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竜帝は番に愛を乞う  作者: 浅海 景


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16/20

家族の愛情

胸を刺したはずなのに痛みがない。


「キュー」


フィンの鳴き声が聞こえて目を開けたルーは、その光景に絶句した。

ルーを庇うように胸の間に滑り込んだフィンの背中に短剣が突き刺さっている。――いや、突き刺しているのはルー自身の手だった。


「……あ、フィン……フィン!!」


強張った手を離すと短剣は呆気なく床へと転がり落ちた。キューキューと痛みを訴えるかのように鳴くフィンを震える手で抱きしめて短剣が刺さった場所を手で押さえる。

(どうしよう……私とんでもないことを……)


「キュイ!」

「ルー」


アレクシスの声を聞いた途端に、泣いている場合ではないのに涙がぼろぼろと溢れ出す。


「ごめ……なさい。フィンが……フィンを助けて!」

「ルー、どうして自分を傷付けようとした?」


アレクシスには痛みが滲んでいて、まるで彼自身が傷ついているように見えた。


「ごめんなさい。私が、フィンを……さ、刺して……っ、お願い、助けて」

「ルー、教えてくれないと助けられない。あの娘に何を言われた?」


声を荒げたわけでもないのに、凍てつくような声に息を呑む。屋敷でクルトに髪を掴まれたときよりも遥かにアレクシスが怒りを覚えているのが分かった。


「何でもない――」

「お姉様と一緒にいたいとお伝えしただけですわ。でも、お姉様からは断られて護身用の短剣まで奪われてしまって……まさか、陛下の物を傷付けるなんて」


メリナの言葉は巧みに言い換えられているものの、短剣を奪ったこと以外は嘘ではない。まるでルーが意図的にフィンを傷付けたような言い方だが、実際に刺してしまったのだから言い逃れをするつもりはなかった。キューキューと声を上げるフィンに胸が苦しい。


「ごめんなさい。全部私が悪いの。メリナは、妹は関係ないわ。フィン、酷いことしてごめんなさい」

「もういいよ。最初からルーを傷付けるようなものは全て排除すれば良かった。ルーの心に余計な物を残しておきたくなかったけれど、これ以上はもう見過ごせない」


こつりと静かな靴音がやけに大きく響き、不穏な気配を感じる。


「どうか、どうかお許しください!その短剣は偽物ですので、貴方様の番や竜を傷付けることはありません。ですから、どうかご慈悲を!」

「っ、クルト様!どういうことなの?!護身用の短剣を用意してくれるって言ったじゃない!」

「メリナ!君こそ……!っ、もう何も言うな、頼むから!」


(偽物……偽物?)


気が動転していたあまり気づかなかったが、確かにフィンの身体からは血が流れていない。勢いよく刺したせいで、少し赤くなっているもののどこかが酷く損傷した形跡はなかった。

転がった短剣は既にマヤに回収されており、偽物の刃は差しても柄に引っ込むような仕組みになっていたらしい。


「だから許せというのは筋違いだろう。本物であれば命に関わるのはもちろん、偽物であってもフィンが庇わなければルーの身体に痣が出来ていたかもしれない。それにその娘が良からぬことを企んでいたのは明白だ」


反論しようとするメリナをクルトが羽交い締めにして、口を押さえている。そんなメリナは凄まじい形相でクルトを睨んでいて、メリナを護るための行動なのにと申し訳ない気持ちになった。


「アレク、ごめんなさい。でもメリナから、そうしろと言われたわけではないの。私が勝手にしたことだから」

「あんなに願ったのに、ルーは忘れてしまった?君が傷つくのはとても苦しいと、自分を損なうようなことは止めてほしいと言ったのに、私の言葉はルーにとって何の意味もないものなのかな……」


傷付けたくないと願ったのに、ルーの行動でアレクシスを酷く傷つけてしまったのが分かった。あんなに心配してくれたのに、温かい言葉をたくさん掛けてくれたのに、結局ルーの行動は恩を仇で返すようなものだ。


(ごめんなさい)


そんな謝罪もアレクシスにとっては、不誠実なものに聞こえるだろう。謝れば許してくれるかもしれないが、それはアレクシスの優しさに甘えるだけだ。

じわりと涙が滲むが、泣くこともまたアレクシスが許さなければいけない状況を生むだけだと必死に堪える。

何も出来ることがない自分が、惨めで悔しくて堪らない。


「ルー、私は人族に詳しくないから間違っているかもしれない。でも、家族の中で一人だけに愛情を与えず辛い境遇を強いる者たちは、本当に家族なのかな?」


アレクシスの優しくも容赦ない声が胸に突き刺さる。聞きたくないのに耳を塞ぐことも出来ない。


(でも、私は手を差し伸べてくれた人に酷い事を言った)


だから仕方がないのだと、これが自分で選択した結果なのだと思わなければ、どうしていいか分からなかった。優しい人を傷付けた罰なのだと思えば、辛い境遇でも頑張れたから。


「それでも……私は」

「ルー!」


赤褐色の髪を振り乱し、ヘーゼル色の瞳に涙を滲ませた年配の女性は、ルーに駆け寄るとその身体からは想像できないほどの強さで抱きしめた。


「………お祖母様?」

「私が余計なことをしたばかりに……お前にもっと別の言葉を掛けていれば……。ルー、辛い想いをさせて本当に済まなかった」


伝わってくる温もりと苦渋に満ちた声には、紛れもない愛情があった。ルーが望んでいた家族の愛情を実感した瞬間、ルーは声を上げて泣いた。


幼い頃から秘めていた感情を全て吐き出すかのように泣くルーの背中を、お祖母様はずっと撫で続けてくれたのだった。

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