第5話:ばいばい、ファイト!
部屋に沈黙が訪れる。
東雲は困惑した様子で、口を開いた。
「……どうしてそう、思うの?」
「そうでもなけりゃ俺と付き合うなんて馬鹿なこと、お前が言うはずないからだ」
「……」
何も言わず俯く東雲に構わず、俺は続ける。
「大方俺と付き合って、それが週刊誌にバレて炎上、干されて引退……みたい展開を、期待してたんじゃないのか?」
「そ、そんなわけないでしょ。辞めたいなら、普通に事務所に言うって」
「そうだよな……。でも裏を返せば、普通に事務所に言えないからこそ、こんな異常なことをしてるんじゃないのか?」
「……」
あれほどアイドルに対して真剣だった東雲が、自らスキャンダルのリスクがある行動を取ろうとした――それ自体がもう、異常なことで。
彼女が既に限界だという、何よりの証拠じゃないのか。
「そもそもお前、なんか元気なさそうだし」
「そ、そう……?」
「見ての通りな。仕事、辛いのか?」
確証と呼べるほどのものはない。
だけど気づいてしまったからには、彼女をこのまま帰らせるわけにはいかない。真実を確かめるまでは。
「……お仕事、楽しいよ。辻くんや、色んな人から応援してもらって、支えられて……。それで本当にアイドルになれて、君との約束も果たせた。なのに辞めたいだなんて思うはずないじゃん」
淡々と語る東雲の口調は、やはりどこか疲れているように聞こえた。
「ていうか、思っちゃダメでしょ。そんなことしたらみんなに迷惑かけるし、失望させちゃう」
「いや、ダメなんてことはないだろ……」
「ダメだよ。いくら仕事が大変でも、夜寝れなくてもプレッシャーで吐きそうになっても、本当は学校に行きたいって思っても……ダメなんだよ、辞めちゃ」
黒く、また黒く、彼女の瞳は濁っていく。
「SNSで『歌が下手』とか『あざとくて嫌い』とか『センター他の子がいい』なんて言われても、辞めちゃダメなんだよ……! だって私は夢を、叶えたんだから。今更辞めたいなんて言えるわけない」
そう言い切った後、間をおいて……東雲は笑った。濁った瞳のままで。
「まあ、そんなこと思ってないけどねっ」
悲しくなるほどの明るい笑顔だった。
「……そうか。でも俺たちファンは、お前にボロボロになるまで頑張ってほしいとは思ってねえぞ」
「……えっ?」
俺は言う。
昔この部屋で、俺なりに彼女に助言をしていた日々を、思い出しながら。
「ていうか、お前が辞めたいと思った時が辞め時なんじゃねーの? 他人のことなんか気にすんな。お前の夢は、お前だけのもんだろ」
「辻くん……」
「自分の気持ちにだけ従えよ。あの日自己紹介シートに、立派な野望を書いた時のようにな」
「……そう、だね」
東雲の濁った瞳が、少しずつ潤んでいく。
そしてとうとう溢れてしまった涙を、東雲は手で拭う。
きっとこんな涙も、誰にも見せてこなかったのだろう。
気づけば俺は、彼女のことを抱きしめていた。ファンとしては許されない行為だ。
でも俺はファンである前に、東雲の『友達』だ。
「辻くん……うっ、ぅ……」
東雲が泣き止むまで、俺はずっと抱きしめ続けた。
*
玄関先で、東雲を見送る。
「途中まで送るか?」
「ううん、大丈夫」
「そうか。変装、忘れんなよ」
「分かってるよ」
「あとエゴサはほどほどに」
「あはは。それも分かってる」
笑いながら、キャップを深く被る東雲。
「改めて、今日はありがとう……私、もう少し続けてみるよ」
「……そうか」
「でもね、辞め時もちゃんと決める。そしたら『その時』までは、応援してくれたみんなへの恩返しのつもりで活動するよ」
「そりゃいいな」
俺も同じように笑う。
さあ、今度こそ本当に、夢のようだった時間は終わりだ。
「ほどほどに頑張れ、東雲」
「うん、ありがとう。それとね」
東雲は照れくさそうに頬をかいた。
「君のことが好きなのは、本当だからね?」
「……えっ」
「ふふっ。それじゃあね、辻くん」
彼女は小さく手を振る。その瞳はもう濁っていない。澄んだように、輝いていた。
「ばいばい……っ」
*
東雲桜――『サクラ』はそれから半年間、アイドルとして芸能界を駆け抜けた。
その後、自身のSNSにてグループ卒業を発表。更に半年後に行われた卒業公演をもって、彼女は芸能活動の幕を閉じた。




