番との出会い(アレクシス視点)
物心ついた時から周囲と自分が違うのだと分かった。知識を得れば得るほど、その差は明確になり、こんなものかと思った。
世界はとても退屈なものだと理解したが、だからといってそれを変えたいとも思わない。
そういう物なのだろうと納得して、淡々と日々を過ごした。
次期竜帝として教育を施され、与えられた仕事を順にこなす。それは時に一つの国の命運を左右するものもあったが、すべきことに大差はない。
状況を把握し、必要な助言を与え、人の手に余るものは自ら調整する。
単調な毎日の繰り返しだが、それが竜帝の務めであり生まれてきた意味なのだから仕方がない。
それなのに突然、世界が鮮やかに彩られた。
少し前から後継について婉曲に訊ねられることが増えてきた。竜族は他の種族より長命なため、あと二十年ほどは問題ないとみている。だが竜族はそもそも子ができにくいし、番以外で子を成す確率はとても低い。
それならば早めに子作りを始めるというのは分からない話でもない。
ただ他者との接触は不快なため、あまり気乗りしないだけだ。
ひと通り世界を周って番が見つからなければ考えると先延ばしにしているが、番自体を積極的に探すつもりもない。
番が必ずしも善良とは限らないし、竜帝としての責務に支障が出る可能性もある。
本能に任せて番を優先させれば世界を滅ぼしてしまうだろう。そうならないための対応策はあるものの、それならば番を求めない方が無駄は少ないと思っていたのだ。
だが、もう二度とそんな風に思うことはないだろう。
馬車の窓から何気なく視線を外に向けた瞬間、彼女だと分かった。道端に蹲りその足から血が滲む様子が痛々しくて堪らない。
声を掛けているうちに意識を失いぐったりとした様子に焦りを覚えたものの、呼吸は規則的で差し迫った状況ではないと分かり、番を観察する余裕が出来た。小さくて細くて壊してしまいそうな身体、傷んだ髪に青白い顔色から、あまり生活環境が良くないようだと察する。
大切な番をそんな場所に置いておけない。保護しなければとそればかり考えていたのがいけなかったのだろう。名前を教えてくれたものの、どこか警戒するような素振りを見せるルーに、いずれ慣れるだろうと楽観視してしまった。
木の上にいるルーの姿を認めた時は、心臓が凍り付くかと思った。呆けていたのは僅かな時間だが、今にも落ちそうな様子に気が気ではない。
その直後に落下したルーを助けるため、風を操り受け止める。普段の生活で魔法を使うことはほぼないが、緊急事態だ。そのまま窓から飛び降りてルーの元へと駆けつける。きょとんとした表情に無事を喜ぶ気持ちと、危険な行為に対する怒りが同時に湧き、思わず詰問するような口調になってしまった。
硬い表情と榛色の瞳に怯えが混じったかと思うと、ほろほろと大粒の涙が溢れだす。
泣いている。大切な番を自分が泣かせてしまった。
泣き止んで欲しいと懇願すればするほど、ルーは自分を傷付けようとして胸が切り刻まれるように痛い。
どんな知識も経験もまるで役に立たなかった。
逃げ出そうとしたのも、帰りたいと口にするのもこの屋敷が気に入らなかったのだろうかと考えた。
ならば改装するか、新しいものを建てればいい。
そう提案したのに、ルーは喜ぶどころかまた怯えたように身体を強張らせる。これまでよりも快適な生活を送れるはずなのにどうしてだろうと疑問に思う。
だが番であることが伝わっていなかったらしく、テレサに諭されて納得した。番だと告げればルーも安心して受け入れてくれる、そう思ったのに返ってきたのは明確な拒絶だった。
手元にある報告書を何度見てもアレクシスは理解できなかった。
両親と妹から使用人扱いされ十分な衣食住を与えられているとは言い難い。おまけに学園では妹を虐める悪女と見做されている。そんな家に何故あれほどに必死に帰りたいと願うのかが分からない。
居ても立っても居られず会いに行けば、ぼんやりとした瞳がアレクシスを見るなり迷惑そうに歪む。それでもルーに会えた喜びのほうが強い。
目立ちたくないのだと言われて、指定された場所を早急に買い取った。
プライバシーを配慮するなら建物全体を買い取ったほうが良いが、流石に国民が使用する場所なので代わりが出来るまでは止めたほうがいいだろう。
何とかルーが来るまでに準備を整えると、戸惑いながらもルーはアレクシスの言葉に反応して返事をくれる。そのことがとても嬉しくて顔が勝手に緩む。
そんなこともルーに会うまでは知らなかったこと。
だけど拒絶されるのはやはり悲しい。
君のためなら何だってするのに。
そう思うけどそれは言ってはいけないことで、代わりにどこが気に入らないのかと聞くと、そうではないのだと首を横に振られる。
少しだけ強引な手を使って名を呼んでもらうと、ただの名前が特別な物になったようで嬉しくて嬉しくて堪らない。
小さく開いた口で菓子を食む仕草だけでなく、音すらも可愛く聞こえるから不思議だ。
普段碌に食事を与えられてないせいか、差し出すままに数枚食べてくれたが、途中から冷静になったらしく、番になりたくないのだと悲痛な声で謝罪された。
辛い想いなんてさせないのに。ずっと大切に慈しんで護ってあげるのに。
どうして私では駄目なのだろう。
一緒に連れてきていたフィンがいつの間にか傍にいて、ルーが嫌がったらと不安になったが少しだけ緩んだ目元に好感を持ってくれたことにほっとする。
気に入ってくれたのなら、連れて帰ってくれる可能性が高い。アレクシスの説得だけでは無理だっただろうが、フィンの強請るような瞳に折れて了承してくれた。
良かったと胸を撫で下ろしたものの、フィンの方が好かれているようだと気づいて、酷く落胆した。
フィンを預けても心配で、ルーの住む屋敷の近くにあるホテルに部屋を取った。ルーに知られたら嫌がられるだろうかと不安だったが、その判断は正しかったとすぐに証明されることになる。
仲間に危険を知らせる鳴き声に、アレクシスは部屋を飛び出した。
乱暴に髪を摑まれ、痛みに顔を歪めているルーを見た瞬間、激しい感情が身体を駆け巡る。逆らってはいけないと本能的に察したのか、狼族の男はすぐさま跪き服従の姿勢を取っていた。
ルーの前で乱暴な振る舞いをしてはいけない。それぐらいの理性は残っていて、意識的に穏やかな口調で声を掛ける。
それでもフィンに関してはどうしても厳しさが混じる。あんな目に遭わせないために側に置いたというのに、あるまじき失態だった。
懸命にフィンを庇うルーに免じて、一旦怒りを解くことにしたが、それでもルーが傷つくことなど堪えられない。
言葉を尽くして伝えてみたものの、ルーは戸惑うように目を彷徨わせている。
邪魔な声が上がったので、後回しにしていた罰をフィンに命じた。
それぐらいで死なないだろうけど、死んでしまっても構わない。他者の番に暴力を振るったのだから仕方がないことだ。
だがルーが助けようとしたこと、そしてルーが番だと知らなかったということもあり今回だけ目を瞑ることにした。
ルーの妹だという女が耳障りな声で何かをまくし立てているが、同時にフィンからの報告を受けているため、嘘を吐いているのだとすぐ分かる。
『ルー、オオカミに首を掴まれた。苦しそうだった』
『こいつ、フィンのことミニクイって言った』
『ルー、ジャムとフィンを盗んだって疑われた』
女を突き放すと機嫌を損ねたように、出て行けと言う。勿論そうするつもりだったがルーの身体が強張り、何かを恐れるように必死にアレクシスだけでなくフィンまで帰らせようとする。
最終的には妹の言葉に従うように大人しく付いてきてくれたものの、唇を引き結び両手を固く握りしめたルーは、完全にアレクシスを拒絶していた。




