第一話:無能の烙印
じめじめとした空気が肺を重く満たしていく。壁から滴る水滴の音だけが、不気味な静寂に支配された地下迷宮の通路に響き渡っていた。俺、アルト・シュヴァイツァーは、息を殺しながらパーティの最後尾を歩く。手に握られているのは、なまくらなショートソード一本。それは護身用というより、もはや気休めのお守りに近かった。
俺の職業は【アイテム鑑定士】。戦闘にはほとんど役に立たない、いわゆるハズレ職だ。それでも、幼い頃からの夢だった冒険者になることを諦めきれず、王国随一と謳われる勇者ガイアス様のパーティ『光の剣閃』に拾ってもらえた時は、天にも昇る気持ちだった。
……もっとも、その喜びが幻想だったと気づくのに、そう時間はかからなかったが。
「おい、アルト! ぼさっとするな! 次の角から魔物の気配がするぞ!」
パーティリーダーである勇者ガイアスが、忌々しげに振り返り俺を睨みつける。陽光を浴びて輝くはずの金髪も、この薄暗いダンジョンの中では色褪せて見えた。
「は、はい! すみません!」
俺は慌てて小走りになり、パーティとの距離を詰める。俺たちのパーティは、勇者ガイアスを筆頭に、鉄壁の守りを誇る戦士ゴードン、広範囲を殲滅する魔法使いセシル、そして皆を癒す聖女リナという完璧な布陣だ。そこに、俺のような【アイテム鑑定士】の居場所など、本来あるはずもなかった。
案の定、角を曲がった先には、醜悪な緑色の肌をしたゴブリンの群れが待ち構えていた。数は十体ほど。ゴードンが雄叫びを上げて大盾を構え、先陣を切る。
「ウォォォ! 雑魚どもが、俺様の相手になるか!」
「塵芥と化しなさい!――ファイアボール!」
ゴードンの巨躯がゴブリンたちの攻撃をすべて受け止め、その隙にセシルの放った火球が炸裂する。轟音と共にゴブリン数体が黒焦げになって吹き飛んだ。残った個体も、ガイアスの聖剣が放つ閃光によって、次々と切り伏せられていく。
俺にできることと言えば、戦闘が終わった後にドロップアイテムを拾い集め、その価値を鑑定することだけだ。
「おい、アルト! この魔石の純度はどうだ! 早くしろ!」
ガイアスが投げつけてきた、ゴブリンの心臓からドロップした魔石を慌てて受け止める。俺は両手でそれを包み込み、意識を集中させた。
「スキル、【アイテム鑑定】!」
脳内に直接、魔石の情報が流れ込んでくる。
=================
【ゴブリンの魔石(低品質)】
・魔力含有量:3/100
・属性:無
・特記事項:加工しなければ、魔道具の燃料としても価値は低い。
=================
「低品質です! 魔力含有量もかなり低く、換金しても銅貨数枚かと……」
「ちっ、使えねえな! そんなことだろうと思ったぜ」
報告が終わる頃には、ガイアスはすでに次の獲物へと興味を移していた。ゴードンに至っては、聞こえよがしに舌打ちをし、俺の脇腹を軽く蹴りつけてくる。
「ぐっ……」
「鑑定にいちいち時間がかかりすぎなんだよ、この無能が。お前が鑑定し終わる頃には戦闘はとっくに終わってるんだ。意味ねえだろ」
悔しさに唇を噛むが、言い返す言葉もない。それが事実だったからだ。俺の【アイテム鑑定】は、集中しなければならず、発動までに数秒の時間を要する。目まぐるしく戦況が変わる戦闘の最中では、ほとんど役に立たないのだ。罠の鑑定を任されても、俺が鑑定を終える前にゴードンが罠ごと壁を破壊した方が早い、というのがこのパーティの結論だった。
聖女のリナだけが、いつも心配そうな顔で俺を見てくれる。
「ゴードンさん、そんな……。アルトさんだって、一生懸命やってくれてるわ」
「リナは優しすぎるんだ。こいつみたいな足手まとい……いや、役立たずは、もっと厳しくしないとダメなんだよ」
ガイアスがリナの肩を抱き寄せ、俺を蔑んだ目で見下ろす。その度に、俺の心はすり減っていく。それでも、いつかきっと役に立てる日が来ると信じて、俺は必死にパーティに食らいついていた。
◇
ダンジョン攻略を開始して五時間。俺たちは、目的地の最深部、『嘆きの間』に到達していた。そこには、このダンジョンの主であるゴブリンキングが、巨大な石の玉座に鎮座していた。
「グルルルル……」
その体躯は通常のゴブリンの三倍はあろうかという巨体で、手には人の背丈ほどもある巨大な鉄棍を握っている。その鉄棍には、不気味な紫色のルーン文字がびっしりと刻まれ、禍々しい魔力を放っていた。
「来るぞ! 総員、警戒態勢!」
ガイアスの号令と共に、空気が張り詰める。ゴードンが前に出てヘイトを集め、セシルが牽制の魔法を放つ。しかし、ゴブリンキングはセシルの魔法を鉄棍で軽々とはじき返すと、凄まじい速度でゴードンに突進した。
「なっ……!?」
ゴードンの自慢の大盾が、鉄棍の一撃でくの字にへし曲がる。ゴードン自身も数メートル吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「ゴードンさん!」
「くそっ、なんてパワーだ……!」
リナが即座に回復魔法を詠唱するが、ゴブリンキングの追撃は止まらない。ガイアスが聖剣で斬りかかるも、硬い皮膚に阻まれ、浅い傷しか与えられない。戦況は、明らかに劣勢だった。
俺は後方で震えながらも、必死に目を凝らし、【アイテム鑑定】を試みる。狙うは、あの不気味な鉄棍だ。あれがゴブリンキングの力の源であることは間違いない。
(集中しろ……集中しろ……!)
激しい戦闘の余波が、何度も俺の体を揺さぶる。だが、今はこれしか俺にできることはない。仲間たちの役に立つ、唯一の機会かもしれないのだ。
やがて、脳内に情報が流れ込んでくる。
=================
【呪詛の鉄棍】
・攻撃力:???
・属性:闇
・付与スキル:『魔力増幅』『物理耐性』
・特記事項:古代の呪術によって強化されている。鉄棍に刻まれたルーン文字が魔力の源。しかし、長年の使用により、右から三番目のルーン文字に微細な亀裂が生じている。そこが唯一の弱点。
=================
「(これだ……!)」
俺は歓喜に打ち震えた。初めて、俺のスキルが戦局を覆す鍵を見つけ出したのだ。
「ガイアスさん!」
俺は声を張り上げた。
「あの鉄棍です! 鉄棍に刻まれたルーン文字、その右から三番目にヒビが入っています! そこが弱点です!」
しかし、俺の渾身の叫びに返ってきたのは、焦りと怒りに満ちた罵声だった。
「黙ってろ無能が! 勇者の俺に指図するな!」
ガイアスは俺の進言を一顧だにせず、聖剣の光を最大に輝かせ、ゴブリンキングに正面から突撃した。
「喰らえ! ホーリーブレード!」
それは、彼の最大の一撃だった。だが、ゴブリンキングは鉄棍を振りかぶると、ガイアスの聖剣を真正面から迎え撃つ。甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。そして――ガイアスの聖剣は、いとも容易く弾き返された。
「な……馬鹿な!?」
体勢を崩したガイアスは、がら空きになった胴体に、鉄棍の痛烈な一撃をまともに食らってしまった。鎧が砕け散り、彼はまるでボールのように壁まで吹き飛ばされる。
「ガイアス様!」
リナの悲鳴が響く。パーティの要である勇者が倒れ、戦線は一気に崩壊した。
もはやこれまでか、と誰もが死を覚悟したその時だった。瀕死のゴードンが最後の力を振り絞り、ゴブリンキングの足に組み付いたのだ。
「今だ……セシル! やれぇ!」
「ゴードン……! あなたこそ英雄よ!――エクスプロージョン!」
セシルの詠唱が完了し、ゴブリンキングの真下で大爆発が巻き起こる。凄まじい熱風と衝撃波がダンジョンを揺らし、俺は壁に背中を強く打ち付けた。煙が晴れた後には、上半身が消し飛んだゴブリンキングの亡骸と、黒焦げになったゴードンの姿があった。
◇
命からがらダンジョンを脱出した俺たちの雰囲気は、最悪だった。ゴードンは死に、ガイアスもリナの回復魔法で一命は取り留めたものの、プライドも鎧もズタズタに引き裂かれていた。
ギルドへの報告を終え、街への帰り道を歩いている時だった。ガイアスが突然立ち止まり、俺を振り返った。その瞳には、昏く、冷たい怒りの炎が宿っていた。
「アルト」
「は、はい……」
「お前のせいだ」
吐き捨てるような、低い声だった。
「お前のせいで、俺は……いや、俺たちは危険な目に遭った。ゴードンは死んだ」
「え……?」
何を言われているのか、理解が追いつかなかった。
「お前の鑑定がデタラメだったせいだ! あの鉄棍に弱点などなかったじゃないか! お前の嘘を信じかけたせいで、俺の攻撃のタイミングが乱れたんだ!」
理不尽。あまりにも理不尽な責任転嫁だった。
「そ、そんなことは……! 確かに、弱点はありました! 僕の鑑定は間違っていません!」
「まだ言い訳するか! この役立たずが!」
ガイアスの怒声が響く。彼は、自分の失敗を認めたくないだけなのだ。自分のプライドを守るために、最も弱い俺をスケープゴートにしようとしている。
「もう我慢ならん。アルト、お前は今日限りでパーティを追放だ」
その言葉は、まるで冷たい刃のように、俺の胸に突き刺さった。
「そん、な……待ってください、ガイアスさん!」
「うるさい! 俺たちのパーティに、お前のような無能の居場所はない!」
俺は助けを求めるように、他のメンバーを見た。しかし、セシルは「当然の判断ね。足手まといは消えるべきよ」と冷たく言い放ち、リナは悲しそうに顔を伏せるだけで、ガイアスを止めてはくれなかった。
抵抗する間もなく、俺は装備していたなけなしの革鎧を剥ぎ取られ、報酬として渡されるはずだった銅貨一枚すら与えられず、パーティから文字通り放り出された。
降り始めた冷たい雨が、俺の体を打ちつける。信じていた仲間からの、あまりにも非情な裏切り。冒険者になるという夢も、ささやかな居場所も、すべてを失った。
「どうして……」
震える唇から、か細い声が漏れる。
「僕は、ただ……みんなの役に、立ちたかっただけなのに……」
その小さな呟きは、誰に届くこともなく、無情な雨音にかき消されていった。世界からたった一人、切り離されてしまったかのような絶望感の中で、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。




