第二十一話:調停者の選択と天秤の代償
守護者を打ち破り、目の前に現れた光の階段。その一段一段を、俺たちは静かに、しかし確かな足取りで登っていった。一歩進むごとに、これまでの出来事が脳裏をよぎる。理不尽に追放されたあの日の雨。絶望の淵で灯った【スキル錬成】という奇跡の光。奴隷市場で出会った、翡翠の瞳を持つ少女。人間不信だった、気高い獣人の仲間。そして、ハンマーに宿る、口うるさくて頼もしい師匠。
「アルト様……」
隣を歩くルナが、不安そうに俺の顔を見上げる。その後ろでは、ミコトも黙り込んでいるが、その拳は固く握りしめられていた。二人とも、ゴーレムが残した『調停者』そして『代償』という言葉に、言い知れぬ不安を感じているのだ。
『マスターよ。どんな結末が待っていようと、わしらはおぬしの仲間じゃ。それだけは、ゆめ、忘れるな』
ハガネの声が、頭の中に直接響く。その言葉は、まるで俺の覚悟を問うているかのようだった。
俺は立ち止まり、仲間たちに向き直った。
「ああ、わかっている。どんな未来が待っていようと、俺たちは四人で乗り越える。それだけは、絶対に変わらない」
俺の言葉に、三人は力強く頷き返した。そうだ、もう俺は一人じゃない。この仲間たちがいれば、何も恐れることはない。俺たちは再び歩き出し、光の階段の最上段へと、その足を乗せた。
その先に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
そこは、塔の最上階でありながら、天井という概念が存在しなかった。見渡す限り、満天の星々が輝く広大な宇宙空間が広がっている。俺たちは、まるで銀河の中心に浮かぶ、透明な床の上に立っているかのようだった。
そして、その空間の中央に、それは静かに鎮座していた。
両腕を広げた巨人ほどの大きさを持つ、巨大な天秤。精緻な意匠が施されたそれは、古代の遺物でありながら、今もなお厳かにその役目を果たそうとしているように見えた。
天秤の片方の皿には、地球儀のような、青く美しい輝きを放つ星の模型が乗っていた。俺たちの住む、この世界そのものだ。だが、よく見ると、その美しい青色に、僅かながら黒い染みのような『ノイズ』が絡みつき、星の輝きを蝕んでいる。
そして、もう片方の皿は、空っぽだった。星が乗った皿よりも、僅かに高く上がっている。世界の均衡が、崩れかけているのだ。
俺たちがその光景に息を呑んでいると、どこからともなく、あの守護ゴーレムと同じ、だがより荘厳で、幾重にも重なったような声が響き渡った。
『よくぞ来られた、調停者よ』
「お前は、誰だ」
『我は『天秤の祭壇』。この星の理を守るため、古の民が遺した遺志にして、システム。そして、汝の到着を、幾万年もの間、待ち続けた者』
祭壇の遺志は、俺たちの問いを待たずして、世界の現状を語り始めた。
『汝らが『魔王』と呼ぶもの、即ち、精神汚染体『ノイズ』の侵食は、もはや最終段階を迎えつつある。世界の最果てに施された封印は、間もなく完全に砕け散るだろう。そうなれば、『ノイズ』は濁流となって世界に溢れ出し、全ての生命はその理性を失い、憎悪と狂乱の中に沈む。星は、緩やかな死を迎える』
祭壇が語る未来は、あまりにも絶望的だった。
「それを止めるのが、お前の役目なんだろ」
『その通り。我は、『ノイズ』を観測し、浄化するための装置。だが、起動し、その力を制御するためには、鍵が必要となる。それこそが、汝の持つ『創造』の力――【スキル錬成】』
やはり、そうか。この力は、この時のために、俺に与えられたものだったのだ。
「どうすればいい。何をすれば、祭壇は起動する?」
俺の問いに、祭壇は厳かに答えた。
『調停の儀式は、ただ一つ。空いたる天秤の皿に、汝の魂を捧げよ。さすれば、汝の魂を触媒とし、汝の『創造』のスキルを動力源として、我は起動する。そして、世界に満ちる『ノイズ』を、根源より浄化し、無垢なるマナへと還元しよう』
「魂を、捧げる……?」
その言葉に、後ろに控えていたルナとミコトが、はっと息を呑んだ。
「待ってくれ! 魂を捧げるって、それは……アルトが、死ぬっていうことか!?」
ミコトが、声を荒らげて叫んだ。俺もまた、同じ疑問を祭壇にぶつけた。
「代償とは、俺の命のことか?」
『否。調停者の命を奪うことは、我らの本意ではない。汝の魂は、あくまで起動のための触媒。儀式が終われば、汝の肉体へと帰還する』
その言葉に、俺たちは安堵の息を漏らした。だが、祭壇は続けた。
『されど、代償は必要だ。天秤の名が示す通り、この世界の理は、等価交換によって成り立つ。世界を救うという、星の運命を覆すほどの奇跡には、それ相応の代償が支払われねばならん』
祭壇の空いていた皿が、淡い光を放ち、俺に選択を迫る。
『汝が支払う代償は、汝の力の根源そのもの。調停の儀式が完了した時、汝はユニークスキル【スキル錬成】を、永久に失うことになる』
「――ッ!!」
その言葉は、俺の心を何よりも強く揺さぶった。
スキルを、失う。
それは、俺が追放されたあの雨の日、絶望の底から這い上がるための、唯一の希望だった。ルナを救い、ミコトと出会い、ハガネの夢を叶え、ギルドを作り、街を守る。その全てを成し遂げてくれた、俺の力の全て。それを、手放す。
それは、再びあの日の、何もできない「無能な鑑定士アルト」に戻ることを意味していた。
「ダメです! 絶対にダメです、アルト様!」
ルナが、涙ながらに俺の腕に縋りついた。
「その力は、アルト様が苦しみの中から掴み取った、大切な希望の光じゃないですか! それを失うなんて、そんなこと……!」
「ふざけんな! その力があったから、私たちはあんたに会えたんだ! その力があったから、私たちは今、ここにいられるんだ! それを、世界のためだかなんだか知らねえが、なくしちまっていいわけねえだろ!」
ミコトもまた、その金色の瞳に怒りを浮かべて叫んだ。
『マスター! こんな一方的な取引、受ける必要などどこにもないわい! 他の方法がきっとある! 世界なんぞ、滅びたいなら勝手に滅びさせておけ!』
ハガネも、激しく俺に訴えかける。
そうだ。彼女たちの言う通りだ。この力は、俺が俺であるための証。今の俺からこの力を奪われたら、俺には何が残る? また、誰かに蔑まれ、見捨てられるだけの、無力な自分に戻るだけではないのか。
俺は、揺れていた。このかけがえのない力を手放す恐怖に、足が竦んでいた。
だが、その時。俺は、天秤の皿に乗った、青い星の模型に目を向けた。
そこには、フロンティアの街があった。俺たちが改装したギルドハウス。ルナとミコトと、三人で囲んだ食卓。仲間たちと笑い合った、酒場の風景。俺たちを慕ってくれる人々。獣人連合の活気。ドワーフ王国の力強さ。
俺がこの力で守り、築き上げてきた、かけがえのない、大切なものが、そこにはあった。
この力は、本当に俺一人のものだったのだろうか?
違う。
この力は、仲間と出会うためにあった。
この力は、俺たちの居場所を作るためにあった。
この力は、みんなの笑顔を守るためにあった。
だったら、その最後の使い道も、決まっているはずだ。
俺は、自分に縋りつく仲間たちに向き直り、精一杯の、穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「ありがとう、みんな。でも、大丈夫だ」
俺は、ルナの涙を優しく指で拭い、ミコトの頭をそっと撫でた。
「たとえ、この【スキル錬成】の力を失ったとしても、俺たちが築き上げてきたものは、何も消えたりしない。俺たちの絆も、ギルド《アルカディア》も、フロンティアの街も、全部ここにある。それに……」
俺は、二人を、そしてハガネを、心からの信頼を込めて見つめた。
「俺はもう、一人じゃないからな」
その言葉に、二人は息を呑んだ。俺の覚悟が、決意が、痛いほどに伝わったのだろう。彼女たちは、溢れる涙を堪えながらも、こくりと、小さく頷いた。
俺は、そんな仲間たちに背を向け、空っぽの天秤の皿へと、迷いのない足取りで歩み寄る。そして、その冷たい皿の中央に、静かに立った。
「祭壇よ。俺は、決めた」
俺は、星空を見上げ、高らかに宣言した。
「始めよう。世界の、そして、俺たちの未来のために」
俺がそう告げた瞬間、祭壇全体が、世界が生まれた時のような、眩い創生の光に包まれた。俺の体から、【スキル錬成】の力が、虹色の光の奔流となって天秤へと吸い上げられていく。失っていく力の奔流の中で、俺の意識は、それでもはっきりと、涙を流しながら俺を見守る、かけがえのない仲間たちの姿を捉えていた。
ありがとう。
君たちと出会えて、本当に良かった。
天秤が、ギシリ、と音を立てて動き始める。
それは、世界の終わりを防ぐための儀式であると同時に、俺の、錬成術師としての物語の、終わりの始まりを告げる音だった。




