第十九話:忘れられた民の聖域
『天秤の祭壇』を探し出す。その新たな目標は、俺たちのギルド《アルカディア》に、これまでにない熱気をもたらしていた。王国との対立という現実的な脅威と、魔王の復活という終末論的な危機。二つの巨大な難題を前にして、俺たちの結束はむしろ、より一層強固なものになっていた。
旅立ちの準備は、着々と進められた。俺が最も心を砕いたのは、俺たちが留守にする間のフロンティアの防衛と運営体制の構築だ。幸い、今のギルドには、俺たちのやり方を慕って集まってくれた、信頼できる仲間たちがいた。俺は彼らの中から数名をリーダーとして任命し、街の領主代理とも連携を取りながら、ギルドが不在でも街が機能する仕組みを作り上げた。それは、俺が追放されたただの冒険者から、一つの組織を率いるリーダーへと、確かに成長している証だった。
「アルト様、ご心配なく。この街は、私たちが必ず守ります」
「マスター! 土産話、期待してるぜ!」
仲間たちの力強い言葉に送られ、俺たちは旅立ちの支度を整える。それは、それぞれの進化の時でもあった。
『マスターよ! ルナの嬢ちゃんの新しい弓の芯には、わしが隠し持っておった世界樹の若枝を使うぞ! これでおぬしが錬成した【魔力集束】のスキルを付与すれば、Aランク級の魔法に匹敵する一矢を放てるようになるわい!』
「すごいな、ハガネ! それなら、ミコトの足にも何か考えよう。彼女のスピードをさらに活かすために……そうだ、【風魔法】と【身体強化】を錬成して、軽量化した金属に付与してみよう」
こうして、ルナには魔力を極限まで高める【霊樹の神弓】が、ミコトには風を纏って駆けることができる【疾風の具足】が、それぞれ新たに生み出された。俺たちの力は、この半年の間に、あの頃とは比べ物にならないほど高まっていた。
準備と並行して、俺は古文書の解読に没頭していた。『忘れられた民の眠る、地の底の聖域』。この曖昧な記述が、俺たちの最初の目的地だ。
「忘れられた民、かのう……」
工房で、ハガネが古い記憶を手繰り寄せるように呟いた。
『そういや、わが一族に伝わる伝承に、そんな話があったやもしれん。神代の時代、天上の民との戦いに敗れ、地の底深くに追いやられた一族がいた、と。確か……『地底人』と呼ばれておったはずじゃ』
「地底人……」
『うむ。そして、彼らが築いたとされる伝説の地下都市が、『アガルタ』。あるいは、そこが『地の底の聖域』のことではないか?』
ハガネの言葉が、光明となった。俺は早速、ギルドの書庫で古地図を広げ、古文書に描かれた不鮮明な地図の断片と照合していく。そして、ついに一つの可能性に行き着いた。王国の支配権が及ばない、大陸を南北に分断する「大障壁山脈」。その麓に存在する、巨大な縦穴。古地図には、その場所が『奈落の口』と記されていた。
「ここだ。間違いない」
目的地は定まった。俺たち四人は、フロンティアの仲間たちに見送られ、夜明けと共に出発した。
◇
王国領を避け、険しい山道と深い森を抜ける旅路は、決して楽なものではなかった。そして、俺たちは世界の異変を、肌で感じることになる。
「アルト様、前方から魔物の大群です! 数は百を超えています!」
丘の上から周辺を警戒していたルナが、鋭い声を上げる。魔物のスタンピードだ。だが、その様子は明らかに異常だった。魔物たちの目は血走り、理性を失って、ただ破壊衝動のままに突き進んでいる。まるで、世界の悪意に当てられたかのように。
「来るぞ! ルナは上から大型を狙え! ミコトは正面から蹴散らせ!」
「了解!」「任せろ!」
強化された装備と、これまでの実戦で磨き上げられた連携は、もはや芸術の域に達していた。ルナの放つ矢は、天から降り注ぐ光の槍となって魔物の群れにいくつもの風穴を開ける。ミコトは黒い疾風となって敵陣に突入し、その両手両足から放たれる衝撃波が、魔物たちを木の葉のように吹き飛ばしていく。俺は戦況の全てを把握し、二人に的確な指示を送り続ける。
半刻も経たずに、魔物の大群は静寂に帰した。だが、俺たちの心は晴れなかった。世界の歪みは、確実に広がっている。俺たちの旅は、一刻の猶予も許されないのだと、改めて痛感させられた。
◇
旅を続けること、三週間。俺たちは、ついに目的地である『奈落の口』に到着した。
そこに広がっていたのは、まさに圧巻の光景だった。大地が巨大な口を開けたかのように、直径数百メートルはあろうかという巨大な縦穴が、暗い底も見えぬままに広がっている。ゴウゴウと、まるで星の呼吸のような不気味な風が、穴の底から吹き上げていた。
「ここが……アガルタへの入り口」
周囲には、奇妙なほど魔物の気配がなかった。この強大な魔力が渦巻く場所に、下級の魔物は恐れをなして近づくことすらできないのだろう。俺たちは覚悟を決め、ロープを体に巻きつけると、暗く冷たい深淵へと、その身を投じた。
どれほど降りただろうか。光の届かない闇の中を数百メートルは降下した先で、俺たちの足はついに、人工的に切り拓かれた巨大な空洞の底に触れた。そして、目の前には、高さ五十メートルはあろうかという、荘厳な石造りの門がそびえ立っていた。
門には、見たこともない古代の文字がびっしりと刻まれている。
「……読めるぞ」
俺の【アイテム鑑定】スキルは、文字情報に対しても効果を発揮する。
『我らは地底の民。星の裁きを逃れ、悠久の静寂を望む者なり。我らが聖域に足を踏み入れる者よ。心せよ。この先、おぬしらを試すは、武力にあらず。その魂の在り方、心の強さなり』
「心の強さ、か」
俺たちが顔を見合わせると、巨大な石の門は、まるで俺たちを迎え入れるかのように、ゆっくりと、音もなく開いていった。
門の先に広がっていたのは、幻想的な光景だった。天井や壁に埋め込まれた巨大なクリスタルが、青白い柔らかな光を放ち、眼下に広がる巨大な地下都市を照らし出している。信じられないほど高度な技術で作られたであろう美しい建築物が立ち並んでいるが、そこに生命の気配は一切なかった。ここは、滅びてから、あまりにも長い時間が経っている。
都市の中央には、ひときわ巨大な塔がそびえ立っていた。おそらく、あれが俺たちの目指す『天秤の祭壇』へと続く道だろう。
俺たちが中央の塔へと続く、真っ直ぐな大通りに足を踏み入れた、その瞬間だった。
ふわり、と意識が揺らぐ。目の前の景色がぐにゃりと歪み、俺は、いつの間にかフロンティアの街の、あの薄汚い路地裏に一人で立っていた。
「(なんだ……これは!?)」
冷たい雨が、容赦なく体を打ちつける。ガイアスに追放された、あの日の光景だ。
『お前は無能だ! 役立たずだ!』
『お前がいなければ、ゴードンは死ななかった!』
『アルトさんなんて、最初からいなければよかったのに』
ガイアス、セシル、そしてリナの幻影が、俺を取り囲み、嘲り、罵倒する。それはただの記憶の再生ではなかった。俺の心の最も柔らかい部分を抉る、悪意に満ちた幻覚だった。
(違う……俺は、もう……!)
必死に抗おうとするが、絶望的な無力感が、再び俺の心を支配しようとする。その時、俺の隣で、ルナが息を呑み、膝から崩れ落ちるのが見えた。彼女の瞳は虚ろで、奴隷市場で見た時と同じ、深い絶望の色を浮かべている。ミコトもまた、苦しげに頭を抱え、「うるさい……黙れ!」と何者かに向かって叫んでいた。
彼女たちも、それぞれの過去の悪夢を見せられているのだ。この回廊は、俺たちの心を折り、先に進む資格を奪おうとしている。
(くそっ……!)
幻影のガイアスが、聖剣を俺の喉元に突きつける。
『お前がいるから、みんな不幸になるんだ。さっさと消えろよ、ゴミクズ』
もう、ダメか。そう思いかけた、その時だった。俺の脳裏に、仲間たちの顔が浮かんだ。俺を信じてくれるルナの優しい笑顔。ぶっきらぼうだが、誰よりも仲間思いのミコト。そして、俺の力を信じ、導いてくれるハガネ。
そうだ。俺はもう、一人じゃない。
「うるさいッ!!」
俺は、腹の底から声を張り上げた。
「俺はもう、お前たちの言葉に傷つく俺じゃない! 俺には、俺の価値を信じてくれる仲間がいる! 俺は無能なんかじゃない!」
俺の叫びが、幻影の世界に亀裂を入れる。俺は、震えるルナと、苦しむミコトの元へ駆け寄り、二人の手を強く、強く握りしめた。
「ルナ! ミコト! 目を覚ませ! 俺たちがいる! お前たちは、もう一人じゃないんだ!」
俺の手の温もりが伝わったのか、二人の瞳に、正気の光が戻った。
「アルト……様……?」
「アルト……」
「そうだ。俺たちがいる限り、過去の悪夢なんかに、お前たちを渡しはしない!」
俺たちは、三人で固く手を握り合った。互いの存在が、温もりが、心の弱さを打ち破る、何よりも強い力となる。もはや、幻聴も幻影も、俺たちの心には届かなかった。
俺たちは、顔を上げると、まだ続く幻影の回廊を、今度は一歩も迷うことなく、まっすぐに突き進んだ。
やがて、悪意に満ちた幻覚の霧が晴れる。俺たちは、いつの間にか大通りの終わりまでたどり着いていた。目の前には、天へと続くかのような、巨大な塔の入り口が、静かに俺たちを待ち構えている。
最初の試練は、終わった。それは、俺たちの絆の強さを再確認するための、儀式だったのかもしれない。
俺たちは互いに頷き合うと、さらなる謎と試練が眠るであろう、古代の塔へと、その第一歩を踏み出した。




