑用が大半だ。
エメリヒ男爵家の当主夫妻の養女となったルーは貴族令嬢であるため、街で働くのは流石に外聞がよろしくない。どこかの貴族の使用人としてならば、礼儀見習いの名目が立つので問題ないはずだった。
「ごめんね。残念だけど、ルーを使用人として雇えるほど豪胆な貴族はいないと思うよ」
「え……?」
アレクシスはルーの名誉を回復するため、国王経由で学園での悪評を取り消すよう要請した。ただ学園長が生徒の前で事実無根だと伝えても受け入れられるどころか疑念を生むと考えた国王は、国璽入りの通達文を各貴族に送ったそうだ。
既にルーの家族が竜帝陛下の不興を買っているため、これ以上関係を悪化させないためにとの判断だったようだが、その結果ルーの名誉は回復したが、ルー・エメリヒは国王が擁護するほどの重要人物だと認識された。
以前学園の側でアレクシスと話していることを目撃されたことも相まって、獣族の中でも高貴な人物の番ではないかと社交界で囁かれているらしい。
思いもよらない理由で、ルーが描いていた自立への道は呆気なく閉ざされることになった。
「ルーがあの屋敷に住みたいのなら勿論構わないけれど、マヤを含めた使用人を数名連れていくんだよ。私も基本的にはそちらで過ごすとしよう。エメリヒ男爵当主夫妻にルーのことを頼まれているからね」
(それは場所が変わっただけで、自立したことにはならないわ……)
お祖母様たちとともに領地に戻る選択肢もなくはなかったが、そうするにはルーの立場は微妙過ぎた。
嫡男だったお父様と縁を切り、ルーを養女にした結果、エメリヒ男爵当主夫妻には現在娘が一人しかいない。祖父の従妹の息子であるアーロンを後継とするならば、婿にするのが一般的だが、その選択肢については一言も言及されることなく、アーロンを養子にすることが決まった。
だがルーの手続きを優先したため、立て続けに養子縁組をすると不審に思われ調査が入る可能性がある。
後ろ暗いことはしていないものの、重箱の隅をつつくような監査は負担が大きいため2、3年間を空けることになったのだ。
アーロンは現在本格的に領地経営を学びながら引継ぎを行っているため、ルーが領地に行けばお互いに気まずい思いをするかもしれない。
祖父母はいつでも帰ってくるよう言ってくれたが、将来の義兄とも良好な関係を築くには少し時間を置いた方がいいだろう。
「ルーが良ければ別の学園に通ってみてはどうだろう?この国ではないけど、獣族と人族、それに優秀な平民が通う学園があるんだ。そこで単位を取れば卒業資格がもらえるよ」
以前通っていた学園で問題を起こした生徒は退学処分になったそうだが、ルーは通う気になれず、アレクシスからも通う場合は護衛を増やすと言われたため、卒業資格を取ることは諦めていたのだ。
将来どのような道に進むとしても、卒業した実績は残しておきたい。
アレクシスの提案にルーは勢いよく頷いたのだった。




