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第十五話:実力差の証明

辺境の街フロンティアの安宿の一室は、澱んだ空気と、吐き出された怒号で満ちていた。


「ありえない……! あのアルトが、俺に向かって……! あの無能がッ!」


勇者ガイアスは、テーブルを拳で叩きつけ、怒りに肩を震わせていた。《アルカディア》のギルドハウスで受けた屈辱が、彼のプライドをズタズタに引き裂いていたのだ。土下座までしてやったというのに、返ってきたのは氷のように冷たい拒絶。そして、周囲の冒険者たちからの侮蔑の視線。そのすべてが、彼の許容範囲を遥かに超えていた。


「落ち着いてくださいまし、ガイアス様。大声を出すと、外に聞こえますわ」


魔法使いのセシルが苛立たชげに言う。彼女もまた、アルトの変貌ぶりと、手に入れるはずだった「錬成武具」の秘密を前にして、計画が頓挫したことに憤慨していた。


「このまま黙って引き下がれるわけがありませんわ。あの男、そしてあの女たち……私たちから全てを奪っていったも同然ですもの」


その言葉は、火に油を注ぐには十分だった。


「そうだ……そうだとも! あいつが手に入れた力も、仲間も、名声も、元はと言えば俺が拾ってやったからこそあるものだ! それを……!」


「もう、やめましょう……」


その時、部屋の隅でずっと俯いていた聖女リナが、震える声で言った。


「アルトさんは、もう私たちの知っているアルトさんではありません。彼には彼の新しい人生があるのです。私たちには、それを邪魔する権利なんて……」

「うるさい!」


ガイアスが、リナの言葉を遮るように一喝した。


「リナ、お前は甘すぎるんだ! いいか、よく聞け。アルトは道具だ。少し性能のいい道具に化けただけだ。持ち主である俺たちの元に戻すのは、当然の権利だ。奴が素直に言うことを聞かないのなら……力ずくで、その首に再び縄をつけてやるまでのこと!」


ガイアスの瞳には、もはや正気の色はなかった。あるのは、失ったものを取り戻そうとする、醜い執着と狂気だけだった。彼は、新たな計画を口にする。それは、謝罪や懇願といった生ぬるいものではなく、暴力という最も原始的で、彼が得意とする手段だった。


「あいつは、あの女たちがいないと何もできんはずだ。アルト一人の時を狙う。捕らえてしまえば、こっちのものだ」


リナの悲痛な制止の声は、狂気に囚われた勇者と、強欲に目を眩ませた魔法使いの耳には、もう届いていなかった。



その日の夕暮れ時。アルトは一人、ギルドハウスを出て市場の方へと歩いていた。工房で使う消耗品が切れたため、その買い出しだった。普段ならルナかミコトが付き添うのだが、二人は別の依頼の後処理で手が離せなかった。


一人になったアルトの姿を、物陰から監視していたガイアスたちは、これを絶好の機会と見た。彼らはアルトの後をつけ、人通りの少ない裏路地へと追い込んでいく。


「……何の用だ。もう俺たちの間に、話すことなど何もないはずだが」


四方を囲まれ、退路を断たれたアルトは、しかし、少しも慌てる様子を見せなかった。彼はただ、呆れたように、目の前の元仲間たちを見つめている。


「アルト。最後のチャンスをやろう」


ガイアスは、ゆっくりと腰の聖剣を抜き放った。その切っ先が、夕陽を反射して鈍く光る。


「お前が作り出した『錬成武具』とやらを全て差し出し、俺たちのパーティに戻ってこい。そうすれば、今日の無礼な態度は水に流してやってもいい」

「……本気で言っているのか?」

「当然だ!」


アルトの静かな問いに、ガイアスは怒鳴り返した。


「お前は勘違いしているんだ、アルト! お前は無能な鑑定士で、俺は選ばれた勇者だ! その序列は、未来永劫変わらん! お前は、俺の道具として生きるのが、身の丈に合った幸福なのだ!」


その言葉を聞いて、アルトはふっと息を漏らした。それは、諦めと、そしてほんの少しの哀れみが混じった溜息だった。


「そうか。君は、最後まで……何もわかっていなかったんだな」


その言葉が、引き金となった。


「その余裕ぶった態度が気に食わんのだ! 思い知らせてやる! あの女たちがいなければ、お前など、ただの木偶の坊だということをな!」


ガイアスが地を蹴り、聖剣を振りかぶり、アルトに斬りかかった。その切っ先が、アルトの喉笛を捉える、まさにその寸前。


二つの影が、音もなく、天から舞い降りた。


ドンッ! という鈍い音と共に、ガイアスの体は凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされる。何が起こったのか理解できないまま、彼は壁に叩きつけられ、咳き込んだ。


「……やっぱり、こうなったか。あんたみたいなクズは、言葉じゃわからねえと思ったぜ」


アルトの前に立っていたのは、漆黒の籠手【百獣の爪牙】を装着したミコトだった。彼女が、ガイアスの突進を、片手で殴り飛ばしたのだ。


そして、その反対側には、すでに矢をつがえたルナが静かに佇んでいた。


「私たちは、アルト様が一人で危険な場所へ行くことを、お許しするほど愚かではありません」

「お前たち……! やはり、待ち伏せか!」


ガイアスの背後から、セシルが魔法の詠唱を開始する。

「小賢しい真似を! まとめて焼き尽くしてやりますわ!――獄炎槍フレイムランス!」

Aランク級の攻撃魔法。巨大な炎の槍が、轟音と共にアルトたちに迫る。だが、ルナは冷静だった。彼女が放った一本の矢は、まるで吸い寄せられるかのように炎の槍の核へと突き刺さり、その魔力構造を内側から破壊する。炎の槍は、俺たちに届くことなく、空中で霧散した。


「なっ!?」


セシルが驚愕する隙を見逃さず、ルナは二の矢を放つ。その矢はセシルの足元に突き刺さり、そこから発生した風の魔力が、彼女の体を地面に縫い付けた。

「きゃっ! 動けない!」


戦況は、一瞬で決した。リナは、仲間たちが赤子の手をひねるようにあしらわれる光景に、ただ震えていることしかできない。


「おのれ……おのれぇぇぇっ!」


残されたガイアスは、屈辱に顔を歪ませ、最後の力を振り絞った。彼は、傷ついた体を無理やり起こすと、聖剣にありったけの聖なる力を注ぎ込む。剣が、真昼の太陽のように眩い光を放ち始めた。


「化け物どもが……! 勇者の、俺の全力、受けてみろ!」


ガイアスの狙いは、ルナでもミコトでもない。全ての元凶である、アルトただ一人。


「死ねえええええっ!――ホーリーブレードッ!!」


勇者の最強スキル。聖なる光の刃と化したガイアスが、アルトに向かって突進する。ミコトとルナが迎撃しようとするが、それよりも速く、アルトは静かに手を挙げ、二人を制した。


「下がっていろ。こいつの相手は、俺がする」


アルトは、迫り来る必殺の一撃を前にして、一歩も動かない。ただ、その指にはめられた、ハガネが作ったシンプルなミスリルの指輪に、そっと魔力を流し込んだ。


『マスター、わしが錬成した概念防御じゃ。存分に使うがよい』


アルトの目の前に、光とも闇ともつかない、空間の揺らぎのようなものが一瞬だけ現れる。

ガイアスの放った『ホーリーブレード』が、その揺らぎに触れた。


そして――消えた。


何の爆発も、衝撃も起こらない。ただ、ガイアスが放った絶対的な威力を誇るはずだった聖なる光は、まるで水面に落ちたインクが溶けるように、跡形もなく、完全に無に帰したのだ。


「な……に……が…………?」


全魔力と生命力を注ぎ込んだ一撃が消滅したという、理解不能な現象を前に、ガイアスは膝から崩れ落ちた。聖剣は手から滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てて地面に転がる。


静寂が、路地裏を支配した。

ガイアスは、力なく顔を上げた。その目に映ったのは、無傷で佇むアルトの姿。彼は、自分を打ち負かした恐るべき仲間たちの力によってではなく、無能と罵り続けたアルト自身の、未知なる力によって、完膚なきまでに敗北したのだ。


アルトは、絶望に染まった勇者を見下ろし、静かに告げた。


「これが、今の俺と君との差だ、ガイアス。君は、与えられた力に驕り、それに頼ることしか知らなかった。だが俺は、自分に必要な力を、この手で創り出してきた」


その言葉は、ガイアスの心を、彼の勇者としてのプライドを、完全に粉砕した。


「もう二度と、俺たちの前に現れるな。この街から消えろ」


それは、命令であり、最後の慈悲だった。

アルトはもはや彼らに一瞥もくれず、背を向けた。その両脇を、ルナとミコトが、絶対の信頼を込めた眼差しで付き従う。


後に残されたのは、地面に膝をつき、虚ろな目で動けなくなった勇者の成れの果てと、拘束されたまま呆然とする魔法使い、そして、ただ静かに涙を流し続ける聖女の姿だけだった。

辺境の路地裏で、勇者の物語は、音もなく終わりを告げた。そして、錬成術師の物語は、まだ始まったばかりだった。

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