番外 真夏の白昼夢
真琴の弟である光一のひと夏の出来事です。
試合を終えた光一は時間を確認する。まだ3時を回ったところで灼熱の空を見上げながら大きく溜息を吐いた。地方大会予選で訪れた長閑な地域にある会場の校内は夏休みという事もあり、生徒も疎らで他校の制服が目立っている。光一は同校生徒をグランド隅にある木陰で待ち、行き交うライバル達に目を向けながら敗戦の要因を分析していた。
「悪ぃ‥待たせたな‥」
まだ髪から水を滴らせたまま部長が駆けてきたかと思うと山のように置かれている部員の荷物に手をかける。
「他の人達はまだ着替えてないんですか?」
それを見て光一も荷物を持ちながら聞く。
「いや、それがこのまま敗戦校同士で合同練習しないかって話になってな‥明和の奴らが自分とこで開催して負けたのが悔しいからって監督に交渉したみたいで良かったら一緒にどうかってさ」
「それは良いですけど僕は先に帰りますよ?」
「分かってるよ、マッキーの命日だもんな‥もう二年になるんだな」
話しながら二人で荷物を抱えて歩き出す。少ししんみりしながら校舎裏を通り、プールがある建物の傍まで来ると他の部員が更衣室前で光一と部長を待っていた。光一は抱えた荷物をそれぞれ渡してから他の部員に別れを告げて一人、校門へ向けて歩き出す。他の部員も事情を理解しているのか誰も光一を引留める事はなかった。
二年前、まだ中学生だった光一には幼馴染で親友だった牧村直人というライバルがいた。小学校からスイミングスクールでお互い競い合った仲でずば抜ける程ではなかったが地域ではそこそこの順位を争う間柄だ。私生活もクラブもいつも一緒でまるで兄弟のようだと近所でも評判だった。そんな二人が共通の友人に誘われ、隣の町内会の子供会行事に偶々参加した時の事。二人は川遊びで溺れた低学年を救った。しかし直人は助けた子供を光一に預けるとあと一人と呟いてまた川に飛び込みそのまま上がってくる事は無かった。溺れた子供は誰から見ても二人だったはずなのに直人は誰を助ける為に再び川に飛び込んだのか最後まで分からなかった。目前にいた光一はずっと何か出来たのではないかとあの時から悔み続けている。
光一は照り返しのきつい路面を見ながらバス停を目指す。あまりの暑さに少し目眩がしそうだ。目指すバス停の方から試合を終えた生徒達で犇めき合うバスが走ってきて光一の横を通り過ぎる。
〈タイミング最悪だ‥〉
ぼんやり行き過ぎたバスを眺めながら思うとまたバス停に向かって歩き出した。バス停まで来るとやはり誰もいない。光一はカバンをベンチに置いて自分もどっかり腰を下ろすが一応、日除けはあるものの路面から熱風が全身を覆い、より倦怠感を誘う。この時間にこの場所ではバスは暫く来ないだろうと思うと時刻表を確認する気にもなれず長い溜息を吐きながら目を閉じた。
どれくらいそうしていたか微かな気配にうっすら目を開けてそちらに視線を向けてみる。大きなつばの帽子を被った少女がいつの間にかそこに座っていた。少女の顔は帽子でよく分からないが鼻先と口元を見る限り整った顔立ちをしていそうだ。少女は黙って前を見たままほとんど動かずにそこに座っていて光一はまた目を閉じると少しだけ少女から顔を逸らせた。遠く近く蝉しぐれが響く中でふと脳裏をあの時の記憶が駆け巡る。
直人と川で泳いでいる時にしきりに直人が山を見上げている事があった。山中には赤い鳥居と宿泊しているお堂の立派な瓦屋根くらいしか見えないのに何かを探すように時折、視線を走らせていたのだ。昨日、肝試しで行った神社で直人がおかしな事を呟き、その場にいた子供達を怖がらせていたのでそれに関係あるのかどうかは分からないが光一はそんな直人を見て酷く不安を覚えた。
「綺麗な薄オレンジの花が描いてある浴衣の子がまだ戻って無い」
昨夜の肝試しの終わりそう言って鳥居の所から境内の方を眺めていた直人を何とか説得して皆はお堂へ連れ帰ったのだが初めからそんな少女はいなかった。しかし直人はずっと一緒にいたと主張し、話は平行線を辿り今朝、地元にもそういう子供がいない事を確認してようやく直人も納得したというちょっとした事件があったのだ。
光一はと言うと実は直人が見ていた少女を確認していたがこの世のモノで無い事をすぐに察知して敢えて直人を擁護する事は無く、出来るだけ気にしないよう助言した。その少女というのが肩位までの髪に色白でとても可愛らしく、もろに直人の好みだからこそ普段はあまり他人を気にしない直人が食い下がったのだろう。お堂へ帰り寝着くまで光一に少女の話をしていた。
そういう経緯から直人はしきりに山の方を気にしていたのだ。光一には親譲りの霊感はあったが兄の真琴程の力は無く、除霊や浄霊の類などは出来ずにただ見える程度でこういう時にどうする事も出来ない。強いて何かしら対策を取るならば「気にしない」「関わらない」事ぐらいだ。
「あんまり気にするなよ」
山を見上げる直人に言えるのはこれ位の言葉しかなかった。直人は光一のそう言った性質も知っているが他の者と違い不可解な現象に対する質問をぶつける事はなかった。
「絶対、あの子いたはずなんだけどおっかしぃなぁ‥」
しきりにぶつぶつとそう言っては泳ぎを再開する。昼になると子供達はお堂に戻って昼食を取り、少しだけ昼寝をした後にまた川遊びに興じた。
「おーい‥スイカ切ったぞー!」
昼からの用事を済ませた大人達が河原に来てバーベキューの準備を始めたかと思うとそう言って子供達に声を掛け集める。皆はその傍らに集まると順にスイカを貰いながらそれぞれの場所で食べ始めた。
「なぁ‥あれってやっぱ幽霊なのか?」
いつもはそういった話を振ってこない直人が話を振ってきて驚きながら光一はスイカにかぶりつく口元を止めて直人を眺める。
「俺‥そういうのよく分かんねぇし信じて無かったから今までお前にこういう事も聞かなかったけどあの子の事は何と無くだけどちゃんと知りたいんだ」
続けた直人の頬は少し赤く染まり、恐怖と言う感情より恋慕に近いのが分かった。
「まぁ、そういう類のモノだと思うけど変な執着とか嫌な感じはしなかったからこっちから何かしたり気にしなければ害は無いと思うよ」
いつも通り無難な言葉を返したが直人はそれを聞くとスイカを夢中で食べ尽くして今聞いた言葉を振り切るようにまた川へと駆けて行く。その夜は川遊びの疲れで皆は早々に熟睡した。
翌日は村の山仕事を手伝い、昼から川遊びをして夜は近所の村祭りに参加したが光一はふと直人の姿が見えない事に気が付いた。あちこち探したが姿は見えず、お堂に戻る頃には輪に戻っていたのでさほど気にする事も無くその日も終えた。更に翌日は前日の祭りの片付けを手伝い、昼からは村の子供達との懇親会を兼ねたハイキングに参加する。
「ここの山には神様が棲んでるんだよ」
村の子供の一人がそう言いながら大きな杉の大木群を指さしながら言うと光一達はそちらに視線を向ける。確かに荘厳なその景色を見るとそんな気がしてきた。お菓子を交換したり分けたりしながら和気藹々と夏山を楽しんで下山し始めはお堂で村の子供達を交えて話をしていたが一人帰り二人帰りして村の子供がいなくなる頃にはぽつぽつ寝入る子供も増え、自然に消灯となった。
ふと光一は隣にいる直人の気配が動くのを感じて目を覚まし、薄く目を開けてそちらに視線を送ると直人がゆっくり起き出して辺りを気にしながら大広間を出て行く姿が見えた。
〈トイレかな?〉
何となくそう思いながらもう一度、目を閉じてウトウトしていたが一向に直人が戻ってくる気配は無く、気になってトイレに様子を見に行った。しかし直人の姿は無く、光一は玄関先へ行き直人のサンダルを探す。乱雑に下駄箱に入れられた履物の中に直人のサンダルは見当たらず、光一はもしやと思いつつも肝試しをした社まで行ってみる事にした。細やかに足元だけ照らせるだけの明かりしか持たずに出てきた事を少し後悔しながら光一は田舎道を警戒しながら進む。鳥居の所まで来ると境内の方から明かりがちらちら見えて光一は足早にそちらに向かった。
「何やってるんだよ?」
光一に気付いた直人が歩み寄りながらそう声を掛けてきた。
「それはこっちの台詞だろ‥こんな夜中に何やってるんだよ?」
呆れ半分、安心半分で光一は返す。
「いや‥その‥」
直人は少し頬を染めて口籠る。その様子を見て光一は心中を察して大きく溜息を吐いた。
「相手は幽霊じゃないか‥不毛だろ?」
「あの子はそんなんじゃねぇって!帰るぞ!」
光一が言うと直人は照れたようにお堂の方に歩を向けた。二人は無言でお堂まで戻って来ると再び布団に潜り込む。背を向ける直人に暫く視線を預けていたが光一は疲れもあり、すぐに眠りに落ちた。
翌朝は村の子供達と虫取りに山に入り、昼からは一緒に川遊びをした。光一達も仲良くなった数人で深場で遊んでいたが低学年の遊んでいる浅場で悲鳴が聞こえてそちらへ目を向けた。どうやら何人かがこちらへ来ようとして流れに足を取られたらしく流されているのが見えた。咄嗟に直人と光一はそちらへ向かって泳いで行き子供等を助け上げる。
「こいつ頼む!」
直人は助け上げた子供を光一に預けるとまた深みの方へ泳いで行った。
「おい!そっちはまずい!」
村の子供の一人が直人を呼び止めたが構わず流れのうねる方へ泳いで行き姿を消した。
光一はそれを見ながら子供達を岸に連れて行くと河原を駆けて直人が姿を消した周辺に視線を走らせる。ゆっくり川下の方へ歩を向けて注意深く川面に目を凝らすがどこにも直人の姿は見えない。光一はもう一度、川に浸かって姿が消えた周辺へ向かおうとしたが村の子供達に止められ、その時に視界の端にあの時の少女が見えた気がした。やがて大人達がやってきて総出で辺りを探したりもしたが結局、いつまでたっても直人の姿が見つかる事は無かった。
地元に戻り数日後、遺体も無いまま直人の葬儀が行われ光一達も直人の両親も実感も無く直人の死を受け入れなければならなかった。
不意に光一は何かを思い出し、慌てて目を開けると少女の方を見ようとしたが体が動かない。そのままの体制で視線だけ少女の方へ向けてみるがやはり少女は動く事無くそこで静かに座っていた。アスファルトからの熱気と蝉しぐれで気が遠くなりそうだ。
どれくらいそうしていたのか陽炎の向こうに学生らしき青年が自転車でこちらに向かってくる姿ば見えた。どんどん近付いてくるその青年に助けを求めようと思ったが如何せん声も出ない。この灼熱の中で冷や汗をかきながら光一は少女と青年を交互に眺めてどうにか動こうと必死にもがく。あともう少しで青年が前まで来るという時にフッと少女は立ち上がった。少女が光一の方を見た瞬間に記憶が蘇る。あのオレンジ色の花を描いた着物を着た少女がそこにいた。直人がいなくなった時に視界の端で悲しげに水面を見ていた少女が申し訳なさそうに微笑むと少女は自転車を止めた青年の後ろに乗った。
「じゃぁな‥」
青年は自転車をこぎ出すと光一に一言そう言った。目からはらはらと涙が溢れると体の自由が戻り、慌てて光一は青年が走り去った方向へ向けて駆け出そうとしたがそこにはもう誰もいなかった。ただ満足そうな直人の声だけが耳に残る。
「神様をナンパするのはお前くらいだよな‥」
間近で見てようやくあの少女が幽霊で無く神の類である事に気付いた光一はちょっと呆れたように涙も拭わず微笑んだ。
夏も盛り‥
もしかしたらこの暑さが見せた白昼夢かもしれないが睦まじい親友とあの少女の姿を見て光一はようやく気持ちの整理をつける事が出来たのだった。
おわり