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第四話:癒しの光と最初の仲間

「――金貨三枚!!」


俺、アルト・シュヴァイツァァーの声は、静まり返った奴隷市場に奇妙なほど大きく響き渡った。下卑た笑いも、値踏みするような視線も、すべてが凍り付く。誰もが、フードを深く被った俺というイレギュラーな存在に、訝しげな視線を向けていた。


最初に沈黙を破ったのは、壇上の奴隷商人だった。豆鉄砲を食らった鳩のような顔でしばらく固まっていたが、やがてその卑しい顔に欲望の色を浮かべ、目を剥いた。


「き、金貨三枚! 今、金貨三枚と申したか!? この病気持ちのエルフに金貨三枚だ! 他に高い値を付ける方はおいでか!?」


奴隷商人は興奮気味に叫んだが、当然、誰一人として応じる者はいなかった。病気でいつ死ぬかも分からない奴隷に、屈強な戦士奴隷が買えるほどの大金を払う馬鹿はいない。周囲の客たちは、俺のことを金を持て余した奇矯な貴族か、相場も知らない世間知らずの若造だとでも思ったのだろう。憐れみと嘲笑が入り混じった視線が、背中に突き刺さる。


「……いないようだな! よし、決まりだ! このエルフは、そこの旦那に金貨三枚で売却だ!」


ハンマー代わりの木槌が、高らかに台を打ち鳴らす。俺は人々の視線を意にも介さず、壇上へと進み出た。そして、ポケットからなけなしの全財産である金貨三枚を、奴隷商人の前に置く。奴隷商人は一枚一枚を歯で噛んで確かめると、満足げに頷き、錆びついた鍵束と羊皮紙の契約書を俺に手渡した。


「毎度あり! さあ、そいつを檻から出してやれ!」


部下の男が乱暴に檻の錠を開けると、中にいたエルフの少女――ルナは、力なく床に崩れ落ちた。まともに立つことさえできないほど衰弱している。俺は舌打ち一つして彼女に駆け寄り、その細い体をそっと抱きかかえた。驚くほど軽い。羽のように軽いその体からは、微かに熱が伝わってきた。


「……どうして」


俺の腕の中で、彼女が蚊の鳴くような声で呟いた。


「どうして、私なんかを……」


翡翠の瞳が、信じられないものを見るように俺を見上げている。俺は彼女の問いには直接答えず、ただ一言だけ返した。


「君が必要だと思ったからだ。それだけだよ」


俺はルナを抱きかかえたまま、好奇と侮蔑の視線が渦巻く奴隷市場を、一刻も早く立ち去った。



宿屋に戻ると、恰幅のいい主人が、俺が抱えているルナを見て一瞬だけ眉をひそめた。だが、俺が黙って銀貨を一枚カウンターに置くと、それ以上何も言わずに部屋の鍵を渡してくれた。金は、時として面倒な問答を省略してくれる。


部屋に入り、ルナをそっとベッドに寝かせる。彼女は気を失っているのか、苦しげな呼吸を繰り返すばかりだった。改めて彼女の状態を見ると、その深刻さがよくわかる。顔色は土気色で、肌のところどころに、まるで墨を流したような黒い痣が浮かび上がっていた。これが、彼女を蝕む呪病の正体だろう。


(思った以上に進行が早い……悠長なことはしていられない)


俺はすぐに部屋を出ると、街の道具屋へと駆け込んだ。目的は、治療用スキルを錬成するための素材だ。幸い、この街には冒険者向けの店が多く、低品質のスキル珠ならば比較的安価で手に入る。


俺が購入したのは、【治癒(微弱)】と【生活魔法:浄化(小)】のスキル珠だった。どちらも銅貨数枚で買える、冒険者たちからは見向きもされない代物だ。店主は「こんなもので何をするんだ?」と不思議そうな顔をしていたが、俺には確信があった。


宿に戻り、ルナが眠るベッドの傍らで、俺は二つのスキル珠を手のひらに乗せた。深く息を吸い込み、意識を集中させる。


(彼女を蝕んでいるのは、ただの病じゃない。魔力を喰らう呪いだ。だから、ただ治すだけじゃダメだ。呪いの根源となっている『穢れ』そのものを取り除き、浄化しながら、本来の生命力を取り戻させる力がいる……!)


俺は、自分の願い、目的を明確にイメージしながら、スキルを発動させた。


「【スキル錬成】!」


二つのスキル珠が、ひときわ強い光を放ち始める。手のひらが熱い。微弱な治癒の力と、水の汚れを落とすだけのささやかな浄化の力が、俺のイメージを触媒として混じり合い、新たな概念へと昇華されていく。


《【治癒(微弱)】と【生活魔法:浄化(小)】を素材として錬成を開始します》

《術者のイメージを反映……法則を再構築……成功しました》

《ユニークスキル【病魔特効】を生成しました》


脳内に響く声と共に、光が収束する。手のひらの上に現れたのは、聖なる光を思わせる、白く清浄な輝きを放つスキル珠だった。俺はそれを自分の胸に当て、吸収する。温かい魔力が全身に満ち渡り、新しいスキルの情報が知識として流れ込んできた。


俺はベッドの前に膝をつき、ルナの額にそっと手をかざした。ひどい熱だ。このままでは本当に命が危ない。


「大丈夫、すぐに楽にしてあげるから」


俺は新しく得たスキルに全魔力を込めて、静かに詠唱した。


「聖なる光よ、その身を蝕む穢れを祓い、癒しを与えたまえ――【病魔特効】」


俺の手のひらから、柔らかな乳白色の光が溢れ出し、ルナの体を優しく包み込んでいく。すると、驚くべき変化が起こった。彼女の肌に浮かんでいた黒い痣が、まるで朝霧が陽光に溶けるように、端からすうっと消えていくのだ。


ルナの体から、黒い靄のようなものが立ち上り、光に触れて浄化されていく。苦悶に歪んでいた彼女の表情は、次第に穏やかな寝顔へと変わっていった。血の気の失せていた唇に、ほんのりと赤みが戻り、荒かった呼吸も、いつしか安らかな寝息になっていた。


すべての黒い痣が消え去った時、光は役目を終えたようにふっと消えた。俺は魔力を使い果たし、額に汗を浮かべながらその場にへたり込んだ。疲労感は凄まじいが、それ以上に、確かな達成感が胸を満たしていた。



翌朝、窓から差し込む柔らかな光で、俺は目を覚ました。ベッドの脇で、うたた寝してしまっていたらしい。体を起こすと、ベッドの上で、一人の少女が静かにこちらを見つめていることに気づいた。


「……おはよう」


俺が声をかけると、彼女――ルナは、びくりと体を震わせた。彼女はゆっくりと自分の手を見つめ、頬に触れ、そして信じられないといった表情で、再び俺に視線を向けた。


昨日までの土気色は完全に消え、エルフ特有の透き通るような白い肌がそこにはあった。肌を蝕んでいた醜い痣も跡形もなく消え、長く美しい白銀の髪は、朝日を浴びてキラキラと輝いている。そして何より、あの翡翠の瞳には、昨日までの絶望の色はなく、ただ澄み切った輝きだけが満ちていた。


「あ……わたしの、からだ……呪いが……」


ルナの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。長年、彼女を苦しめ、蝕み続けてきた呪いから、完全に解放されたのだ。彼女はベッドから滑り降りると、ためらいなく俺の目の前にひざまずき、深く頭を下げた。


「ご主人様……! このルナの命、あなた様に救われました。この命、今日よりすべて、あなた様のために捧げます。どうか、どのような命令でもお申し付けください」


その姿は、絶対的な忠誠を誓う騎士のようでもあり、神に祈りを捧げる信徒のようでもあった。だが、俺はそんなものを望んではいない。俺は慌てて彼女の肩に手を置き、立ち上がらせた。


「やめてくれ。俺は君の主人じゃない。俺の名前はアルトだ。それに、君はもう奴隷じゃないんだよ」


俺は懐から奴隷の首輪の鍵を取り出し、彼女の首にかかった鉄の輪に差し込んだ。カチャリ、と乾いた音がして、彼女の自由を縛っていた最後の枷が外れる。


「え……?」


ルナは呆然と、自分の首筋に触れた。何もない。あの冷たい鉄の感触は、もうどこにもなかった。


「俺は君を助けたかった。それだけだ。だから、君は自由だ。どこへ行ってもいい」

「自由……?」

「ああ。故郷に帰ってもいいし、この街で新しい生活を始めてもいい」


俺がそう言うと、ルナは力なく首を横に振った。


「故郷は……もうありません。それに、私には、行く当てもありません……」


その瞳に、再び不安の色がよぎる。一人で生きていくことの恐怖。それは、すべてを失った俺にも痛いほどわかった。


だから、俺は彼女に手を差し伸べた。昨日までの俺とは違う。今の俺には、差し伸べるだけの力がある。


「だったら、俺と一緒に来ないか?」

「……え?」

「俺はこれから、ギルドを作ろうと思ってる。理不尽な目に遭ったり、行き場がなかったりする人たちが、安心して暮らせるような場所を。でも、まだ俺一人だ。だから……君に、俺の最初の仲間になってほしい」


俺が言ったのは、「部下」でも「使用人」でもない。「仲間」という言葉だった。

ルナは、俺の顔と、差し出された手とを、何度も交互に見つめた。そして、彼女の瞳から、再び涙が溢れ出した。しかし、それは昨日までの絶望の涙ではなく、温かい希望の涙だった。


彼女は、震える手で、そっと俺の手を握った。


「はい……! 喜んで! アルト様の、最初の仲間に……!」


その笑顔は、まるで降り注ぐ陽光のように、どこまでも眩しかった。

こうして、追放された無能な鑑定士と、呪いから解放されたエルフの少女は出会った。これは、後に大陸最強と謳われるギルド《アルカディア》の、記念すべき始まりの一歩となるのだった。

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