心からの笑顔(アレクシス視点)
「お嬢様は囚われておられるようです」
そう発言したのは侍女のマヤだ。テレサとファビアンに状況を説明したところ、テレサがルーの侍女兼護衛に適任ではないかと連れてきた。
料理長であるバートが養女にした熊族の娘。仔細は聞いていないが、親に捨てられ彷徨っているところバートと出会い、最終的には娘として引き取られることになったらしい。
家族と上手くいかなかったから、ルーの気持ちはよく分かると言う。
「お話を聞く限り、お嬢様は家族に捨てられることを恐れているように思えます。幼い子供にとって親に見捨てられるのは何よりも怖い事です。例えば、言うことを聞かなければ要らない、などと繰り返し脅されていたなら、どれだけ理不尽な要求であっても応えようとするでしょう」
幼いルーが泣いている姿が見える気がした。優しくて可哀想な子。どれだけ心細い日々を過ごし傷ついてきたのだろう。
「ルーがずっと泣いているんだ。その家族から引き離すだけでは駄目なのかな?」
「お嬢様が望まない状態で引き離してしまうのは、あまりよろしくないかと。お嬢様ご自身が家族から離れる選択をしなければ、それが正しいことだといつか気づいたとしてもわだかまりが残ってしまう気がします」
あんな場所に帰したくなどないが、ルー自ら手放さなければ一生引きずってしまうかもしれない。ルーにそんなものを残して欲しくなかった。
「お嬢様には、ご自身の環境が理不尽なものであると認識していただく必要がありそうですね。エメリヒ家にはマヤの滞在を要求します。給料の支払いが不要な使用人で、かつ竜帝陛下の意向となれば、あの夫妻に拒む理由などないでしょう」
ファビアンの言葉に頷くのを僅かに躊躇ったのは、ルーが理不尽な目に遭うことを容認したくなかったからだ。
「ご主人様、なるべくお嬢様の代わりになるよう動きますからご安心ください。恐らくお嬢様は自分より他人を優先する方ですので、そのほうがご自覚しやすいかと思います」
「マヤ、貴女はお嬢様とは初対面ではないの?」
テレサの疑問はアレクシスも同様だった。まだ顔合わせもしていない筈なのに、ルーに対しての理解や思い入れが深い気がした。
「まだお会いしておりませんが、初日にお嬢様の声を聞いてしまったせいでしょうか。本当は帰りたくないのに帰らなければと自分に言い聞かせるような声が、かつての自分と重なってしまって。それに身を挺してフィンを庇うようなお優しい方なのでしょう?お力になって差し上げたいと思ったのです」
「マヤがこんなに話すのは珍しいですね。適任だと思いますよ」
ファビアンの言葉にテレサも同意を示すように頷く。
ルーのためならしばらく側を離れることも我慢しよう、そう思った。
家に戻す前にルーをカフェに連れて行ったが、どこか距離を感じさせる言動に胸が苦しくなる。狼族に罰を与えたことで怖がらせてしまっていたのだろうか。
肯定されるのは恐ろしかったが、ルーに負担を掛けたくないと訊ねると否定した後で必死に謝ってくれた。その様子に辛くやるせない気持ちが込み上げる。
きっと家族に対してもそうやって非がないことにも、自分が悪いのだと頭を下げているのだろう。
ずっと側にいて、大丈夫だよと頭を撫でていてあげたいのに。
名残惜しく感じながらも、アレクシスはルーのために出来ることに取り掛かった。
フィン経由でマヤからの報告は毎日届くものの、そのたびにルーを迎えに行きたい衝動を抑えるのに苦労する。
狼族からアレクシスの番であろうことを聞かされているはずなのに、一向にルーの扱いが改善されないのだ。
ルーからの手紙を読んで心を落ち着かせ、丁寧に折りたたむ。ルーが自分のために綴ってくれた文字を見るだけで癒される。
「アレクシス様、ご到着されました」
「通してくれ」
使いに出した者からは、どちらも誠実な性格で領民からも信頼されていると聞いているが、実際に会ってその人柄を確かめなければルーに会わせることなど出来ない。
緊張した面持ちのルーの祖父母は、アレクシスを見ると深々と頭を下げた。
「この度は私どもが至らないばかりに、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません」
「事情は聞いているが、何故ルーを引き取らなかった?あの者たちの振る舞いはルーが幼少の頃からだということだが」
アレクシスの問いに答えたのは祖母のほうだった。
「私があの子に間違った言葉を掛けてしまったからです。あんな親ですが、それでも離れ離れになるのは怖かったのでしょう。本人に拒絶されたものの放っておけないと再度息子に伝えたところ、メリナが姉と一緒にいたいからと断られました。……あの時私が引き下がらなければ……」
それから領地で発生した災害や不作、夫の病気など様々な要因が重なり王都を訪れること自体が難しい状況が続き現在に至っている。
「ルーを保護してくださったと聞いております。あの子は……元気に過ごしていますか?」
沈痛な面持ちで切り出した祖母と同じく、祖父も縋るような眼差しをアレクシスに向けており、この二人なら問題ないだろう。
そう思った時のことだ。
遠くからフィンの鳴き声が聞こえた。ルーの危険を知らせる声でアレクシスが駆けつけた時、ルーの手から短剣がこぼれ落ちていくところだった。
『ルー、フィンは痛くないよ。主様、来た。もう大丈夫。怖くない』
アレクシスに気づくと、ルーが泣きながら懸命に言葉を紡ごうとしている間にフィンから一部始終を聞かされて、アレクシスは目の前が暗くなるような気がした。
ルーが自分で命を絶とうとした。
機転を利かせたマヤが窓ガラスを叩き割ったおかげで、フィンが間一髪間に合い、結果的に短剣が偽物であったとしても、その事実は変わらない。
窓の外にいてもルーとその妹の会話はフィンに届いており、何があったかは分かっている。それでもアレクシスはルーに訊ねた。恐らくルーの口から語られなければ意味がないのだ。
それでもルーは自分が悪いとしか言わなかった。もう、これ以上は駄目だった。
しかしアレクシスにも想定外なことに、ルーの祖母が現れて状況が変わった。許しはしないが、処罰はこの場でなくても構わない。
家族の愛情に触れたルーが安心して涙を流せる環境を整えることが大切で、アレクシスはやってきた配下に命じて邪魔者を回収させた。
泣き過ぎて目が腫れたルーは痛々しくはあったが、すっきりとした表情をしていた。あっさりと膝枕を受け入れているのは色々なことがあって少しぼんやりしているせいだろうが、折角の機会を逃すつもりはない。
ルーを失ってしまうところだったと思えば、今日はもう一秒たりとも離れたくはなかった。
流石に寝室は別だったが、フィンを側に置いたので問題ないだろう。ルーを信じていないようで心苦しかったが、人の感情は複雑で時として思いもよらない行動を取るものだ。
だからルーがあの家族との決別をはっきり口にした時は、自分でも驚くほどに安堵した。これで、ルーは自由なのだ。
そして馬車の中で感謝の言葉とともに、ルーは屈託のない心からの笑顔を見せてくれた。
「幸せ過ぎて心臓が持たない。ルーが可愛い、可愛すぎてどうしていいか分からない」
「アレクシス様、あの者たちへの罰はあの程度でよろしかったのですか?」
屋敷に戻ってもルーの笑顔が離れず譫言のように呟いていたが、ファビアンの問いにアレクシスは顔を上げて微笑んだ。
「もちろん、そんな筈がないだろう。それぞれの王には話を通してあるから、そのうち自滅するよ。だけどルーにはくれぐれも内密にね」
ファビアンだけでなく、マヤとテレサも声を揃えて従った。
「お嬢様の元家族については解決いたしましたが、新しいご家族についてはいかがいたしますか?ご祖父母様が領地に戻るとなると、お嬢様もそちらで暮らすことを望まれるのではないでしょうか?」
マヤが懸念を示すように口を開く。
「ルーがそれを望むなら私も同行するよ。一応手は打っているから、そうならないとは思うけどね」
笑顔を見せてくれたのは大きな一歩だ。
それでも番として愛されるほどには、ルーはアレクシスに惹かれていない。急ぐ必要はないけれど、確実に少しずつルーに受け入れてもらう必要がある。そのためにも側にいてルーの歓心を得なければならない。
大切で愛しい番がいつか想いを返してくれる日を夢見て、アレクシスはルーの元へと向かった。




