罪と罰(クルト視点)
竜帝陛下とメリナの姉が立ち去ったのと入れ替わりのように執事が迎えに来た。恐らくタイミングを見計らっていたのだろう。
平民となることが確定したメリナを安心させたかったが、哀れみと軽蔑の入り混じった目をした執事を前に、待ってほしいとは言えなかった。自分の軽率な行動に対する罰を受けなければならないのだ。見えない足枷を嵌められたように、重い足取りで馬車に乗った。
屋敷に入ると使用人の出迎えはなく、息苦しいような重い空気が漂っている。
そんなクルトを待ち受けていたのはガイア―伯爵家当主の父だ。
「この愚か者が」
静かな口調だが、膝の上で固く握りしめられた両手から父の怒りを表していた。
「申し訳ご――」
「上辺だけの反省など不要だ。番に誑かされおって、情けない」
いくら父と雖も流石にその言葉は聞き流せない。
「お言葉ですが、私の番を侮辱するのはお止めください。それに番は――」
「本能だから仕方がないとでも?それが許されるのは理性のない獣だけだ。竜帝陛下に温情を掛けていただきながらそれを無下にしたことで、一族にどれだけ迷惑をかけたかお前には分からんのか!」
鋭い叱責は何年振りだろうと頭の片隅で思う。そんなことを考えている場合ではないのに、反発するような気持ちが消えないのは、それほどのことをしたのだろうかと心の何処かで思っているからだ。
まだ竜帝陛下の番だと知らない時に、髪を引っ張ったのは悪かったと思う。メリナを巻き込んではならないと憤っていたせいで、不審な態度への対応としては行き過ぎた部分があった。
だが話をしたいだけなのに頑なに拒絶し続けた方にも問題がある。引き留めようとしたクルトに過剰反応し、先に手を出してきたのはあちらの侍女なのだ。
上辺の反省だと一蹴した父は正しい。
「……お前も、竜帝陛下の番様に乱暴を働こうとしたのか?」
「引き留めようと咄嗟に手を伸ばしましたが、触れるつもりはありませんでした。それに過剰な反応を示したのは付き添っていた侍女のほうです」
淡々と答えたつもりだったのに、不満そうな響きが伴っていることを自覚した。感情がコントロールできず、不安定になっている。
「ご無事だったとはいえ恐ろしい目に遭われたばかりなのだから当然の反応だろう。知っていればそのような浅はかな行動を取らなかったのだろうが、お前が関与していなかったことをせめてもの救いと言うべきか……」
重苦しい溜息を吐きながらも、父の身体から僅かに緊張が解けた気がした。
先ほどの質問の重さと意味を直感的に察したが、即座に否定する。相談室で姉と待ち合わせをしていると話したのはメリナだったし、何故かそこに数人の男子生徒が倒れていたが、メリナとは無関係のはずだ。
「番様のふしだらな噂を流し、貴族子息を唆したのはお前の番だ。女性としての尊厳を奪えば、再び支配下に置けると踏んだのか、竜帝陛下から引き離すことが出来ると思ったのか分からぬが、自分の姉に、同じ女性にそのような仕打ちをしようとは悍ましい」
「誰がそのような妄言を!メリナがそんなことをするはずがありません!そうだ、メリナは姉から虐げられていたのです。竜帝陛下は番に騙されているのでは――」
ガッという鈍い音ともに一瞬の浮遊感のあとに背中が床に叩きつけられ、頬にじんじんと熱と痛みが広がっていく。
一線を退いたとはいえ、元騎士である父の拳は重い。
「それはお前の方だろう!お前の一番の罪は竜帝陛下の番様こそが家族に虐げられていたのに、それを黙認したことにある。お前は我らガイアー家だけでなく狼族の矜持を汚したのだ!」
狼族は排他的と言われる一方で同族や家族に対する絆は深い。弱き者には心を砕き、困っている者がいれば皆で助け合う。それは婚約者やその家族に対しても同様だ。
そんなはずがない、そう続けようとしたのに脳裏に浮かぶのは、質素な服を着て使用人のように働いていたメリナの姉の姿だ。
『お姉様に嫌われているの。私はただ仲良くしたいだけなのに、いつも意地悪なことばかりされてしまって……』
悲しそうに瞳を揺らすメリナを慰めるため、花束や装飾品を贈れば満面の笑みを浮かべてくれた。いつも俯きぼそぼそと話すメリナの姉は、天使のような妹に嫉妬しているのだと思った。
『お姉様は私たち家族のことを嫌っているの』
『お姉様は変わり者で、使用人の真似事が好きなの』
メリナがそう言うから、冷たい床を一人で磨いていたことも、食事の準備をしながらも夕食を共にしないことにも違和感を覚えたことはない。
視界に入るたびに苛々するのは、メリナの敵だという認識と彼女の卑屈な態度のせいだと思っていた。
だけど、何の情報もない状態でその二人の姿を見た時、果たして虐げられているのはどちらだろうか。
ぞわりと全身の毛が逆立つような感覚とともに、過去の記憶が次から次へと浮かんでは消える。
「違う!メリナはそんな子じゃ……メリナが俺に嘘を吐くはずがないんだ!」
「……竜帝陛下から抑制剤を頂いた。本能を抑えられる薬だ。二週間それを服用しなさい。お前が自らの罪と罰に向き合うことになるのはその後だ」
父の声はまるで悲しみに耐えているかのように震えていた。
そして十日後、クルトは自分の罪を思い知り絶叫した。
すぐに執事や従者に取り押さえられたおかげで、自傷行為に走らずに済んだ。安全のためにと拘束されたクルトの元にやってきたのは、やはり父だった。
数日振りに会う父は疲労の色が濃く、一気に老け込んだようだった。
「俺を放逐するか、処分してください。俺は狼族として許されない罪を犯しました」
「それでもお前は私たちの大切な息子だ。切り捨てるような真似はできない」
クルトの言葉に父は首を横に振り、静かな口調で話し始めた。
「ガイアー家は子爵家へ降爵となった。長年の忠義による寛大な処分だが、お前のしたことは社交界に広く知れ渡るだろう。既にアメリの婚約は内々に破棄している」
「っ……!」
妹のアメリと婚約者は幼馴染のような関係で、アメリは幼い頃から恋心を抱いていた相手だ。婚約が決まったときには、嬉しさのあまり泣き出してしまうぐらいの喜びようだった。
「どうして……」
自分のせいだということは分かっている。だけどそう声に出さずにはいられなかった。
「爵位が釣り合わなくなる。それに我が家の不名誉にあちらまで巻き込むわけにはいかない」
『兄様!』
幼い頃から慕ってくれた大切な可愛い妹は、もう二度と無邪気な笑顔を向けてくれることはないだろう。あの子が今どんな気持ちでいるのかと考えるだけで、心が切り裂かれるようだったが、どれだけ後悔してももう遅い。
嘘吐きで性悪な番を盲目的に信じ、罪のない娘が家族に虐げられていることを黙認したクルトは、無力感にただ項垂れることしか出来なかった。




