第十二話:辺境の守護者
【鉄牙団】による洞窟での一件以来、俺たち《アルカディア》を取り巻く空気は一変した。以前のそれは、得体の知れない新人に対する好奇と嫉妬が入り混じったものだったが、今は違う。卑劣な罠を実力で乗り越え、なおかつ街の長年の懸案だったジャイアントアントの巣を壊滅させた俺たちは、多くの冒険者から畏敬の念をもって見られるようになっていた。
一方で、【鉄牙団】の評判は地に落ちた。彼らの卑劣な行いはすぐに街中に知れ渡り、ギルドに所属していた良識ある冒険者たちが次々と脱退。フロンティア最大手という看板は見る影もなく、今や三流ギルドにまで落ちぶれていた。リーダーのバランは、ギルドに顔を出すことも稀になり、酒場で荒れているという噂だけが、風の便りに聞こえてくる程度だった。
「自業自得だな」
街の噂を聞きながらミコトが鼻を鳴らす。その隣で、ルナが静かにお茶を淹れてくれる。ハンマーの姿のハガネは、工房で新しい武具の設計に夢中だ。俺たちのギルドハウスには、穏やかで満ち足りた時間が流れていた。俺たちがようやく手に入れた、かけがえのない日常。
だが、その平穏は、ある日の午後、前触れもなく引き裂かれた。
カン!カン!カン!カン!
街の城壁に設置された警鐘が、けたたましい音で鳴り響いたのだ。それは、街の存亡に関わる、最大級の緊急事態を知らせる鐘の音だった。
「何事だ!?」
俺たちは顔を見合わせ、すぐさまギルドハウスを飛び出した。街はすでに大パニックに陥っていた。人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、衛兵たちが必死に避難誘導を行っている。俺たちが街の城壁の上に駆けつけると、そこにいた見張りの兵士が、絶望に顔を青く染めて、空の一点を指さしていた。
「……嘘だろ」
俺の口から、思わず乾いた声が漏れた。
西の空を、黒い翼が埋め尽くしていた。一体一体がAランク級の魔物であるはずの飛竜、ワイバーン。その数が、ざっと見ただけでも十体は超えている。翼を広げれば家ほどもある巨大な竜が、群れをなして、一直線にこの街フロンティアに向かってきていた。
「なぜ、ワイバーンの群れがこんな場所に……!」
「近隣の火山が活発化した影響で、奴らの巣が破壊されたらしい! 行き場を失った群れが、食料を求めて……!」
衛兵隊長が、苦々しく吐き捨てる。前代未聞の災厄。街が誇る防壁も、空からの攻撃に対してはあまりにも無力だ。冒険者ギルドも緊急招集をかけてはいるが、誰もがこの絶望的な戦力差を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。かつての最大戦力であった【鉄牙団】も、もはや見る影もない。
街が、蹂躙される。誰もが、そう思った。
「……ちっ。私たちには関係ない。街の人間がどうなろうと、知ったことか」
隣でミコトが、忌々しげに呟いた。彼女が人間から受けてきた仕打ちを考えれば、その言葉も無理はない。だが、その金色の瞳は、怯えて泣き叫ぶ子供の姿を捉え、哀れみと怒りの間で揺れていた。
ルナは、何も言わずに俺の顔をじっと見つめている。その翡翠の瞳は、「アルト様が戦うと決めるなら、私も」と、雄弁に物語っていた。
俺は、逃げ惑う人々を見た。俺たちが買い物をしたパン屋の夫婦。いつも愛想よく挨拶してくれる道具屋の娘。そして、俺たちに新しい居場所を与えてくれた、この街そのもの。
ここは、俺たちが初めて手に入れた『家』だ。
「……好き勝手に、壊されてたまるか」
俺の口から、静かだが、鋼のような決意を込めた言葉が漏れた。
「行くぞ、二人とも。俺たちの家は、俺たちで守る」
「……へっ、仕方ないな。あんたがそう言うなら!」
「はい、アルト様!」
ミコトは不敵に笑い、ルナは力強く頷いた。俺たちの意志は、一つになった。
城壁の上で、俺は迫り来るワイバーンの群れを冷静に観察する。
「数は十二。統率は取れていない。問題は、空を高速で飛び回る機動力と、口から吐く火炎ブレスだ。まともに相手をしていては、街が火の海になる」
『マスター! ルナの矢に、対空用の特殊な機能を付与するぞ! 奴らの翼を封じ、地に引きずり下ろす!』
頭の中に、ハガネの頼もしい声が響く。俺は懐から、予備として持ち歩いていた二種類のスキル珠を取り出した。蜘蛛の魔物から手に入れた【束縛糸】と、ゴーレムから手に入れた【重力加算(微弱)】のスキル珠だ。
「ハガネ、イメージを共有する! ルナ、矢筒を!」
俺はルナから矢を数本受け取ると、その鏃にスキル珠を接触させ、【スキル錬成】を発動させた。
(狙うは翼! 矢が命中した瞬間、魔力の糸が翼に絡みつき、動きを封じる! 同時に、超重力が発生して、その体を地面に叩きつける!)
《【束縛糸】と【重力加算(微弱)】を素材とし、矢への付与錬成を開始します……成功しました。【グラビティ・バインド・アロー】を生成しました》
数本の矢の鏃が、禍々しい紫色の魔力を帯びて輝き始めた。俺はそれをルナに手渡す。
「ルナ、この矢で、飛んでいる奴らを一匹ずつ地に落とすんだ。頼めるか?」
「お任せください!」
俺は周囲で絶望していた衛兵隊長や冒険者たちに向かって叫んだ。
「皆、聞いてくれ! 俺たちが空の敵を引きずり下ろす! 皆さんは、地上に落ちた個体を叩いてくれ! この街は、全員で守るんだ!」
俺の言葉に、最初は誰もが半信半疑の顔をしていた。だが、その時、最初のワイバーンが城壁の上空に到達し、灼熱の火炎ブレスを吐き出そうと大きく口を開けた。
絶望が、再び人々を支配しかける。その瞬間、ルナの放った一本の矢が、閃光のように空を切り裂いた。
矢は、ワイバーンの巨大な翼の膜を見事に貫いた。その直後、矢が放った紫色の魔力の糸が、蜘蛛の巣のようにワイバーンの翼に絡みつき、その動きを完全に封じ込める。さらに、ワイバーンの巨体が、まるで巨大な鉛の塊になったかのように、急激に落下速度を増した。
「ギシャアアアア!?」
悲鳴を上げる間もなく、ワイバーンは凄まじい勢いで街の外の地面に激突し、巨大なクレーターを作って動かなくなった。
「…………」
城壁の上は、水を打ったように静まり返った。そして、次の瞬間、爆発的な歓声が沸き起こった。
「す、すげえ……!」
「あのワイバーンを、矢一本で墜落させやがった!」
「いけるぞ! あの矢があれば、俺たちでも戦える!」
絶望の淵にいた冒険者たちの目に、闘志の光が戻った。
その光景を背に、ルナは次々と【グラビティ・バインド・アロー】を放っていく。矢が放たれるたびに、一頭、また一頭と、空の脅威が地に落ちる。
「さあ、お前たちの出番だぞ! 獲物は目の前だ!」
地に落ち、身動きが取れなくなったワイバーンに、勇気を取り戻した冒険者たちが一斉に襲い掛かる。そして、その先頭には、誰よりも速く、誰よりも力強く駆ける獣人の少女の姿があった。
「オラアアアアッ!」
ミコトが、墜落したワイバーンの脳天に、【百獣の爪牙】を纏った拳を叩き込む。その一撃は、ワイバーンの硬い頭蓋骨を、熟れた果実のように容易く粉砕した。
戦況は、完全に覆った。それはもはや、一方的な蹂躙ではなく、人と竜との総力戦だった。
だが、一頭だけ格の違う個体がいた。群れの中でもひときわ巨大で、その鱗が黒曜石のように輝く、リーダー格のワイバーンロードだ。そいつは、ルナの矢を巧みにかわすと、この状況を作り出した俺たち三人に狙いを定め、一直線に突っ込んできた。
「アルト!」
「ミコト、跳べ!」
俺の叫びと同時に、ミコトが城壁から空高く跳躍した。ルナは、そのミコトの足元めがけて、最後の一本の【グラビティ・バインド・アロー】を放つ。
ミコトは、空中でルナの矢を足場にすると、信じられないほどの跳躍力でさらに高く舞い上がった。それは、まるで空を駆けるかのような、三位一体の神業だった。
ワイバーンロードの懐に潜り込んだミコトは、そのがら空きになった心臓部めがけて、ありったけの闘気を込めた拳を突き出した。
「これが、私たちの力だ! 【獣王・滅閃撃】!!」
閃光が、空を裂いた。
ワイバーンロードは断末魔の叫びを上げることもできず、その巨体が光の粒子となって消し飛んでいく。
リーダーを失った残りのワイバーンの群れは、完全に統制を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
後に残されたのは、静寂と、自分たちが成し遂げたことが信じられないといった表情で、空を見上げる人々の姿だった。やがて、誰からともなく、拍手が起こった。それは一人、また一人と伝播し、ついには街全体を揺るがすほどの、割れんばかりの大歓声へと変わった。
《アルカディア》の名を呼ぶ声。俺たちの名を、英雄として讃える声。
俺たちは、もはやただの「驚異の新人」ではなかった。この日この瞬間、俺たち《アルカディア》は、この辺境の街フロンティアの、誰もが認める『守護者』となったのだ。
その光景を、崩れかけた【鉄牙団】のギルドの窓から、バランが憎しみに満ちた瞳で、ただじっと見つめていた。




