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ワルツ

挿絵(By みてみん)


~序章


額に汗を浮かべながら周防真琴は注連縄で囲われた結界の内側で詠唱を終え大きな岩に手を付いた。するとその岩から幾筋もの光が空に向かって駆け上り夜空の彼方へと消え、それを見送ると一つ溜息を吐く。

「流石、白銀の龍神遣い‥見事やねぇ」

微笑ながら巫女姿の少女が言うと真琴は汗ばんだ銀髪を掻き上げ何と無く面倒臭そうに視線を逸らせた。

「お世辞は良いですって‥それよりこういう仕事振ンの止めて下さいよ。

ただでさえ目を付けられてるのにまた睨まれるじゃ無いっすか‥」

勘弁してくれと言わんばかりに返すと奇妙な気配に気付いてそちらに視線を向ける。

「ああ、うちの鬼遣いやから気にせんといて‥報酬はダーリンに持って行かせるわ

それと悪いんやけどこの子に手ぇ貸して貰われへんやろか?

ちょっとうちら動かれへんねん」

少女は目つきの悪い青年へ傍へ来るよう目配せすると真琴に微笑みかける。

「はいはい‥奴には借りがあるからもう何でもやりますよ

それじゃ失礼しますー」

少女に言われると少し投げやりに答え、それを鬼遣いはキッと睨んだが気にせず真琴は歩き出した。鬼遣いは少女に一礼するとそれに続く。

「噂通りの人材やね‥面白いわぁ」

二人が去った後、少女は呟き少し何かを含んだ笑みを浮かべた。




(かなめ)の章


    ジリリリリリリリ‥ガチャ‥


けたたましく朝を告げる物体を黙らせると要は目も開けぬまま動きを止め、また夢の世界を駆け回る為に眠りに落ちる。

「要!早く起きろっ!」

それを阻止するかの如く誰かが不躾にドアを開けて夢の世界を遠ざけてしまった。要はその声の主を見るでも無く気怠そうに身体を起こすと大きく伸びをしながら時計を眺める。まるで有袋類のような動きに溜息を吐くと兄の俊之は呆れたように腕を組んだ。

「今日は朝練が有るんだろ?」

再び言われると要はのっそりした動きを止め暫く思考の海に沈んだ後、青褪めた。

「そうだった!何でもっと早く起こしてくんないんだよ!」

今までの動きとは打って変わって迅速に制服に手を掛けると乱暴に着替え、悪態を吐くが俊之はただ冷やかにそれを眺めている。

「知るか‥早起きしなきゃなんないんだったらちゃんと自分で起きろよ‥俺は先に出るぞ」

「あ、ちょっ‥俊、待てよ!」

やっとの思いで着替えると鞄をひっかけ、慌てて俊之を追いかけながら要は寝癖もそのままに部屋を出た。朝食を促す声も疎遠に交わし玄関を出ると身に沁みる外気に少し身を震わせて俊之に並ぶ。

「昨日また遅くまでゲームしてたんだろ?」

「してねぇよ‥」

「嘘吐け‥俺が朝方起きた時にお前、トイレ行ってたろ?」

「はぁ?俺、昨日はネットした後、1時には寝たよ

トイレも朝方は行ってねぇし‥」

そんな会話をしながら学校へ向かうと二人は学校前で方向を違えてそれぞれ別の建物へ入った。要は高等部、俊之は大学部でまだ登校時間前なので人気は無く辺りはしんと静まり返っている。少し小走りに廊下を抜け、要は鍵を職員室で受け取ると体育館脇の部室へ向かった。

「要っち遅いって!」

「悪ぃ!」

要は屯する面々に恐縮しつつ鍵を開けて皆を中へ誘うと自分も入り手際良く準備をして寝癖を気にしながら皆と部室を出る。

「なぁなぁ!昨日のサキ生見た?」

「見た見た!あれってマジかよ?」

「どうせ造りなんじゃねぇの?」

ワイワイと盛り上がりながらグランドへ行くと他所のクラブの連中が既に各々練習に勤しんでいて要達も空いたスペースで準備運動を始めた。時折、他所の部の女子に目が行くと要達はひそひそと話したりしながら動きを止める。

「そこ!ちゃんと体解さんと怪我するぞ!」

いつの間にいたのか監督がグランドの隅で激を飛ばすと一斉に私語が止んだ。黙々と準備運動を終えると各自はそれぞれ呼吸を整えてからランニングに入った。要は意中の女子部員をちらちら横目に見ながら同じようにランニングに入る。他の部員も余力を残した状態で軽くランニングをしながら監視の目が途絶えた途端に緊張は解け、また目の届く所まで来ると緊張を走らせた。緊張と緩和を繰り返しながらランニングを終えて軽くストレッチをすると要達は部室に戻り雀の井戸端会議宜しく、賑やかに着替えを済ませ教室へ。

「おっはー、今朝のニュース見た?」

後ろから飛びかかるようにクラスメイトが声をかけてきたので要は鬱陶しそうに視線を向けまだ疲れが取れない体を少し引いた。

「俺、今日、朝練‥相変わらず朝からテンション高すぎだよお前‥」

「んな事ねぇって!それよりまた昨日殺人事件有ったんだって!

これってやっぱ連続殺人事件じゃねぇ?」

やたらと興奮気味に話すそのテンションに呆れながら要は視線を逸らせると溜息を吐く。

「別に興味ねぇし‥」

答えながら教室に入ると自分の席に鞄を置いて他のクラスメイトにも軽く挨拶を交わす。

「でもさぁ、昨日の事件も先週の事件もここから結構近いんだぜ?

おまけに犯人も捕まって無いしやっぱ絶対関係あるって!」

「何何?昨日の話か大野ン?」

大野が更に要に食い下がると他のクラスメイトが輪に入って来た。

「そうそう!あれって絶対連続殺人事件だと思うんだけど中川もそう思わねぇ?」

「どうかなぁ‥手口は似てる感じだけど関連性が全然無いじゃん」

大野と中川が傍で盛り上がり始めると要は授業の準備を淡々と始めるいつもの朝の風景。いつもと変わらぬ日常を終えると要は帰路に着く。帰宅するとこれまたいつもと同じように家庭行事を終えようやく布団に入るとゲームを始めた。

   チロリン‥チロリン‥チロリン‥

呼び出しに一瞥するとゲームをしながらそれに出る。

「何?」

『やっぱ昨日の連続殺人事件みたいだぞ!』

「だからもうそれは良いって‥」

『いやいや良くねぇって‥もしかしたら犯人、俺らの高校か大学にいるみたいなんだよ!』

「はぁ?んな訳ねぇだろ?」

『いやマジでさっ!

見たって奴がいるんだ‥裏板の掲示板見てみろって!

その話でもちきりだぞ』

「それこそガセだろ?

いちいちそんなの間に受けてたらキリが無いぜ‥」

『良いから見てみろって! 271番スレ!』

しつこく言われてようやく要は身体を起こすとパソコンの電源を入れつつゲームを終了させた。問題のページまで辿り着くとコメントを目で追っていく。

「あんまり信頼性無さそうじゃん‥ってかこいつ二組の島本だろ?」

『そうそう!でもそいつンち殺人現場の傍なんだろ?

昼間も窓から現場見えるって言ってたらしいぞ』

「へぇ‥でも目立ちたいから騒いでるだけなんじゃない?

あいつ前も似たような事で騒いでたじゃん?」

『そうだけど‥』

「それよか朝練で疲れてっからもう寝るわ」

『もう寝るって‥今日はオンライン上がんないのかよ?』

「今日は無理‥すんげ眠くなってきたもん」

『しゃぁねぇなぁ』

返事を聞くとそれを切りパソコンの電源を落し異様な睡魔にまた横になると電気を消す事も無く眠りに落ちた。

どれくらい眠ったのか喉の渇きを感じて目を覚ますとキッチンに向かったが外がうっすら明るくなっているのに気付き、水を飲んで足早に部屋に戻り、電気を消してまた布団に潜り込む。よく寝たはずなのに疲れが取れていない気がした。


「おい‥起きろ!」

また繰り返される朝のセレモニー。

「今日は朝練無いから先に行ってくれよ‥」

俊之に背を向けて答えるとガードを外されて要は更に鬱陶しそうな顔をしながら身を小さくした。

「お前‥二組の島本って奴、知ってるか?」

いつもと違うトーンに訝しげに視線を送ると心なしか顔色を失っているように見受けられ、その表情から何かあったと感じるとようやく身体を起こしてまだ意識のはっきりしない顔を向け頷く。

「そいつが昨日部屋で何者かに殺されたらしい‥学校から今日はとりあえず休校にすると連絡が有ったからお前、今日は家から出ないで大人しくしてろ」

「は?島本が殺された?誰に?」

一気に覚醒して要は返す。昨夜、大野と島本の話をしていたのだから尚更、驚きは大きく思わず大野の言っていた連続殺人事件の話が頭を過った。

「犯人はまだ見つかっていないし目撃情報も無いそうだ

とにかく誰が来ても皆がいない間は玄関開けるなよ」

俊之は言い置くと部屋を出て行き要は慌てて大野に電話をかけた。暫く話し込んだ後に要は休校なのを良い事に家族が帰ってくる前に戻れば良いからカラオケに行こうと提案し、他も方々誘ってみたが結局、いつもの3人が近くのカラオケボックスに集まった。始めは島本の話で盛り上がっていたが徐々にいつものくだらない会話に移行する。

「何かお前、疲れすぎじゃねぇ?

もしかして内緒で昨日オンライン上がってたのかよ?」

「上がってねぇよ‥ちゃんと寝てんだけど疲れが取れなくってさぁ‥」

大野に言われて欠伸交じりに答えると歌う曲をぼんやり検索する。

「それって鬱とかそういうんじゃねぇの?」

茶化すように歌い終わった中川が口を挟むと曲がかかった大野がマイク片手にフェードアウトした。

「そんなんじゃなくて何て言うか夢見が悪くてよく寝れて無いみたいでさ‥寝てる割には疲れが取れてないような気がするんだよ」

「それって鬱の症状だろ?」

「だから違うって‥」

2人で言い合ってると大野が曲半ばで二人の方へ向き直って歌うのを止める。

「ああ!俺も偶にあるよ

追っかけられる夢とかそんなんだろ?」

相変わらずテンション高めで割って入ってくると2人はそちらに視線を向けた。

「どんな夢かは覚えて無いんだよ‥でもすっげぇヤな気分になるっていうか疲れてるのは確かなんだよなぁ‥」

記憶を辿りながら呟き、ある事に気付いて「あれ?」っという表情を作ると中川と大野が訝しげな顔をする。

「そう言えば変な夢見た後からこういう夢見るようになったんだよなぁ‥」

「どんな夢?」

続けた要に大野が興味津々で返すと中川も興味深げに身を乗り出した。

「何かさ‥どっかに買い物行った帰り道で人だかりが出来てて皆で上見てるからそっち見たらビルの上で女の人が踊ってるんだよ」

そこまで言うと2人は顔を見合わせて気不味そうな顔をしたので要は先を話さずに言葉を呑み込んだ。

「お前、それ夢じゃねぇよ‥」

いつもテンションの高い大野が神妙な顔で声を殺しながら言う。

「お前は覚えて無かったみたいだから黙ってたけど先月の中頃に俺らで三橋屋に買い物行ったじゃん?

その時に飛び降りの現場見た後、お前、気ぃ失って倒れてさ‥」

そこまで聞いても要には何の事か分からずに?を表情に浮かべていて二人はそれ以上何も言わずにまた顔を見合わせた。

「は?何それ‥」

要は聞き返すが二人はやはり口籠ったまま気不味い顔をしたまま話さない。

「何だよ!教えろよ!」

しつこく聞く要に仕方なく中川が口を開こうとしたがそれを大野が制止する。

「お前、飛び降りた奴と目が合ったって言ってから気ぃ失ってその時の記憶無くなったんだよ

始め俺らも担がれてんのかと思ったけどお前にその話したらまた気ぃ失って‥

だから俺らもうその時の話はしねぇから‥」

大野が言うと要は何かを思い出しそうになったが思考するのを止めた。何故かその先は思い出さない方が良い気がした上にあまりにも二人が必至なので考えない方が良いと思った。

「とにかくその話は無しな!」

念を押されて要が一つ頷くと中川は話をそれ以外の事に振った。またいつもの雰囲気に戻ると昼過ぎにそこを出てファーストフード店で遅めの食事をして自宅に戻る。家に帰ると俊之が既に帰っていてこっぴどく叱られた。

「最近、夜更かしも多いし気持ちが弛んでるんじゃないか?

再来月から県大会の予選が始まるんだろ?」

「ちゃんと練習はしてるし対策も練ってるよ‥

そっちこそ今、予選真っ只中なのにこんな時間に家にいて良いのかよ」

小言を言われ言い返す。

「大学の方も今回の件で休校になった

連絡があるかもしれないから今日はもう出かけるんじゃないぞ!」

そう言われるとむすっとしながら部屋に戻ってオンラインゲームを始め、気が付けば夕食の時間になっていた。ここからはまたいつもと変わらない日常。結局、明日も休校でそのまま休日に入る事になり要はやる事も無くまたゲームをしたりネットサーフィンを始めた。

 〈あれ?〉

偶々開いたページの記事に目を止めてそれを読んでいくとOLの日記のような物が貼り付けられていた。自分が知らない内に人殺しをしているという妄想に取りつかれた感じの内容で要は気持ちの悪さを感じてすぐにそのページを閉じる。何だか言いようのない不安と気持ち悪さに気を紛らわせようと動画サイトで面白そうな動画を探しては腹を抱えた。一頻り笑って満足すると風呂を済ませて眠りに落ちる。翌日も休校なのを良い事に朝からオンラインゲームに入り浸り結局そのまま週末を過ごす形になった。


週明け、学校に登校すると一連の事件の説明が校長からあったがやはり犯人も目撃情報も無いらしく暫くは部活を中止して速やかに下校するよう言い渡された。授業を終えていつもは要一人が部活に向かうのだがそう言う訳で帰宅する事になり大野達と一緒に寄り道をして帰る。学校近くの公園でスナック菓子片手に談笑していると別のグループもやってきて同じように適当な場所で話を盛り上げた。ここは絶好の溜まり場で見る間に同校生徒のグループで溢れ返り、それぞれのグループ同士でじゃれ合いが始まったり意気投合したりして別の場所へ移動しだすと要達も他のグループとファーストフード店に移動する。

「‥っでぇ、その人、超・霊感強くってぇ‥」

少し頭の悪そうな女子がこの間、行ってきたという廃墟の話を始めるとそう言う話が嫌いな要は何となく理由を付けて帰ろうかと思案を始めた。しかしそういう話は連鎖するもので皆は口々に怖い話を始め、タイミングを失った要は気持ちを逸らせながら辺りに視線を泳がせる。そこに他校の制服を着た一団が入ってきて初めに廃墟の話をした女子がそれに気付き親しげに声を掛け寄って行くと何かを話してから大人しそうな一人を連れてこちらへ戻って来た。

「さっき話した霊感の強い人ってこの人なのぉ

守護霊とかも見えるんだって‥」

まるで自分の事のように自慢げに言うと力を披露するように無言で促すが無理やり連れてこられた上にいきなりそう言われてその人物はかなり戸惑っているようだ。その女子グループとは全く毛色が違っていて極真面目そうな感じの青年でチャラけた感じも無く、どうしてこの女子と付き合いがあるのか疑問に感じるような風体である。

「別に見たくて見える訳じゃ無いし‥それにもうああいうとこには行かないから‥」

真面目君が返すと一気に場は白け、女子はむすっとした感じで顔を潰されたと言わんばかりに真面目君を睨む。

「えー‥ちょっと位、見てくれても良いじゃん!

この中でお化けか何か憑いてる人とかいないの?」

言われて真面目君は困ったような顔をするが女子は図々しく腕を掴みながら食い下がり続け、助けを求めるような顔で真面目君はちらっと同校グループの方を見たが全くそれには気付いていないようだった。

「もう良いじゃん‥止めてやれよ」

中川が言うと女子は更に機嫌悪そうに腕を離して席に座り、真面目君は視線で中川に礼を言うとそそくさと立ち去る。何となく場の空気は下がってしまい口数も減ったのでキリを付けて要達はその場を後にした。店を出て談笑しながら帰路に着く。しかし要は店に家の鍵を忘れてきた事に気が付き二人と別れて一人で慌てて戻ったが自分達が座っていた場所に鍵は無く店員に届けが無いか聞いてみた。

「いえ、忘れ物や落し物は届いておりませんが‥」

それを聞いてどこかに落としたのかもしれないと順番に道を辿りながら探してみるが結局は見つからず疲れきった顔で途方に暮れる。このままだと誰かが帰ってくるまで家には入れない。とりあえずどう時間を潰そうか考えているとさっきの真面目君が要を見つけて駆け寄ってきた。

「良かった‥これ誰か落としてないかな?」

真面目君が差し出したのは要のキーケース。

「あ‥これ俺の‥もしかしてわざわざ探してくれてたのか?」

少し汗ばんだ額を見て要が言うと人懐こそうに真面目君が頷き微笑む。

「君達が帰った後にトイレ行く時、見つけて‥店の人に預けようかとも思ったんだけど鍵だしすぐに届けた方が良いかと思って探してみたんだけど見つからなくて今、店に届けに行ったら君が来たって聞いたから急いで追っかけてきたんだ」

「ああ‥そうなんだ‥ありがとう‥」

真面目君が言うと要は始めから店に預けておいてくれれば良かったのにとちらっと思う。

「じゃぁ‥」

「あ‥ちょっと待って‥」

真面目君はそれを聞くと立ち去ろうとしたが要は何となく引き留めた。

「折角だからちょっと礼がてら奢るよ‥」

「別に良いよ‥」

「いや、やっぱここは礼の一つもしとかねぇと‥って言ってもそんな大したもんは奢れないけどさ」

何故、引き留めたのか要自身も解らないが何となく真面目君を元居たファーストフードまで伴って戻り飲み物を奢ると話す事も無く席に着いた。

「廃墟とかよく行くの?」

話題が無いのでつい聞いてしまった。

「アレは偶々、幼馴染の子に誘われて付いて行っただけなんだよね

さっきの子も実はあんまりよく知らないし‥」

苦笑交じりに返す真面目君を見てやはりそういう事かと理解すると要は怖い話が出てこなくてほっとした。真面目君は奢られたコーラを飲み干すと早々に席を立つ。

「御馳走様‥」

「あ‥そういや霊感あるって本当なのか?」

あまり周りでそういう人間がいないので多少の興味があり、最後に慌てて聞いてみる。

「ほんの少しだけね‥

父さんが霊能者だったからそのせいみたいだけど彼女が言うほど強くないからいろいろ聞かれても無理だよ」

よく質問されるのかしっかり釘を刺されてしまって要は次の言葉が出なかった。

「何か気になる事でもあるの?」

何か言いたげで言葉を発さない要を見て真面目君が聞くと要はあの夢に出てきた女性の事を聞いてみる事にした。

「何っていうのかな‥気になるには気になるんだけど聞かない方が良い気もするし‥ちょっと複雑な事情があってさ‥」

何となく語り始めると真面目君はもう一度、腰を下ろす。

「俺さ‥飛び降り自殺見てから夢見が悪くってもしかしたらそいつが憑いてんじゃないかって感じしてて‥

どうなのかな?」

戸惑いながら聞くと喧騒の中で暫く沈黙が続き真面目君は一つだけ溜息を吐いた。

「そう言うのは精神科へ行った方が良いよ‥たぶんトラウマになってるから悪夢を見るんだと思う

もしそれでもどうにもならなかったら知り合いを紹介するよ」

極々普通の回答に少しホッとするやらがっかりするやら要は茫然としたまま言葉を失うが一泊置いてからハッとする。

「そっか‥そうだよな‥あんまり連れが大袈裟なんでちょっと何かあんのかって心配しちまってさ

憑いてるって言われなくてちょっとホッとしたよ」

答えてから自分もコーラを飲み干して席を立ち真面目君も少し笑顔を作って席を立った。

「一応、連絡先‥聞いといて良いかな?」

別れ際に要はもしもの時の為に真面目君の連絡先を聞いて帰宅した。

父親が霊能者と言っていたので真面目君の名字と霊能者と言うワードでググってみたがそれらしい人物は見当たらず貰ったメモを見て真面目君の名前で検索をかけてみる。

 〈えーと‥周防光一すおうこういちっと‥〉

するとかなり有名人なのか名前がつらつら上がってきて順にクリックしてみると書道に関するコンクールが幾つか引っ掛かり作品を見てほぉっと感心した。けれどオカルトに関する記事は一つも無くちょっと拍子抜けだ。暫くそれを閲覧した後またオンラインゲームに移行してその日は終わりを迎えた。


あれから何事も無く時間が過ぎ、また部活が始まると要は繰り返される日常に追われるが偶に酷く疲れた日が有って僅かではあるが不安が募って行く。自覚は無いのだがやはり飛び降りを見た事が心の隅から離れないのかもしれない。

「また昨日、殺人事件だって‥連続殺人事件の犯人なのかな?」

昼休みに中川が何となく口走るといつもハイテンションでその手の話題に食い付く大野が青褪めて口を閉ざす。

「どうかしたのか?」

要はその様子に声を掛けるが大野はびくっとしたかと思うと誤魔化すように笑顔を浮かべ何でも無いと首を振った。だが顔は真っ青なままで要と視線を合わせようとしない。

「具合悪いのか‥真っ青だぞ?」

「あ‥ああ、ちょっと風邪気味でさ‥やっぱ無理そうだから早退するわ」

中川が聞くと大野は慌てて帰り支度をして教室を出て行った。その様子があまりにおかしいので要と中川は顔を見合わせる。団欒の終了を知らせる音が響くと2人は授業の準備を始め大野を気にしながらも眠気を誘う教師の授業に耳を傾けた。

「そういや今日もしんどそうだな‥まだ悪夢続いてるのか?」

放課後、掃除をしながら中川が聞くと要は憂鬱そうな顔をする。

「うん‥何か最近はちょっと夢がはっきりしてきてさ‥

どうも誰かを追いかけてるみたいなんだけどそこから意識が途切れるんだよ

その後どうなったかは分からないんだけど起きたらいつも以上に疲れてるっていうか‥やっぱ病院行った方が良いのかなぁ‥」

要が答えて箒を持ちながら頬杖を突く。

「サボってないで早くしなさいよ!」

それを見た女生徒が二人に注意を促すと要は背を向けて中川とひそっと話してから掃除を再開する。

それから要は部活に行き中川は帰宅した。


翌日、大野は休んでいて昨日の事が気になり要は部活を休んで中川と見舞いに訪れるが具合が悪いからと門前払いを食らう。仕方なく2人は見舞いとプリントだけ渡して帰宅した。

夕飯時、家族で食事をしていると殺人事件の容疑者が捕まったという一報が流れる。

「良かったわ‥もうこれで残業になっても安心して帰れるわね」

「しかしこう度々、殺人事件とは本当に物騒な世の中だな‥

滅多な事は無いと思うがお前達も部活で遅くなる時は気を付けるんだぞ」

母親の後に父親が二人に言った。

「心配しなくても俺逃げ足早いから‥ご馳走様!」

「要、ちゃんと洗濯物出しときなさいよ!」

父親の小言が始まる前に慌てて退散しようと席を立つと後ろからいつもの言葉が続き適当に返事をして部屋に戻る。もうすぐ学年末テストがあるので要は珍しく机に向かってノートを開いた。

慣れない勉強に飽きた頃、電話が鳴ってそれを取ると中川からの呼び出しで理由を付けて家を出るといつもの公園に向かった。そこには中川だけでなく大野もいて何か深刻そうに話している。

「もう大丈夫なのか?」

二人の方へ声をかけながら寄って行くと大野が躊躇いがちに引き攣った笑顔を見せた。

「ああ‥うん‥」

答えてから大野が伺うように視線を送ると中川が一つ頷く。

「あのさ‥お前、一昨日の夜どっか行ってたか?」

中川が開口一番そう聞くので要はぽかんとした顔をして2人を交互に眺めた。

「何で?俺ンち煩いから夜は出歩かねぇけど‥今だってやっとの思いで理由付けて出てきたんだぜ?」

その言葉を聞き二人が顔を見合わせほっとした表情をしたので要は訝しげに二人を見る。

「いやな、大野がお前を殺人現場近くで見たっていうからさ‥」

「だから人違いかもって言っただろ?」

ようやく中川が口を開くと大野が恥ずかしそうにそれを静止した。

「何それ‥」

要が聞くと少し口籠った後であの日見た光景をゆっくり大野は語り出した。

「ほら‥俺ンちって母子家庭だろ?

お袋は店に行ってるから比較的、夜は自由に出歩けるんで一人でゲーセン行ってたんだよ

その帰りに餃子ハウスの歩道橋んとこで餃子食って帰るかコンビニ寄るか悩んでたんだ

そしたら公園の方にお前が歩いてくの見えて珍しいなと思って追いかけたんだけどもういないし‥

夜中の二時だったから電話して違ってたら悪いと思ってそのまま帰ったんだけど次の日、起きてみたらあの先で事件があったから俺ビックリしてさ‥」

「それで俺かもって疑ってたのかよ」

大野が言い終るとバカにしたように要は笑って返した。

「本当に俺もこの話さっき聞いたとき勘違いしまくりで笑っちゃったんだけどもう犯人捕まったし本当の事、直接聞いてみれば良いじゃんってお前呼び出したんだよ」

中川が言うと要はまた吹き出すように笑う。

「だから勘違いかもって言っただろ!」

「その割にかなりビビってたじゃん?」

「お前だってちょっと疑ってたろ?」

二人が言い合いになると要は何だか普段そう見られているのかと複雑な気分になった。

「とりあえず遅くなると煩いから俺、もう帰るぞ‥お前らもさっさと帰れよ」

誤解も晴れ、一息吐いた所で要は言うと二人に背を向けて歩き出し、二人も別れを告げて背中を向けた。


翌日、大野が殺され学校はまた休校になった。二日後に警察から遺体が帰ってきて通夜が営まれ、要は中川と母親の元を訪れた。

「忙しかったから手伝いを頼んだんだけど一足先に帰らせたのに私が帰るとまだ戻って無くてね

いつもみたいにどこかで遊び呆けてるんだと思ったら警察から電話があって‥」

大野の母親は涙ながらに当時の状況を話す。その話によれば要達と分かれて家に帰ってから母親に呼び出され店に顔を出したのが十時少し前でその後、一時間後には帰宅させたにもかかわらず夜中の一時に帰ってくると家にはいなかったという。警察から電話があったのが夜中の三時過ぎで繁華街近くの公園で刺殺された状態で通り掛かったホームレスに発見され、この事件が発覚したらしい。犯人は発見されていないが場所と立地から考えて何かのトラブルに巻き込まれたのだろうという警察の見解らしいが要と中川はそれぞれ違う妄想に思考を走らせていた。大野の母親を労いながらその場を後にすると要と中川は何となく会場のすぐ脇の公園で自分の思う所をお互い話し合う。

「やっぱり俺、この事件‥島本の事件と何か繋がってる気がするんだよ」

「俺もそう思う‥それに最近の犯人が見つかって無い事件も関連在りそうだよな‥」

視線を落としたまま要が言うと中川も同じように考えていたようで同意する旨を伝えたが何かその先に言葉を繋げようとして呑み込んだ。中川の言いたい事は何となく分かったが敢えて口には出さずにおいた。

「なぁ‥俺達で犯人捕まえないか?」

要がそう言うと中川は少し驚いたような顔をする。それは頭の片隅に要を疑う気持ちが少なからずあったからだ。

「でもどうやって探すんだ?

相手は何の手がかりも無い殺人鬼だぞ?」

「それは‥これから考えるけど‥」

勢いよく言った割には頼りない答えで中川はいつもと変わらない要の様子に自分の考えがただの取り越し苦労である事を感じて少し表情を緩める。それから二人で暫く犯人探しの対策を立てると帰路についた。

まず犯人を知る為には被害者の事を徹底的に調べようという話になり、帰宅するとすぐに二人はそれぞれ被害者に共通点が無いか調べ始める。数日前の事件は犯人が割れているのでそれ以外の犯人が見つかっていない事件に限定した。試験勉強の合間に二人は自分が調べた情報をすり合わせながら重複している事実を除けて纏めていく。ほんの些細な事から当日の行動まで分かる範囲で細かく調べて共通点を探したがなかなか思うように繋がらない。それでも根気よく探し犯人に少しでも近付けるように思考を巡らせた。


そんな日が三日ほど続き要は妙な事に気が付いた。いつの間にか束になった資料を並べながらそれを順番に眺めて行くと島本と大野以外から奇妙な共通点が見え隠れして来る。しかし具体的なモノではなく漠然とした何かでそれを確かめたくて中川に連絡を入れ明日の放課後に二人でミーティングをする手はずを整えた。

試験期間、人の多い図書室を避け、あまり人の来ない多目的室を借りて二人はそれぞれの資料を持ち寄り考察に入る。

「俺、思うんだけどこうやって見ると島本と大野以外は良い噂あんまり無い奴ばっかりなんだよな‥死後汚職が見つかった奴とかこのOLなんかも詐欺紛いの事してるし‥」

要は心に引っかかっている事を口にして中川の見解を待つ。

「確かにそうだな‥それ以外にこいつらに共通点って何か無いかな‥」

中川も難しい顔で資料を見ながら腕を組むと小さく唸りながら文字の羅列を睨んだ。二人でああだこうだと考えながら意見を出し合い、今度は地図に犯行現場をマーキングしていくがこれといった一貫性は無く、ただどの事件もこの学校から半径10kmほどの地域で起こっている事以外の収穫は無かった。

「やっぱりこの学校に犯人がいるのかな‥」

要は大野が注目していた島本の書き込みを思い出しながら呟く。ここは高校と大学が一緒になっていて生徒数も教員数も他より多い分、いろんな人間がいるので可能性とすれば低くは無いだろう。最近は高校生や大学生による凶悪事件も少なくないのだから尚更。

「学生にしても教師にしても可能性はあるよな‥寧ろ頭の良い奴とかとんでもない事する場合だってあるし全く除外ってするのはおかしいよなぁ」

地図と資料を見ながら更に話し込んでいると教員が顔を出し下校を促したので二人は場所を移動する事にした。いつものファーストフード店で一息吐くと事件と関係の無い話をしながら思考を休ませる。

「そう言えばあの悪夢見るって言ってたのはもう大丈夫なのか?」

会話が途切れた後に中川が不意に聞いた。

「そういや大野の事があってから見て無いかも‥まぁ、それどころじゃ無かったしな‥」

今更、思い出しながら要が言うと中川も少し視線を下げる。本当なら大野が一番こういう事には積極的なはずなのに当の本人が殺されてしまったので二人は複雑な想いだった。

「やっぱり一時的なモノだったんだよ」

ポツリと中川が言うと要も小さく頷く。少し二人は沈黙しながら遠くに視線をやるとまたポツリポツリと会話を始めた。


その夜、要は勉強を終えるといつものようにネットで事件の事をあれこれ調べ始める。関連ページを見て行く内に前に見たあの気持ち悪いOLの日記のページに出て何となく気になり、その日記を詳しく閲覧してみる事にした。貼られた部分から元のブログへ飛んで過去分から順に見て行く。始めの方は会社の愚痴や行った店のレポートなど普通のOLらしい内容が綴られていてこれといって注目する点は無い。だが、どんどん日付が新しくなり去年のクリスマスに上げられた記事に愕然とした。


   十二月二十五日

先週、彼氏と別れて一人寂しくクリスマスを過ごす事になり、ただでさえ憂鬱だったのに残業した上に飛び降り自殺まで目撃しちゃって超ブルー!

しかも目が合っちゃったよ;


それを見た瞬間に要の脳裏に自分が見た飛び降り自殺の瞬間が去来する。あの日、三人で少し離れたショップに買い物に出かけた時の事、いつものように下らない話に花を咲かせながら道を歩いていると大通りに人だかりが出来ていて皆が上を見ながらざわついていたので要達も野次馬宜しくその人だかりの方へ行き、上を見上げた。何かの事務所ビルの屋上で建物の縁をまるで踊るようにふらふらと女性が歩いているのが見え、時折、足を踏み外しそうになるとそれを見ていた人々から悲鳴や叫び声が上がった。この寒空に薄手のワンピース一枚で裸足な所を見るとどうやら酔っぱらいのようにも見受けられ、観衆達はドキドキしながらそれを見守り助けを待つ。要はその姿を眺めながらまるでワルツでも踊っているようだと感じていた。しかし群衆の願い空しく女性は建物の端まで来るとひあっとステップを踏むように空に足を置き、そのまま落下した。それはまるでスローモーションのようにも見え、要が女性を目で追うと視界から消える寸前に彼女と目が合った。その瞬間に何かが体の中に入ってくる感覚がして気を失ってしまったのだ。

要は当時の事を思い出し全身から汗が噴き出すのを感じる。暫くそのまま固まっていたがようやく思考が動き出すとまた新しい記事を見ていくがほとんど頭に入ってこなかった。あまりの出来事に要は気持ちを入れ替えようと風呂に入る事にする。リビングでは両親がニュースを見ながらあれこれ話しをしていて俊之はやはり部屋に籠って勉強をしているようだった。いつもと変わらない風景にホッとすると要は風呂に入り、何も考えないように湯船に身を沈め長い溜息を吐く。ゆっくりリラックスするように風呂を終えると冷蔵庫からジュースを出して部屋に戻った。少しだけ躊躇ったが呼吸を整えてパソコンに向かうと続きを読み始める。しかしあの記事以降、以前と変わりない日常が綴られていて要はホッとしつつ読み進め、今年、頭の記事でスクロールする手を止めた。そこには自分と同じように悪夢を見続けているという話が書かれていてその内容に愕然とする。


    一月四日

偶に悪夢に魘される事もあったけど最近の悪夢は性質が悪くて嫌になる。

人を殺す夢なんて鬱になりそう‥誰か助けて!王子様ぁ!笑

でも夢を見た次の日に本当に殺人事件があったりでビックリしちゃう。

もしかして私が殺していたらどうしよう;


少し冗談めいた書き方ではあるが自分に重なる気がして要はドキドキしながら先へ進めていく。始めはそうやって軽いノリで書かれていたのにどんどん内容は重くなっていった。


    二月九日

もう夢と現実の区別がつかなくなっちゃった‥

アレは悪夢なんだよね?

誰か教えて‥


そこで日記は途絶えてしまい要はメモを取り出すと彼女が見た悪夢の日を書き留め、殺人事件が起きた日と照らし合わせてみる。すると符合するが一つ解せないのは幾つかの事件で犯人が捕まっている事だった。ただ単なる夢なのかこのOLが本当に殺したのか真実は分からない。だが殺人風景を語る内容はやけに生々しく現場の状況にも一致する点が多かった。要は事実が見えてくるほどに寒気を感じると共に自身に疑問を持ち始める。もしもこのOLが体験している事が自分の身に起きているのだとしたらもしかしたら自分が島本や大野を殺したのではないかという疑念に駆られた。知らずに震えている自分に気付くと要は自分の身を抱きしめグッと目を閉じる。自分はしていない、大丈夫だと何度も心の中で繰り返し繰り返し念じて気持ちを落ち着けると長い溜息を吐いた。深く深呼吸をして目を開けると酷く疲れている感じがしてその日はもう休む事にした。


翌日は珍しく寝過ごさずに朝練に向かうと要は一心不乱に体を動かした。試験期間中で他の部はほとんど休んでいて要達一部だけがグラウンドで汗を流す。昨夜の事で精神的に不安定になっている自分を何とか軌道修正する為に無心にトレーニングに励んだ。いつもと違うその気合いに他の部員達は時折、茶化したりもしたが余りに一生懸命なその姿を見て自然と皆も気合が入り終わる頃には全員、くたくたになっていた。試験中、何度か眠気を催したが要は耐え、放課後も疲れ果てるまで練習に勤しんだ。部活が終わると少しだけ中川と電話で話したが昨日見た日記の話はせずに帰宅後、シャワーを浴びて夕食を取ると案の定、そのまま疲れて寝てしまった。


見慣れた風景に溶け込みながら要はふと後ろを振り返り、もういない親友の姿を眺める。大野が自分に気付いていないように前を通り過ぎ、公園の方へ向かって行くと要はハッとして大野を追いかけた。

 〈ダメだ!そっちへ行っちゃいけない!!〉

叫ぶが声が出ない。必死に追いかけても大野との距離は空くばかりで要は全力で走った。何とか公園まで来ると大野が誰かから逃げていて要は助けようとそちらへ向かうが呆気無く大野は誰かに刺殺される。犯人は大野が倒れると何の感慨も無く背を向けて歩き出し、要がその後ろ姿を追うと誰かが肩に手を掛け、振り返った所で目が覚めた。要は驚いて飛び起きると呼吸を整えながら今見た映像が夢である事を何度も確認しながら現在、自分がいる空間を確かめるように辺りを見回した。自室に居て辺りは暗く、時計を見るとまだ夜中の2時を少し回った辺りだった。部屋にいる自分にホッとして深く溜息を吐くと水を飲みにキッチンへ向かう。辺りはシンと静まり返っていて要は物音を立てないように自室に戻ると再び布団に潜り込むがまだ鼓動は早鐘を撃っていて身を小さくし、ギュッと目を閉じて何も考えないようにした。


結局眠れないまま朝を迎えた要は体調不良を理由に学校を休んだ。昨日の事が頭から離れず気持ちだけが悶々としてしまい、おそらく学校へ行ったところで試験には集中出来ないだろうと思った。家族が留守になると要は服を着替えて家を出る。向かったのはネットで調べた心理療法士の元だった。以前に悪夢の件で何度かメールで相談をしていたので電話をするとすぐに診てくれるというので早速行ってみる事にしたのだ。電車で三駅と少し離れていたが行きつけのスポーツ用品店の近くだったので場所はすぐに分かったが指定された住所に看板は無く、もう一度、要は電話をかけて場所を確認する。

『ああ、普通のマンションの一室を使ってるんで看板は無いんですよ。

そのまま赤煉瓦のマンションの九階まで上がって来て下さい‥玄関のドアには看板上げてますから‥』

電話口でそう言われると要は不安そうな顔でそのマンションに入ってみるがポストにその医院の名前が書かれたプレートが貼ってあり少しホッとした。指定された階で降り、順番にドアを見ながら歩いていると一番奥のドアに看板がかかっていてインターホンを押す。暫くするとドアが開いて優しげな長髪の男が顔を出した。

「いらっしゃい‥どうぞ‥」

少し胡散臭い感じがしないでも無いが要は誘われるまま中へと入る。玄関は広く清潔感ある白で纏められていて普通の病院と変わらず、内ドアを開けると広々としていて医院として使用する為に改装してあるのだと分かった。その広い空間にはソファセットとゴージャスなリクライニングチェアがあるだけで他には何も置かれていない。堅苦しい医学書の類も何も視界に入る所には見当たらず、開放的なバルコニーには沢山の植物が並べられていてとてもリラックス出来そうな空間だった。

「お茶を入れてくるのでソファに掛けて待ってて下さい」

促されて要は指されたソファに腰を下ろすと何となく辺りを見回す。聞いた事も無いような音楽がそれとなく流れていてとても心地良く、じっとしているとそのまま眠ってしまいそうだ。要がぼんやり待っていると男は戻ってきてお茶を差し出すと腰を下ろした。

「一応、はじめまして‥私がここの院長の早乙女蒼(さおとめそう)と言います。君がナルオ君ですね。」

ナルオ君というのは要が使っているハンドルネームでついそのまま使用してしまったのだがリアルで言われるとちょっと恥ずかしい気分になった。

「あ‥ハイ‥あの、本名は塚本要って言います

これ‥保険証です」

要は自己紹介すると持ってくるように言われた保険証を見せた。

「じゃぁコピーを取ってくるので問診票に記入しててくれますか?

慌てず要君のペースで書いてくれれば構いませんからね」

早乙女はどこにでもあるような問診票を要の前に置くと保険証を受け取りまた去って行く。要はそれを見るが本当にどこにでもある問診票のテンプレートでちょっと安心した。あまりに豪華な感じなので法外な料金を請求されるのでは無いかと思ったからだ。問診票を書いて次のページを捲ると説明などが簡単にあり料金も書かれていたが高くても5千円前後で内容によっては数百円というモノもあり更に安心した。

「書けましたか?」

暫くして早乙女が声をかけると要は慌てて問診票を置き、頷くのを見てにっこり微笑んでからまた腰を下ろす。

「メールの内容では悪夢を見て困るという事でしたが今回もその事ですか?」

保険証を返しながらやはり優しい口調で聞かれて要は少し困ったように俯き、昨日の夢の事を話そうか悩むが思い切って全てを打ち明けてみる事にした。要が順を追って飛び降りを見た時からの事を整理しながら話し始めると早乙女は口を挟まず相槌だけを撃ちながら聞いた。

「とても言い難い事なのですがその話はもう忘れてしまった方が良いような気がしますね

犯人を捜そうと真実を追い求める事で要君の精神を酷く傷つけてしまっている‥ご友人の事は残念ですが不幸な出来事として処理していく方が良いかもしれません

おそらく飛び降りた女性と目が合った時から潜在的な部分でトラウマを作ってしまっているのだと思いますからまずはそれを開放していきましょう

そのトラウマと一連の事件やご友人の死との関わりを断てば悪夢も見なくなるかもしれません」

話を聞き終ってから早乙女が言うと要はその言葉を深く考えてみる。確かに全ての発端はあの飛び降りの現場にいた事から始まるのだがその部分と今回の犯人探しは分けて考えなければ要自身このもやもやは晴れないような気がした。寧ろ自分が犯人でない証拠を確立すればこの悪夢から解放されるのでは無いかとさえ感じる。このまま犯人が分からなければ今は良くても後々でまた何らかの影響が出るような気がした。

「あの‥やっぱり犯人は見つけた方が良いと思うんです

でないと俺‥自分が殺してしまったんじゃ無いかってずっとビビッて生きてかなきゃいけない気がして‥」

「不必要な関わりを持たない方が良いと思いますよ?

今は悪夢のせいでそういう思考に陥っていますが関わらないようにすればいずれただの悪夢だったと自然に思えてくるでしょうし気持ちが落ち着けば納得も出来ると思いますから‥」

躊躇いながら要が言うと早乙女はすぐに答えた。それを聞いても要はまだ戸惑いを見せる。

「真実とは時に残酷で知らない方が良い場合もあります

心穏やかに過ごす為には自分に嘘を吐く事も大切なんですよ

私達はほんの少しそれを手助けしていく事しか出来ませんが貴方が抱えている不安に催眠という形で蓋をする事は出来ます」

重ねて早乙女は言ったが要はまだ納得出来ないのか答えを出さ無い。早乙女はそれでも根気強く要からの答えを待ち続ける。

「あの‥催眠って寝てる時の事とか忘れてしまってる記憶なんかも分かったりするんですか?」

ようやく要が質問を口にすると早乙女は少し困ったような顔をした。

「そうですね‥基本的には潜在的な部分にアクセスする作業なので自覚していなくても見たり体験している事は引き出す事が可能です

忘れてしまった夢も無意識に蓋をしている記憶も催眠で呼び覚ます事が出来ますがそれが逆に新たにトラウマになってしまう可能性もありますからあまりお勧めはしませんね」

躊躇いながらも隠す事無く説明すると早乙女は要が言わんとする事を理解しつつ溜息を吐く。おそらく要の狙いは事件の夜に見た夢を思い出す事だろう。

「犯人探しが出来ないならせめて犯行があった時の夢を思い出したいんです

それがただの悪夢だったら俺も安心出来るしもう変な夢も見ないで済む気がするんです」

不安そうな顔で要が言うと早乙女は諦めたように溜息を吐いてから立ち上がった。

「分かりました、その代りもし精神的に無理だと感じたらいつでも中止を促して下さい

私の方からは誘導しか出来ませんから‥ではこちらのリクライニングチェアに移動して下さい」

要は促されるとそちらに移った。腰を下ろすと深く沈み込み、まるで包まれ浮いているような心地良い感じがしてうっすら緊張も解ける。早乙女はその隣に少し背の高い椅子を持ってくると腰を下ろして要を安心させるように微笑んだ。

「では眼を閉じてリラックスして下さい‥深くゆっくり呼吸をして‥」

催眠に入る為の呼吸を促しながら早乙女は少し部屋を暗くしていく。要は言われるまま呼吸を深くし、体の力を抜くと心がどこかに沈んでいくような気分になり、完全に眠りに落ちたような状態になる。しかし早乙女の声だけがはっきり聞こえていてその指示に従った。


指を弾く音で気怠さを感じながら覚醒すると要はぼうっとしたまま天井を眺める。

「申し訳ありませんが催眠中にパニックを起こしたので全ての記憶をブロックしました。

今、何か催眠中の出来事で覚えている事や思い出す事はありますか?」

そう聞いた早乙女をぼんやり見ると力なく首を振って返し重そうに身体を持ち上げ溜息を吐いた。

「まだ完全に覚醒していないと思うのでそのまま横になっていて結構ですよ。

お茶とお菓子を用意してきますから暫く休んでから帰って下さい」

ゆっくり立ち上がりながら早乙女は言い置いて姿を消し、要はもう一度、どっかり凭れると溜息を吐いてぼんやり催眠中の事を思い出そうと頭を働かせる。しかし催眠に入った当初の事は思い出せるのにその先の事は全く思い出せなかった。どんどん意識がはっきりして来ると要はソファの方に移動して鞄から財布を取り出し、早乙女が戻って来るのを待つ。

「お待たせしました‥」

早乙女がハーブティーとクッキーを持って戻って来ると要は少し座り直して向き合った。

「あの‥ちょっと聞きたいんですけど何で俺‥パニック起こしたんですか?」

「それは聞かない方が良いですしまた教える事も出来ません

教えてしまってはブロックをかけた意味が無いので‥」

要の問いにすぐに答え早乙女はカップとクッキーを差し出した。

「じゃぁ、せめて何か安心出来るような情報があったかだけは教えて貰えないですか?」

要は尤もな答えに対して反論は諦め、それだけ続けて聞いてみた。

「大丈夫、心配しなくても気にしなければその内に忘れられるよう暗示は掛けておきました

後はその暗示を強固にするためにもう一度だけここに来てくれませんか?

それでもう悪夢は見なくなるはずですから‥」

微笑ながら早乙女が言うと要は何だか誤魔化されているような気がして腑に落ちなかったがとりあえず抱えている不安から逃れられるならそれでも良いかと己を納得させた。

「えーっと‥お代‥」

「ああ、今日のお代は結構ですよ

これと言って特殊な事もして無いですしご希望には添えて無いので‥」

要が財布を開けると慌てて早乙女がそれを止め、要は困惑したような表情を浮かべる。

「でも‥時間取らせてるしずっと相談にも乗って貰ってたんでちゃんと払います」

「いえいえ、それではプロとして立つ瀬が無いので‥それよりもちゃんともう一度来ると約束だけして下さい

今日から五日以内に必ず‥でないとブロックが外れてしまう可能性があるので‥

それが完了すればちゃんと報酬は受け取らせて頂きますよ」

要が身を乗り出しながら恐縮すると早乙女は相変わらずそのまま微笑んで答えた。

「じゃぁ、明日来ます」

「いえ、明日はまだ止めておいた方が良いでしょう。

自覚は無いですが結構なストレスを精神に与えているので少しでも時間は置いた方が良い

ブロックが弱まるギリギリのラインを考えると四日か五日位が妥当な所だと思いますからその辺りでお願いします」

要は言われると納得し、それから差障りの無い話を少ししてから帰宅したが別れ際の早乙女の言葉が気になってぼんやり寝転がりながら天井を眺め考える。

《滅多な事でブロックは解けないですが次に来院する時までは出来るだけ予定外の行動は避けて下さい

 何が引き金になって記憶が戻ってしまうか分からないので‥》

そこまでしてブロックしなければならない記憶が自分にあるというのはどういう事なのだろうかと思ったが深く考えようとすると霞がかかったように思考が鈍くなる。要は諦めて目を閉じるとそのまま寝てしまった。


あれから四日が経ち、春休みに入った要は部活が終わると医院に行く為に駅へ向かったが駅前でちょうど仕事帰りの母親と出くわしてその日行く事は諦めた。あくまでも家族には隠しておきたかったのだ。

その翌日はタイムリミットの五日目なので要は部活を休んで医院に行く事にした。昼過ぎに最寄り駅に着くとついでに行きつけのスポーツ用品店で買い物をする。店であれこれ物色してから小腹が空いてコンビニでパンとコーヒーを買い、近くの公園でそれを食べていると遊具で遊んでいた子供達が鬼ごっこを始め、それをパンをかじりながら眺めた。公園に設置された時計を見上げるとちょうど三時半を指そうとしていてその長針がぴたりと6の文字盤に来るといきなり目の前の風景に違う風景が重なり、走馬灯のように記憶が流れ込んでくる。テレビで見た被害者の顔と恐怖を湛え逃げ惑う様子が浮かび上がり犯行の一部始終が鮮明にその感触と共に蘇った。まるで映画かと思うような映像に混乱したがこの記憶は確かに自分の記憶だ。それを理解すると呆然と空を見上げて手にした物を力無く落とし、要は全てが真実である事を自覚した。何がどうなっているのか分からないがもうそれを志向する気力も精神力も無かった。ただふらふらと彷徨うように歩き出す。

暫く徘徊するように辺りを歩き回り、ふと立ち止まって目に入ったビルをじっと見るとそちらへ向けて再び歩き出した。そしてビルまで来ると最上階に向けて階段を一歩一歩登り始める。時間をかけて屋上へ辿り着くとその夕焼けの景色の美しさに目を見開いた。知らない内に両目から涙が溢れ己の罪深さに胸が苦しくなり、助けを求めるように赤く染まる太陽に向けてゆっくり歩き出す。もう思考は停止していてその苦しさから逃れたいという気持ちしか無い。おぼつかない足取りはあの日見た飛び降り現場の女性のようにステップを踏んでいるようだった。そんな事も気付かず要は真っ直ぐに太陽に向かって空に一歩を踏み出した。辺りに悲鳴と叫び声が響く。

「うわぁ‥嫌なもん見ちゃったな‥」

悲鳴や叫び声に混じって小さく囁く声がちらほら聞こえるがもう要には聞こえていなかった。

「クソ!目が合っちまったぜ‥」

誰かが呟く。

 〈ああ‥これで解放される‥〉

もう色を移さない要の瞳が少し安堵したように微笑んだ気がした。




凜子(りんこ)の章


夏も真っ盛りの昼下がり、木陰で昼寝をしている猫もぐったりと頭を垂れている。そんな中、一台の車を待ちながら偶に舌打ちする人影が道路脇にちらちら見えた。

「ねぇ‥アッシーちゃんまだなの?」

「っせぇな!乗っけて貰ってる分際で文句言うなよ」

木陰でだらけている2人の女性の片方に言われ苛々が頂点に来て怒鳴るその人影は時計を確認する。もうかれこれ二十分は待っているだろうか、車を取りに行った恋人はまだ戻って来ない。

「おい凜子!まだなのか?」

『ごめん潤君‥ちょっと道間違えちゃって‥えーっと‥ここを右だったよね‥』

そのまま電話をかけて怒りをぶつけると電話の向こうで凜子は申し訳無さそうに答え、独り言を呟くが潤は最後まで聞かずに電話を切る。

「あのバカ、道間違えてるみたいだな‥どっか店入ろうぜ」

潤が木陰で寛ぐ女性二人に言うと女性達は重そうに腰を上げ三人は近くに見える喫茶店に入った。まるで凜子の存在を忘れたように談笑していると潤の電話が鳴る。

『今、来たんだけど潤君どこにいるの?』

「ああ‥目の前の茶店‥エンジン掛けたまま入って来いよ」

凜子が頼りなさそうに電話口で言うと潤は窓の外でキョロキョロ辺りを見回している凜子を見つけてそう返し、凜子はそれを聞くとそのまま喫茶店に向かって走ってきた。

「ごめんね遅くなっちゃって‥」

「座んなくて良いよ、もう出るし‥これ払っといて‥」

凜子が慌てて三人に寄ってきて椅子に座ろうとすると潤がそれを止めて伝票を渡す。

「あ‥うん‥」

凜子がそれを受け取ると三人はさっさと出て行って車へ乗り込んだ。凜子は支払いを済ませると急いで運転席に乗り込む。

「ねぇねぇ、私、この蕎麦打ちの蕎麦食べたいんだけど!」

「えー‥こっちの抹茶アイスにしようよ‥」

「それよりこのバンジー行こうぜ!」

ガイドブック片手に潤と後部座席の面々は盛り上がるが凜子はにこにこしているだけで何も言葉を発さない。恋人である潤の友人を伴って旅行に行くのはいつもの事でその間はほとんど恋人として接する事は無く凜子は内心いつも寂しい想いをしていた。それでも彼に嫌われたくなくて凜子は出来る限り楽しそうに振る舞いながら潤の要望に素直に答えているのだ。一頻り遊んでホテルに着くと一行は車から降りてロビーへ。

「ツイン一部屋とシングル二部屋でございますね‥」

鍵を受け取ると凜子はそれを持って寛ぐ三人の元へ行き、シングルキーを女性二人に渡そうとした。

「ああ、こいつら一緒が良いって‥シングルは俺らで使うから‥」

潤が言うと凜子は戸惑ったが言われた通りツインのキーを二人に渡す。二人はニヤニヤしながら凜子からそのキーを受け取るとさっさと部屋に行ってしまい、潤もキーを受け取ると凜子を待たずに足早に部屋に向かう。

「夕食の時に声かけるからそれまで別行動な‥」

部屋に入る時にそう言われると凜子は力なく微笑みながら頷いた。これもいつもの事で夕食時以外、ホテルでほとんど潤と顔を合わせる事無く過ごす。偶に身体を求めて部屋を訪れる事もあるが事が済むとさっさと出て行ってしまった。

「何これ超美味しいー」

夕食時、三人は相変わらず楽しそうに食事をするが凜子は黙って偶に微笑みながら黙々と食事をする。

「ねぇねぇ、この近くに良い感じのバーがあるんだって!

そこ行ってみない?」

女性の一人が潤ともう一人に言ってからちらっとだけ凜子を見る。

「ああ、こいつ呑めねぇから‥」

すると空かさず潤が言って凜子の口を塞ぐと凜子は申し訳なさそうに微笑んだ。

それからレストランを出て潤が凜子を引っ張り物陰に来るとひそっと小遣いを強請り、凜子は戸惑いながら一万円札を潤に渡した。

「三人いるんだから三万いるだろ?」

甘えるように言うと躊躇いながらもう二万円財布から出した。それを奪うように受け取るとさっさとその場から出て外で待つ女性達の方へ向かう。その後姿を見ながら凜子は小さく溜息を吐いた。これも全ていつもの事で凜子はその度に悲しい想いをしてきた。

潤と知り合ったのは会社の飲み会の席で同僚が連れてきた友人の一人だった。始めはあまり気にしていなかったのだが潤があまりにも自分に優しくしてくれたので求められるまま電話番号やメールアドレスを交換する。あまり男性に免疫が無かった凜子は初めて触れる異性の優しさにすぐに恋に落ちて潤からの交際の申し出をすぐに受けた。始めはとても優しく遊びに行っても食事をしてもまるでお姫様にでもなったように扱って貰えて凜子はどんどん潤の事が好きになった。しかし二ヶ月を過ぎた辺りからその態度は徐々に変化していき、半年経った今となっては現状のような状態だった。それでも初めの頃の事が忘れられずズルズルと付き合いを続けているのは偶に見せる当時の優しさがあったからだ。一人寂しく部屋に戻ると凜子は荷物を片付けて早々に眠りに就いた。


虚しい旅行を終えて帰宅すると凜子はいつもの生活に戻る。空っぽになった財布を見て溜息を吐くとコンビニで買ってきた漬物をおかずにお茶漬けを啜った。多少、人より恵まれているがずば抜けた金持ちという訳では無く、やはり散財してしまうと毎日の生活にも困り、こうして生活費を切り詰めなければ生活はしていけない。特に潤からこうして小遣いや旅行費を集られる事も多くなり凜子の生活はより質素なモノになっていった。

そんな生活に疲れはじめた夏の終わり、珍しく潤は凜子に優しかった。デートに誘ってくれた上に費用も全額出してくれたので久しぶりに気分良く週末を迎える事が出来た。

「最近嫌な事ばっかりでさぁ‥同期は出世するし飛び降りとか見ちゃうし俺、何だかここにいるのが嫌になっちゃったよ

なぁ凜子‥二人で外国行って暮らさないか?」

デートの終盤でぽつりと悲しげに潤が言うのを聞いて凜子は驚いたまま固まった。

「今、良い家が売りに出てるんだよ‥ベトナムなんだけどさ‥

五百万あったら買えるんだけどお前、貯金幾らある?」

潤がそう言うと凜子は戸惑ったように口籠りながら視線を逸らせる。今ちょうどその金額は通帳にあるがそれを下ろしてしまってはこれからの生活はもっと苦しくなるし何よりそんな金額をすぐに要求されるというのは流石の凜子でも疑いを持った。

「さ‥三百万位‥」

少し低い金額で言うと潤の顔色が変わった。

「ああ、だったらその金額で良いから俺に貸してくれよ!

一ランク下の家ならそれで買えるからさ!」

飛びつくように潤は明るい表情を作り何時ものように甘えた声でそう返した。それから手付を打つから次の週末までに金を用意してくれるように言うと潤は嬉しそうに夢を語りながら凜子を駅前まで送り届けて帰って行った。あまりに潤が喜ぶので凜子も嬉しくなったが同時に嘘を吐いた事に罪悪感を感じ、やはり本当の事を言うべきだろうかと悩んだ。


次の日、やはり本当の事を言ってきちんと話し合おうと凜子は朝から潤のマンションを訪れた。まだ寝ているかもしれないと思いつつインターホンを押すか否かドアの前で迷っていると中から女性の声が聞こえてきた。動揺したが凜子はその声に耳を澄ませる。

「ねぇ‥タオル何処よ?」

「その辺にかかってるだろ?」

「ああ‥これね

それより例の彼女、お金出しそうなの?」

「出す出す!あいつ俺にメロメロだし‥」

「きゃはははは‥何それ死後だよ死後!

本当に大悪党だねあんた」

「それよりこっち来いよ‥」

「ちょっとぉ止めてよ‥折角メイクしたのに‥」

ちょうどワンルームのユニットバスが玄関近くなので響いて声がよく聞こえた。凜子はそれを聞くと呆然としてその場に立ち尽くした後にふらふらと歩き出し、どこをどう帰って来たのか自宅に着くとベッドに突っ伏して大声で泣いた。何となくは気が付いていたがそれを認めたくなくて考えないようにしてきた。度重なる友人との旅行もおそらく浮気相手だったのだろう。本当は生みたかった子供すら懇願されもう二回も堕胎している。凜子はただ単に潤の財布として扱われてきたのだ。

一頻り泣いた後に凜子は茫然としたまま薄暗い部屋でぼんやり宙を眺めていた。もう思考は途絶え、ただ息だけをしている状態で徐にキッチンへ行くと包丁を取り出しそれを持ってふらふらと潤の家へと向かった。インターホンを押して潤が出てくるとぼんやりその顔を眺める。

「何だよお前‥どうかしたのか?」

疲れ果てた様子の凜子を部屋に招き入れようとしないのはまだあの女が中にいるからなのかその痕跡が残っているのだろう。凜子は黙ったままふっと寄りかかるように潤に身を寄せた。

「痛ぇ! 何すんだよ!」

その途端に潤が凜子を払いのけるように身を引いて血塗れの腹を抑えたが凜子は無機質な表情で続けて包丁を突き立てる。中からそれを見ていた女性が悲鳴を上げたが構わず凜子は抵抗する潤を見ながら包丁を突き立てた。潤が絶命するまで一切、視線を外さず刺し続けると動かなくなったのを確認して凜子は息絶えた潤から視線を奥にいる女性に向けた。女性は凜子と目が合うと涙ながらに後ずさるが凜子の視界に女性は全く入っていないようでそのままその場から消え去った。

凜子は血塗れの道標を残しながらそのマンションの屋上まで来ると空を見上げた。夕焼けが凜子の身体をより紅く染めている。もう何の感情も無いが潤が絶命した後に何かが自分の中に入り込んできたような気がして凜子はその何かを深く感じると静かに笑い始める。そしてふらふらと縁へ歩いて行くとそのまま空へと一歩を踏み出した。


目が覚めたのは鉄格子のはまった病院のベッドで凜子は力なく辺りを見ると無機質なその空間に溜息を吐いてぼんやり宙を見ていた。どれくらいそうしていたかノックと共に誰かが入ってきて凜子の顔を覗き込む。

「足立‥凜子さん?」

いぶし銀のような初老の男がそう声をかけたが凜子はそのままピクリとも動かない。もう心はどこかに消え去ったかのようだ。

「足立さん?マンションから飛び降りたの覚えてますか?」

後ろから医師らしき人物が話しかけるがそれにも全く反応は無かった。それからいろいろ質問を繰り返し、何度か声掛けをしてみたが反応は変わらず一行は溜息を吐くと部屋から出て行った。

   ガシャ‥

施錠の音が響くと足音は遠ざかる。

「もうずっと一緒だよ‥」

凜子は小さく呟くと薄く笑みを浮かべた。




優輝(ゆき)の章


道場に来ると俊之は気持ちを落ち着けるように小さく息を吐き構える。ピンと空気が張り詰め、それが頂点に達しふっとそれを緩和すると矢は的を得た。

「流石、お見事!」

そう言って拍手をすると優輝は俊之に歩み寄るが俊之はそれに目もくれず次の矢を構えた。またも矢は的へ吸い込まれるように飛んでいく。優輝はそれを少し微笑みながら眺めてからチラリともう一度、俊之を見る。

「悪いがもう少し待っててくれ‥」

フッと素早く息を整え、次の矢を構えながら俊之が言うと優輝はにっこりして少し後方へ身を引いた。暫く矢を放つと俊之は汗を拭ってから矢を回収し優輝の元へ戻って来てようやく表情を緩める。

「忙しいのに悪いな‥」

「いやいや‥俺はもう暇人だし良いってば‥それより要の行ってた病院分かったぞ」

二人は道場を後にしながら話し始める。

要の自殺の後、俊之はその原因を探る為に両親には内緒でいろいろ調べて周っていた。自殺するような性格では無いと両親以上に疑問を持っていたし何より不審に思ったのは中川が通夜の席で言った言葉だった。

「あいつずっと悪夢見るって悩んでて‥

病院にも行ってたみたいだけどでもこんな死ぬほど悩んでるなんて思って無かった」

家族の誰も要が病院に通っている事など知らなかったし診察券らしい物も死後、発見されていない。もしかしたらそこに真実があるのかもしれないと俊之は考えていた。それから要のパソコンに履歴が無いか調べようとしたがパスワードでロックされていて思いの外、探るのは困難を極める。電話の履歴も調べてみたがすぐに削除していて通話記録も無く、困り果てて親友の優輝に相談したところ、その伝手で記録を解読して貰える事になったのだ。

部室まで来ると俊之は優輝を待たせて着替えを始める。

「そう言えば明日、面白い被験者と謁見するんだけどお前も来ない?

先生がお前なら連れてきて良いって言ってたし‥」

優輝がそれを眺めながら言うと俊之は手を止めないまま少し顔を向けた。

「俺はあんまり精神障害者に興味は無いよ‥

それにもう推薦で就職も決まってるから研究所に就職するつもりも無いし‥」

答えると着替えを終えてロッカーを閉める。

「相変わらず俊は弓道一本だなぁ‥そんな所に就職しなくても折角、金貰って勉強出来んのに勿体無い‥」

優輝は立ち上がると俊之と共に優輝の住む寮に向かう。途中で食糧とアルコールを調達して寮に入ると俊之は今日は帰らないと自宅に電話を入れた。

「相変わらず生真面目だねお前‥」

「要が死んでから両親がナーバスになってるからこれ位しとかないとな‥」

茶化されても真面目に答えて俊之は一つ溜息を吐く。優輝はそんな俊之の心情を察するとビールを差し出した。

「それで本題なんだけど要のパソコンの履歴とメールのやり取りから出てきた病院ってのが意外過ぎてかなり笑っちゃったんだけど‥どこだと思う?」

「良いから教えろ!」

「ホントお前面白くない奴だな‥まぁ良いや‥

それが何と俺の姉貴の彼氏んトコだったんだよ!

しかもその彼氏の恩師がうちの先生でさ‥妙な組み合わせだと思わねぇ?」

勿体ぶると少し嫌悪感を表しながら返す俊之に諦めて優輝は素直に答えると興奮気味に笑った。それを聞いて俊之も驚いたような顔をする。何と世間は狭いのだろうかと思った。

「とにかくその姉貴の彼氏ってのがちょっと変わり者なんだけど面白い人でさ‥

先生も偶に研究所に呼んで話したりするらしいよ

俺もこの件が無かったら二人が繋がってるなんて分からなかったから本当に奇妙な縁だと思った‥明日、例の被験者と会った後に姉貴の彼氏んトコに行こうと思ってるんだけどお前も来るだろ?」

「それは是非、話を聞かせて貰いたい!」

優輝が言うと俊之は二つ返事をした。二人はその後、夜遅くまで話してから適当に横になり眠りに就いた。


翌日、俊之は時間まで家に戻る事にし優輝は研究所へ向かった。研究所ではぎょろりとした目の老人が椅子にちょこんと腰かけていて優輝が来るとネクタイを整える。

「何だ‥彼は来ないのか?」

「ええ、誘ったんですけど振られました」

「残念だね‥彼の論文は結構、興味深いモノだったのだが‥」

「本当に俺も惜しいと思います。

優秀な心理カウンセラーになるとばかり思ってましたから尚更、勿体無い気がしますよ」

老人が残念そうに溜息を吐きながら帽子をかぶり身支度を整えると優輝は老人の鞄を持ってその後に続く。二人は研究所を出てタクシーに乗ると囚人専用の病院へとやって来た。そして待ち受けていた人々に低調に扱われながらある病室までやってくる。

「はじめまして‥えーっと‥足立ぃ‥凜子さんだね?」

老人はカルテを覗きながら凜子に話しかけるがやはり凜子は何も発さずにただぼんやり天井を眺めている。

「君にいったい何があったのか教えて貰えんかな?

別に私は警察関係者でも何でも無いので聞いたところでどうする事も出来ないんだけどね

少しは気分が紛れるかと思ってこうして面会させて貰ったんだが‥」

別に関心も無さそうに老人が話しかけても凜子は何も反応を示さない。暫くの沈黙の後、老人は病院関係者に目配せして出て行くように促した。

優輝はそれを見て部屋の隅へ行き凜子の視界に入らない所で待機する。

「一方的な調書だが少し見せて貰ったよ

悪い男に引っかかったみたいだねぇ‥可哀そうに‥彼は今どこにいるのかな?」

老人は尚も話しかけるが凜子はやはり何も答えない。老人は根気よく返答を待つが時間だけが過ぎていく。

「君がした事は許される事じゃないかもしれないが私は君の味方だよ

私にも一人娘がいてねぇ‥君のように悪い男に引っかかって自殺してしまった

もしこのまま何も喋らない気ならそうすれば良い‥そうすれば心神喪失で無罪を勝ち取れるだろう」

老人はとんでもない事を言いだしたが優輝は黙ってそれを聞いているだけだ。

「鑑定結果には心神喪失と書いておくからゆっくり傷が癒えるまでここにいなさい

一応、何度か訪問はするが何も話さなくて構わないから‥」

再び沈黙の後に老人が言って立ち上がると今まで反応を示さなかった凜子が少し視線を老人と反対の方に向ける。それに気付いているのかいないのか老人はそのまま凜子に背を向けた。

「ここにいるの‥」

凜子が呟くとようやく老人は凜子の方を見たが本当に凜子が呟いたのかと思うほどその様子は変わっていなかった。

「彼はここにいるのかね?」

静かに問うがやはり凜子は何も答えずにぼんやり天井を見つめている。老人は暫く凜子を眺めて返事を待っていたが何も返事が得られない事を悟ると優輝を連れて病室を後にした。

「流石、先生‥嘘を吐かせたら天下一品ですね

俺、吹き出しそうになりました」

廊下を歩きながら優輝が老人にこっそり話しかける。

「こういうのは序の口、君も適当に数種類は生い立ちを用意しておきたまえ‥」

平然と老人が返すと優輝は少し笑いを堪えながらそれに続いた。老人に娘などおらず三人いる息子も無事成人してそれぞれ円満な家庭を築いている。それを知っているから優輝はあの神妙な話に笑いを堪えるのが大変だったのだ。

「それにしてもあの被験者には同情を禁じえませんがあんな風になるまで酷い恋愛談でも無いと思うんですけどね」

タクシーに乗り込むとそれを聞いて老人はぎょろりと優輝を見た。

「それは君が恵まれておるからだよ」

「別に俺んち金持ちでも何でも無いですよ?

寧ろ学費だってバイトで稼いで払ってたくらいだし‥」

優輝はとほほと苦笑を浮かべながらその言葉に答えて後に続くが老人は気にせず視線を前に向ける。

「だからだよ‥人も動植物も生きておるモノ全て、ある程度の逆境が無ければイレギュラーに対応出来ん

あの娘はきっと温室のような所でずっと大事に育てられていたんだろう‥それはある意味、とても不幸な事だとは思わんかね?」

老人が言うと優輝はなるほどと思いつつも世の中の不公平さを恨めしく思う。

「まぁ、ともかく彼女は壊れてしまってはおるが狂っておる訳ではなさそうだ

暫く君がカウンセリングに就きなさい‥どうせ卒業まで暇なのだろう?」

老人は続けてまたぎょろりと優輝を見た。

「それって入所試験ですか? 参ったなぁ‥」

優輝はどっと疲れたように溜息を吐いたがそれだけ期待されているという意思も感じ取り、内心かなりやる気を出していた。昼食を取ってから優輝は俊之と待ち合わせした書店に向かい二人で少し本を見た後に例の医院へ足を運んだ。

「こんにちは、優輝くん」

「すいません突然‥」

インターホンを押すとすぐに早乙女が顔を出し、優輝は恐縮しながら中へ入り俊之もそれに続く。

「座ってて‥今、お茶を入れてくるから‥」

早乙女は言い置くと二人に座るよう勧めて奥へと消え、暫くするとハーブティーとクッキーを持って戻って来た。

「それで聞きたい事って何かな?」

相変わらず優しい物腰で早乙女が聞くと優輝と俊之がちらっと顔を見合わせる。

「あの‥はじめまして、俺は塚本俊之と言います

弟の要がこちらに通院していたと思うんですが‥」

俊之が躊躇いがちに口を開くと早乙女は少し表情を曇らせた。

「本来ならご家族であっても個人情報はお話し出来ないんですが今回の場合は私も少し責任を感じておりますので多少の事でしたらご質問にお答えしますよ」

困ったような顔で微笑を作り、早乙女が答える。やはりここへ来ていたのかと俊之は少し驚きながらも次の質問を考えた。相手は心理戦のプロなのだから下手な駆け引きは通用しないし下手に回りくどい方法を取れば煙に巻かれるだろう。しかしズバリ聞いた所で答えて貰える確証は無い。

「あの‥どう言った経緯で弟はこちらに伺ったんでしょうか?」

相手の人物像を確認する為に無難な質問から入ってみた。

「どうしてうちの事を知ったのか詳しくは分かりませんがネットで偶々見たそうです

初めはメールのやり取りで悪夢を見ないようにするにはどうしたら良いかという相談でした

そのやり取りを二回ほどした後に少し間を置いてから一度、ちゃんと診て欲しいという電話を貰いこちらに来て貰ったんです」

それは要の友人から聞いていた話と符合する。それが解っただけでも俊之はここまで来た甲斐があったと内心思った。

「その悪夢というのは内容を教えて頂いても良いですか?」

「本人にもはっきり内容は分からないという事でしたので‥ただその夢を見た後は酷く疲れているという事でした」

俊之の質問に早乙女は即座に答える。

有りの儘の内容を主観を入れず簡潔に答える辺り、流石に心の内を見せない術は優れていると俊之は感じると共にやはり下手な駆け引きは止めようと観念した。

「では率直に‥要にどういう治療をしたんですか?」

俊之が勝負に出ると優輝はほぉっという顔をした。それを聞くと早乙女も参ったという表情を浮かべる。

「流石、優輝君のお友達ですね」

早乙女がにっこり微笑んで言うと優輝は少し自慢げに微笑み返した。

「これは要君にも話していないのですが彼の中にもう一つ人格があったんです

それが要君に影響していると判断したのでその人格を無理やり押えました

一度に抑えてしまうと要君の人格や記憶に支障をきたすと考えたので二回に分けて抑える事にしたんですが二回目の来院予定の日に彼は自ら命を絶ってしまったんです」

俊之に向かって続けると早乙女は少し俯く。

「おいおい、俺も要の事は知ってるけどあいつに二重人格の気なんかなかったぜ?

本当に二重人格者だったのか?」

優輝が口を挟むが俊之はそれを聞いて驚きのあまり声も出なかった。

「勿論、先天的な人格では無く後から植えつけられたものだと思います

それを裏付けるのがその悪夢の発端になったという事象なんですが‥これは私の管轄では無いんで友人の方に今調査を依頼している所なんです」

早乙女は珍しく言い難そうに答えた。

「その事象って何なんですか?」

少し身を乗り出しようやく俊之が口を開く。

「彼は悪夢を見続ける前に飛び降り自殺を目撃したそうです

その時に飛び降りた女性と目が合ったと‥あくまでも仮説ですがおそらくその時に要君の中に別の人格が生まれたかあるいは入り込んだと考えられます

そのショックで彼は暫くその事を記憶の中から消去していたようですから‥」

それを聞いて二人は言葉を失ったまま固まり、早乙女は小さく溜息を吐いた。

このような事例が無かった訳では無いがかなり格率としては低く、目の当たりに症例として見られる事など無かったからだ。

「確かに後から何らかのショックで別人格が生まれる事はあるけどそれはあくまでそう言う因子があればこそだ

普通そういう場合は何らかの特徴があるはずだけど要にそんな要素は無かったはずだけどな」

優輝は要の事を思い起こしながら呟くと俊之もいろいろと考えを巡らせる。

「私から見ても要君にそういう因子があったとは思えません

そうなると何らかの人格が要君の中に入り込んだと考えるのが妥当な所でしょうね」

「それがその飛び降りたという女性と目が合った時に入り込んだと?

バカな‥そんなオカルト染みた事、あるはずが無い」

早乙女が表情を硬くして言うと俊之は信じられないといった顔をした。すると優輝も俊之と同意するような顔をして早乙女を見る。

「確かに俄かに信じがたい事ではありますが実際そう言う事例があるんです

それと詳しい事は教えられませんがもしかしたら要君は私が今、調べている事件の犠牲者である可能性が高い」

「それってこの間話してた飛び降りワルツの件?」

その話に優輝が質問を投げると早乙女は一つ頷く。俊之は二人を交互に見て説明を促す視線を送った。

「いやな‥要の一件の前に数件、何でか踊るみたいにビルから飛び降りたっていう自殺の目撃証言があってそれで飛び降りワルツって言ってるんだけどそれがだいたい数ヶ月おきに起きてるんだよ

しかも自殺した奴のほとんどが連続殺人犯だってのが死後に分かって罪悪感からかおかしくなって自殺したんじゃないかって言われててさ‥

面白いと思ったから先生に話したら先生も面白がってて俺達も今、調査してるんだけど糸口が全く見つからなくて‥蒼さんはなんか手がかりになりそうな人脈あるんっすか?」

俊之そっちのけで優輝は質問を投げた。

「ええ、まぁ‥もういずればれるんで言ってしまうけど友人に霊能者という職業をしている人がいてね

穂波さんには話したけど優輝君にはもう少し時間を置いて話すつもりでいたんだ

その友人にいろいろ調べて貰うように頼んでるんだけどまだ返事が無くてね」

それを聞いて二人は呆気に取られた。科学的に心理を解明しようかという人間が霊能者というオカルトに頼る事自体、奇妙な話だがましてや有能な心理学者がその協力を要請するなんて信じ難い事だった。

「それ本気で言ってます?」

優輝が引き気味に聞くと早乙女はにっこり微笑んだ。

「昔は私も優輝君と同じ反応をしたかな‥でも実際に触れてみればそれが真実だと実感出来るよ

それでも始めは疑ったりバカにしてて良いと思う‥そうしなければこの仕事は出来ないからね」

優輝の態度を咎めるでも無く寧ろ肯定すると早乙女はようやくカップに口を付けた。二人はその様子に驚きながら顔を見合わせると複雑な表情へ移り同じようにカップに口を付ける。何となく気まずい雰囲気が流れる中でドアホンが鳴った。

「あ‥じゃぁ、俺達もう帰ります!」

来客を察すると優輝が立ち上がる。

「悪いね‥またいつでも話をしに来ると良いですよ」

早乙女はそう言うと玄関先に向かい優輝達は帰り支度を整えた。

そして来客と入れ違いに玄関を出ると優輝は思い出したように早乙女を小声で呼ぶ。

「余計な事なんっすけど親父が早く姉ちゃん貰ってくれって嘆いてるんで早い事、日取り決めてやってくれません?」

「私も早く結婚したいんだけど穂波さんがどうしてもうんって言ってくれなくて‥寧ろ穂波さんを説得して貰えませんか?」

ひそっと優輝が言うとがっかりしたような顔で早乙女が答え、優輝はやっぱりかという顔をした。

「蒼さんが説得出来ないモノを俺が出来る訳無いじゃないっすか‥」

そう言うと二人で肩を落として溜息を吐いた。この二人をここまで泣かせるとはかなりのツワモノらしい。それから二人は早乙女に別れを告げてその場を後にした。お互い思う事はあったが言葉少なくその日は分かれた。


優輝は翌日から老人に言われた通り凜子の元を訪れては会話を試みるが全く凜子は言葉を発さないままただぼんやりしているだけだった。そんな状態が三日続き、流石の優輝も途方に暮れていると凜子は少しだけ視線を動かしそれに気付くと気付かない振りをしながら言葉を発するのを待つ。しかし待てど暮らせど言葉は出てこない。

「あのさ‥あんな男、忘れた方が良いとか言わないけどもっと別の生き方あるんじゃない?

ここでこうしてるのも自由だけど勿体無いと思うよ?

世の中、悪い奴ばっかじゃないしつまんない男に引っかかったのも運が悪かっただけなんだしさ‥報復してバカやったのは行き過ぎだと個人的には思うけどしょうがなかったんだろ?

だったらあいつが悪かったんだって言ってやれば良いじゃん」

優輝は丸椅子に座った状態で壁に凭れて独り言のように呟くと持っていた用紙で折り紙を始めた。勿論、これも優輝なりの作戦の一つだ。答えの無いまま黙々と折り紙をして鶴を作るとそれを凜子の枕元に置いた。

「じゃぁまた明日来るから‥」

優輝は言って背を向け椅子を元に戻す。

「彼が私の中にいるの‥」

その言葉に驚いたが出来るだけ自然に振り返って凜子を見た。凜子はやはり変わり無く、優輝はずっと凜子を眺める。

「追い出しちまえよ‥そんな奴‥」

暫くの沈黙の後に優輝は言ってみたが凜子はやはり何も答えなかった。それ以上の反応が見られないと分かると優輝は仕方なくその場を後にした。


翌日、優輝は少し手を変えてみる事にした。適当に花を眺めて一輪選ぶとそれを手に病室を訪れる。

「今日はプレゼント持ってきたよ

まぁ、話して貰えなくても一応こうして毎日、顔合せてる訳だし心理カウンセラーの卵としてはちょっとでも気晴らしして貰わないとだしな」

優輝は一番言ってはならない己の身分を明かすと買ってきた花を短く切って凜子の髪にさした。そして正面から凜子の姿を見ようと視線を合わせようとするとフッと凜子は視線を逸らせる。それを見て優輝はかなり驚いた。今まで何をやっても反応の無かった凜子が視線を合わせようとするとその視線を避けるのだ。優輝は試しにそちらへ周ってまた視線を合わせようとすると再び凜子は視線を外す。

「もしかして俺って君に嫌われちゃってるのかな?」

苦笑しながら頭を掻くがやはり凜子は視線を逸らしたまま何も答えない。それでもかなりの成果だと優輝は内心思っていた。仕方なくまた丸椅子をベッドサイドに持ってきて座り、適当に持っている用紙を使って折り紙を始める。昨日、折った鶴は枕元からサイドテーブルへ移動されていた。

「閉じ込めておかなくちゃいけないの」

折り紙に夢中になっていると声がして思わず優輝はハッと顔を上げてしまい後悔する。本当なら急なモーションは出来るだけ避けなければならないのについうっかりいつもの調子で顔を上げてしまった。

「何で?」

気を取り直しつつ聞いてみるがやはり答えは得られなかった。しかしそんな事よりも自分の失態の方が気になって内心それどころでは無い。何とか落ち着くように己に言い聞かせる。出来るだけそのままの姿勢を維持し、次の姿勢に移る時はゆっくり動いてリラックスしている様子を醸し出した。こちらが緊張すれば相手も緊張する。だから緊張が伝染しないようこういった場合は出来るだけこちらが安心感を持たせるように行動しなければならないのだ。

「あいつは君が守るほどの価値は無いと思うよ?」

あくまで冷静に再度聞いてみるが返事は無く、またゆっくり折りかけの鶴を折り始める。

「貴方を守りたいたの」

その答えにまた咄嗟に顔を上げそうになったがグッと抑え、ゆっくり凜子を見た。凜子は相変わらず天井を眺めていたが少しだけ表情が柔らかくなった気がした。優輝はそれを見ると折り鶴をまた枕元に置いて凜子の顔を覗き込むがやはり視線は合わせないように避ける。

「何で俺の事、見てくれないのかな?

俺を誰から守ってくれてるの?」

顔を覗き込んだまま聞くがやはり答えは無く、優輝は諦めて身を引いた。

「じゃぁ、また明日‥」

そう声をかけてもいつもと同じように無言のままだ。暫く答えを待ってからいつものように病室を後にした。所に戻り、レポートを書くとそれを提出して帰宅する。初めの頃に比べればかなり反応を確認出来た方だがやはりこういった案件というのは疲れが大きい。明日はどうしようかと思いながら寮に戻り作業服に着替えるとバイトに出た。

次の日は凜子に髪飾りを買っていく。あまりそういう物を選んだ事が無いので店員に勧められるまま選んで買ってみたのだがあまり自分のセンスとは合わなかった。

「俺的にはもっとこう‥大きな感じのモチーフのが好きなんだけど今はこういうのが流行だって聞いたからさ」

相変わらず独り言のように言葉を紡ぎながらそれを髪に着けてやる。それでも相変わらず視線は逸らせたままで優輝は少し寂しさを感じ始めていた。

「何か食べれるなら甘い物でも買ってこようと思うんだけど食事もちゃんとしてないって聞いたからまたちゃんと食べれるようになったらお勧めのクッキー持ってくるよ

って言っても店で売ってるのじゃなくて姉貴が作った奴なんだけど結構、美味くてさ‥」

そしていつものように何気ない話を延々繰り返し、その度に何か反応は無いか探るがやはりピクリとも動かず言葉も発さない。

「じゃぁまた明日‥」

だいたい語り始めて同じ位の時間になると優輝は立ち上がりゆっくり背を向ける。

「あ、そうだ。明日はさっきの話の『も夫も夫君』持って来て‥」

思い出したように振り返り言いかけて優輝は動きを停止した。凜子が顔をこちらに向けている。相変わらず視線は合わせてくれないがしっかりと顔をこちらに向けていた。

「もう‥来ないで‥」

口から発せられる言葉は拒絶だがそれでも優輝は嬉しかった。

「いーや‥また来る」

満面の笑みで嬉しそうに微笑むと優輝は凜子の頭を撫でてから反応がそれ以上ない事を確認して病室を出た。自然と歩みは軽くなり病院を出る時には思わずやったとばかりに跳ね上がる。ようやく第一歩という所だろうがそれ以上に凜子が反応してくれた事が嬉しかった。優輝は踊るように軽くステップを踏む。

それは自殺者達が踏んできた死出のワルツでは無く春を告げるワルツだった。




~終章


早乙女は患者を見送るとカップを片付けてリクライニングチェアに腰を下ろし目を閉じる。一人一人に神経を集中する作業というのはかなり骨が折れるので一つの案件を終えるとこうしてぐったりしてしまうのだ。

「相変わらず不用心な奴だな‥」

声をかけられハッとすると早乙女は顔を上げた。

「君こそ勝手に上がって‥不法侵入じゃないか‥」

呆れたように返しながら早乙女は目元を抑え不機嫌そうな顔をするとゆっくり立ち上がった。

「いつも勝手に入って来いって言うくせに‥それより例の件、いろいろ分かったぜ」

そう言った声の主は綺麗な銀髪をしていて涼しげな顔でソファに腰を下ろした。

「やはり一連の自殺は何か関係があったのか?」

早乙女も腰を下ろしながら単刀直入に聞く。

「それについてはもうすぐ犯人がここへ来るからちょっと待ってろよ‥」

意外な返答に早乙女はそのまま固まった。この件に関して犯人がいる事も意外な要素の一つだがその首謀者がそう簡単にここへ来るというのも解せない話だ。

「犯人?」

ようやく早乙女は口を開いたが青年はそれには答えない。暫く沈黙が流れた後、不意に青年は顔を玄関先へ向けた。

   ピンポーン‥

呼び出し音に早乙女が玄関先へと向かいドアを開けるとそこには目つきの悪い青年が立っていた。

「ここに周防真琴が来ているはずだが‥」

青年が無愛想に聞くと早乙女は戸惑いがちに微笑んで招き入れる。

「よぉ、早かったな‥」

「わざわざ呼び出したからには在処は分かったんだろうな?」

真琴が軽く挨拶をすると青年は鬱陶しそうに返し、早乙女がこのふてぶてしい人物が犯人なのだろうかと少し疑問を感じる。

「まぁ座れよ‥紹介する

こいつは同業の早波唯天(はやなみいそら)‥こいつは俺の連れの早乙女蒼だ」

まるで我が家のように寛ぎながら真琴は順に紹介した。腰を下ろしながら早乙女は説明を求めるように真琴に視線を送る。

「今回の奇妙な飛び降りと連続殺人事件は関連がある

仕掛けたのはこいつだよ」

真琴は言うと視線を唯天に移した。

「あれは事故だ‥俺の責任じゃ無い」

「でもお前がしくじった結果だろ?

尻拭いしてやったんだから報酬は折半だぜ?」

唯天が慌てて返すと真琴は更に被せて早乙女はその会話に戸惑いを見せた。

「そもそもの始まりは去年の夏の事だったんだがこいつが依頼を受けて遣い魔をある人物に憑依させたんだ

本当なら依頼が完了した時点でその遣い魔を回収はずだったんだが憑依体が予想外の行動を取ったせいで遣い魔が行方不明になった」

真琴がそれを察して早乙女に話し詳しい説明を唯天に振るように視線を移す。

「行方不明になった遣い魔は自我を失い、憑依した人間の心を食らいながら悪行を重ねた者のリストを元に殺人を続け、憑依体が消耗すると新しい肉体へと移動を繰り返している

移動手段は憑依体が死ぬ間際の視線を合わせた一瞬に行われるからなかなか端末に追いつけないのが現実だ」

「飛び降りる際に被害者が踊っているように見えるのは少しでも注目を集める為に遣い魔が体を動かしているのと自分が無意識に犯した罪から解放される安堵からだろう

注目を集めればそれだけ高確率で必要な人材に憑依する事が出来るからな」

唯天が説明した後に真琴が補足する。

「じゃぁ、これまで飛び降りた人と言うのは全く無関係な罪無き方々なんですね?」

早乙女が驚いた表情を作りながらも遺憾を言葉に表すと唯天は少し苦虫を噛み潰したような顔をした。

「殺された人間に関しちゃ同情の余地は無いんだが自殺した奴らに関しては俺らも何か償いを考えている

生き返らせる訳にはいかないけど相応の対処はさせて貰うつもりだ」

「お前の手は借りない!これは俺自身の問題だ!」

真琴が言うと唯天は即座に食ってかかる。

「何言ってる‥ここまで大事になっちゃ、お前だけで収束なんて出来ないだろ?

それにお前の事は頼まれてるし今回の手がかりだって見つけてきたのはこいつじゃないか‥」

真琴は唯天に言い返しながら戸惑う早乙女に視線を向けた。

「被害者の一人が私の患者なんです

この一連の自殺について個人的に興味があって調べてはいたんですがその最中に自分の患者がこういう事になってしまい真琴に助力をお願いしました

彼以降に同じように自殺したのは一人‥しかしそれ以降はまだ出ていません

その遣い魔が誰かの中に潜伏している可能性はありますが連続殺人も今は途絶えているので手掛かりが無いのが現状です」

早乙女がようやく頭の中を整理して説明すると唯天は視線を落とし真琴は溜息を吐いた。

   ピンポーン

沈黙が流れ、暫くするとまた呼び出し音が鳴り、早乙女は表情を戻しながら玄関へと向かった。

「突然申し訳無いっす‥またちょっと話を聞きたくて‥」

優輝が俊之を伴い玄関先でそう言うと早乙女は何と言う偶然だろうと思いながら運命を感じて二人を中へと誘った。

「丁度良かった‥友人が例の件を話しに来てくれているんですよ」

早乙女が言いながら診察室のドアを開けると優輝と俊之は動揺した面持ちで顔を見合わせてからそれに続く。

「客なら出直すよ‥」

「いえ、彼らは関係者なので大丈夫です」

真琴が言いながら立ち上がろうとすると早乙女はそれを制止し優輝達に自分の座っていた場所を進めて別の椅子を持ってくる。

「彼らは第五の被害者のお兄さんとその友人です

この方々は私の友人と同僚の方で今回の件でとても有力な情報を今、頂いたのですがその全てをお話しても貴方方に理解して貰えるかは分かりません

それでもお聞きになりますか?」

簡単にお互いを紹介すると早乙女は俊之達の方を見て了解を得る。

「構いません‥俺はどうして弟が死んでしまわなければならなかったのか真実が知りたいだけです

受け入れられるかどうかは分かりませんが全部聞かせて下さい」

俊之が強い口調で言うと優輝はそれを静かに眺めてから早乙女を見て頷く。早乙女は全てを了承すると真琴の方を見て今までの話を俊之達にしてくれるよう視線で促した。話が始まると俊之と優輝は何だか胡散臭げな表情を時折したがそんな反応に慣れているのか真琴は淡々と話を続け、全て話し終ると早乙女に視線を送る。

「俄かに信じ難い話ですが被害者が共通して飛び降りた者と目が合っているという点から間違いなくそれが連続殺人を起こす人格を生み出す引き金になっているようです

私が要君と面談して過去を覗いた時に出てきた彼は間違い無く要君の人格の一つでした

もし別物が入り込んだのだとしたらどうして要君の人格が反映されていたのですか?」

早乙女は話を聞きながら考えを整理し、疑問に思う事を俊之達よりも先に真琴達に聞いてみる。

「遣い魔を憑依させると言っても全く憑依体を乗っ取る訳じゃ無く、宿主の眠っている潜在的な残虐性を利用するんだ

人格は宿主のままで遣い魔の意志を反映するから表面的な記憶は消えてしまう

けれど無意識との境界が食われ、その行動が表面の記憶に現れてくると精神は崩壊してしまいそれに耐え兼ね自ら命を絶つんだ」

口籠る唯天に代わって真琴が説明すると俊之は拳を強く握った。

「それじゃぁ、要は全然関係無い上に極度の精神的苦痛を受けたっていう事ですか?

何で要なんです?何で‥」

ぶつけようの無い怒りに俊之は項垂れながら肩を震わせた。原因を作ったのは彼等かもしれないがこうなったのは偶々起きた天災に合うくらい運が無かった事だと瞬時に理解出来たからだ。

「生き返らせる事は出来ないがせめて魂を回収して穏やかな場所へ導く‥行先に希望があればそれも叶える」

俊之の心情を察すると申し訳無さで俯いたまま小さく唯天が言う。

「とにかくこれ以上、犠牲者を出さない為にも貴方方にも協力して頂きたいんです

要君の死後、伊藤和也という方が同じように飛び降りて死んでいます

繁華街で亡くなった為に多数の目撃者がいるので誰に憑依しているのかは分かりませんがもし知り合いに悪夢を見ている方がいればこちらへ誘導しては頂けませんか?」

「それならニュースで見たよ

確かこの前、飛び降りたヤンキーだろ?」

早乙女が言うと優輝がすぐに返す。

「その界隈なら伝手があるから俺も聴いて周ってみるよ

とりあえずお前は俺と一緒に行動して遣い魔の気配を追え」

真琴は早乙女に言いながら立ち上がり唯天に視線を移す。

「俺も‥俺も貴方達と一緒に行動して良いですか?」

それを見て俊之は意外な事を口にしたので優輝と早乙女は驚いたような顔をした。

「嫌な目に遭うかもしれないぜ?それで良いなら俺達は構わないけど‥」

「おい!機密事項もあるんだから一般人を同行させるな!」

「こいつはもう関係者だから構わないだろ?

それに言いふらされたところで信用されやしないさ」

真琴が言うとすぐに唯天がそれを止めたが即座に言い包められ黙る。

「じゃぁ、俺はそれとなくそれらしい人間がうちに接触したりしてないか調べてみるよ

凶状持ちとか多重人格関係だったら先生の所に出入りしてるかもしれないから‥」

優輝も言いながら立ち上がると早乙女は少し微笑んでから四人を見送って一息吐いた。


真琴達は現場に着くと自殺があったビルの斜め向かいにあるビルの地下へ降り、スナックや怪しい雑貨を置いた店が並ぶその一角にある占いの館へ入った。

「何だい客じゃないのか‥」

これまた怪しい洋装のいかにも占い師然とした中年の女性が真琴をじろりと見て行った。

「まぁそう言わないでよ‥それよりこの前で自殺があっただろ?

それに関して何か情報無いかな?」

真琴が置かれた椅子に腰を下ろしながら聞くと唯天と俊之はその後ろで立ったままちらっと辺りを見る。香の匂いとごちゃごちゃ置かれたそれらしい雑貨に少し目が眩みそうな感じがした。女性が何も言わずに手を差し出すと真琴はポケットから財布を取り出し苦笑交じりに二万円差し出した。

「時化てるね‥まぁ良い、名前は伊藤和也‥この界隈でよく遊んでたからたいがい常連なら見た事のある顔さ

交友関係で一番濃いのが一緒につるんでた高田満‥ここから少し行ったビルでホストやってるよ」

「何かそれ以外で事件当時に気になった事は無い?」

「そうだねぇ‥そういや何人かそれ見て失神してた奴がいたよ

確か‥中年のサラリーマンとキラキラってキャバクラに勤めてる奈々って子‥

それからイカ店のマスターが失神して一緒に救急車で運ばれてったかね」

真琴の質問に女性が答えると俊之は失神と言うワードに反応するように目を見開いた。中川から聞いた飛び降りを見た後の要の症状と同じ。おそらくその三人のうちの誰かに憑依したのだろうと悟ると身を乗り出した。

「その三人の居場所は?」

真琴を差し置いて俊之が質問すると女性は訝しげな顔で俊之を眺める。

「中年サラリーマンの居場所は分かるかな?」

真琴はそれを見て苦笑しながら更に一万円差し出しながら女性に聞いた。すると女性はカードを出しざっと並べ始め順に捲って行く。

「残念だけどこのサラリーマンもう死んでるね‥自殺してる

会社の金横領して首が回らなくなったんだね‥ここで飛び降り見た二週間後ぐらいに自社ビルの屋上から遺書残して飛び降りてるよ」

カードを見ながら女性が言うと真琴は立ち上がり二人に視線を送った。

「ありがとう‥また来るよ」

真琴が女性に言い置くと三人は店を出た。

「キャバ嬢とマスターは居場所が分かってるから頃合いを見て接触出来るけど死んだサラリーマンはちょっと難しいな‥」

ビルを出た所で三人は見合うと真琴がそう言って溜息を吐く。

「もしそのサラリーマンに遣い魔が入り込んでいた場合は?」

「また同じようにその周辺を辿るしかない

それよりどうして失神した人間に遣い魔が入り込んだと思った?」

俊之が真琴に聞くと唯天が答えてすぐに質問を返した。

「弟の友人から聞いたんですけど要は自殺者と目が合った後に失神してその時の記憶を一時的に失ったそうです

他の被害者がどうかは分からないが少なくともそういう症例がある以上、類似した状態の人間を当たる方が確率は高いはずです」

「確かにこんだけの人間を一人一人当たるよりはましか‥

とにかくもう少し時間を置かないと両方とも店が開かないけどどうする?」

俊之が言うと真琴は微妙な笑みを浮かべうんざりしたように辺りを見回しながら続けた。流石に繁華街だけあって行き交う人はかなり多い。

「とにかくここに居てもしょうがない‥どこかへ移動しよう‥」

唯天が言うと真琴は辺りを見回してから二人に付いて来るよう目配せした。三人は近くの喫茶店に入ると適当な場所に腰を下ろす。

「とりあえず時間もあるしそのサラリーマンの身元を探ってみるか‥」

真琴は言うとどこかへ電話をかけた。

「ああ‥俺俺、ちょっと調べて欲しい事があるんだけど‥分かってるくせに意地悪すんなよ

だからそれも含めて今度ちゃんと礼はするから‥え?今?北町の繁華街だけど‥

ダメだって!連れがいるんだよ」

何だか本題に入る前にいろいろ揉めているようでなかなか電話は終わらない。そこへ店員が注文を取りに来て俊之と唯天は小さく注文を言って真琴はゼスチャーでホットコーヒーを頼んだ。暫くそんな感じで通話をした後ようやく電話を切った。

「またあいつに頼んだのか?」

唯天が戸惑いがちに聞くと真琴は頷きながら溜息を吐く。俊之は知らない世界に戸惑うばかりでただ二人の動向を見守っていた。

「情報探らせたらぴか一なんだけどちょっと曲者でさぁ‥はぁ、また暫く汚れ仕事か‥」

ぐったりしながら呟くと真琴は頬杖をつく。

程なくコーヒーと紅茶が運ばれてきて真琴はちょっと驚いたように俊之と唯天を見た。

「君も紅茶派なんだ‥」

「出されたら飲みますが自分ではコーヒーは注文しないんです」

真琴が聞くと俊之はどうしてそんな事を聞かれるのだろうかと思いながら答える。

「ああ、そうなの‥こいつみたいにコーヒーが飲めない訳じゃ無いんだ」

真琴は唯天を見て笑いながら言うと唯天は面白くなさそうに視線を逸らせながらカップに口を付けた。そんな話をしていると電話が鳴り真琴は慌てて出る。

「はいはい‥流石、早いね‥はは‥うん‥うん‥ありがとう、また連絡するよ」

「もう分かったのか?」

真琴が電話を切るとすぐに唯天が聞く。

「ああ‥男の名前は堂島忠志、重森工業所で経理をしてたんだけどギャンブルで会社の金を使い込んでそれが発覚しそうになって自殺したらしい‥どこにでもある話だな

周りの評判は良くも悪くも無いそうだ

死ぬ間際までいつもと様子は変わらなかったらしい」

真琴が聞いたままを話すと唯天は少し視線を落として考える仕草をし、俊之と真琴はそちらに視線を向けた。

「遣い魔が憑依した人間の意識を掌握するまで一週間から二週間ほどかかる‥殺人行動に移るのはその後だ

もしキャバ嬢かマスターが取り憑かれているなら既に何らかの行動に出ているはずだが事件が起きて無いのならその死んだサラリーマンに取り憑いていた可能性が強いな‥」

まるで独り言のように体勢も変えず説明する。

「確か何かを強く悩んでたり恋愛真っ最中だとその分、遣い魔が憑依体を掌握しにくいんだっけ?」

「ああ、要は隙があればある程それだけ乗っ取られやすくなるという事だ

その二人がもしそうでも潜伏期間が長すぎる

そうなればやはりその死んだサラリーマンと言う可能性が濃いがそうなると次の憑依体に移っているという事だからまた探し出すのは難しくなるな」

真琴の問いに唯天は即座に返して難しい表情をした。

「確かに遺体を隠したとしても少し期間が長過ぎるな‥じゃぁ、もうキャバ嬢とマスターは除外するか?」

「いや、念の為に一応探ってみる‥可能性は確実に消していきたい」

真琴が言うと唯天は返し、両店の開店時間が来ると三人はそれぞれの店を訪れてみたがやはり両方白だった。仕方なく三人は日を改めてそのサラリーマンの周辺を当たる事にした。

「やはり要も人を殺していたんですか?」

別れ際にポツリと俊之が言うと唯天は背を向けたまま答えず真琴は何とも言えない表情で俊之を眺める。

「もう考えるなよ‥」

辛そうな顔で答え、真琴は唯天を連れてその場を去った。


あの拒絶の言葉からまた全て逆戻りになってしまった優輝は研究所へ戻ると老人を捕まえて教えを乞う事にした。

「拒絶を引き出したまでは良かったんですけどそれ以降、何も反応が見られなくて‥何か間違っちゃいましたかね俺‥」

弱音を吐きながら深く溜息を吐く。

「なかなか順調のようじゃないか

拒絶を表す言葉に聞こえるかもしれんがこの前に発した言葉‥これを見れば彼女が君に気持ちを動かされておるのが分かる

まぁ、後は君の出方次第でまた心を閉ざすか正気を取り戻すか決まるがどの道ここまで来たのなら最後まで面倒見てあげる事だ」

老人は今までのレポートを読み返しながら言うと優輝は困ったように視線を外す。

「彼女は何から俺を守ってくれようとしてるんですかね?」

困惑しながら再度質問を投げてみると老人は見ていたレポートを優輝に返した。

「私がまだ三十代の時にこういう事例があった‥ある狐憑きの娘が突然に刃物を持って暴れてね

勿論、それはただの多重人格者だったのだが彼女は暴れている状態でも母親に逃げるように叫んだという

もし彼女自身が制御出来ない何らかの危害を君に加えようとしているのなら拒絶の言葉も納得出来るとは思わないかね?」

背凭れに身体を預けると老人が己の体験談を簡潔に話し可能性を示唆する。優輝はそれを聞くと何だか心の中でキュンとする気持ちがある事に気付いた。

「なるほど‥調書読んでもあんな残忍な殺人を犯すような性格じゃ無いですよね

寧ろ優しい一面しか見えてこないって事は多重人格の気があったのかも‥だとしたら今、その二つの人格の間で揺れてる可能性もあるって事ですか?」

何となく霞の向こうに輪郭が見えてきた気がして優輝は嬉しそうに老人に聞いてみる。

「あくまで可能性の話だ

全ての人間をテンプレートに当てはめようとすれば失敗する‥後は自分で判断して頑張りたまえ」

老人はぎょろりとした目はそのままに口元にだけ笑みを作って答えると優輝はレポートを手に一礼して部屋を出た。


翌日、いつものように手土産を持って優輝は凜子の元を訪れいつもと変わらない様子で何気ない話を奏でる。

「人って表裏あって厄介だよねぇ

喜んでるからそれで良いのかと思ってたら怒られちゃったよ

まぁ、俺も良い顔しながらコナクソって思う事あるから人の事言えないけどさ」

何気ない話の後にそう言って少し誘導をかけてみるがやはり反応は無い。そのまま暫く黙りながら鶴を折る。

「君は誰から俺を守ってくれようとしてるのかな?」

聞こえるか聞こえないかギリギリのトーンで話しかけてみるが反応して貰えず鶴は仕上がってしまった。

「じゃぁまた明日ね‥」

少し寂しげに鶴を枕元に置いて背を向ける。

「私の中に鬼がいるの‥」

それを聞いて振り返り凜子を見ると涙を一筋流した。優輝はただ驚いたまま呆然としていたが傍まで来て涙を拭ってやる。

「鬼?君の中に鬼がいるの?」

聞いてみるがやはり反応は無く、暫く待ってみたがいつもと変わらないようなので仕方なく優輝は病室を後にした。

所に戻っていつものようにレポートを書いているとふと俊之達の方が気になったがそれより鬼と言うワードが引っ掛かり、先に早乙女の元を訪れてみる事をした。しかし診察中なのか看板は下げられていて優輝は暫くドアの外で待つ事にした。

一時間後、ようやくドアが開き患者らしき者と見送りの早乙女が出てくると優輝はちょっと待ちくたびれたように微笑んだ。

「ずいぶん待たせたみたいだね‥」

その様子を見ながら早乙女が言って優輝を中へ誘う。

「いや、アポも無しに来たんで‥それよりあれから何か進展ありました?」

優輝は少し遠慮気味に上がるとソファに腰を下ろし聞いてみた。

「あれからいろいろ追っているみたいだけどまだ有力な情報はないみたいだね

最後に飛び降りた人物から次に憑依した人物は特定出来たらしいけどその人が個人の事情で飛び降り自殺したようで追跡が困難になってるそうだよ」

テーブルを片付けながら答えて早乙女は溜息を吐き、それを持って奥へ行きクッキーとハーブティーを持って戻って来た。

「あの‥全然関係無い話なんっすけど蒼さんは狐憑きの事例って扱った事あります?」

優輝は俊之の事は一旦置いて自分が抱える案件について単刀直入に聞いてみる。

「まぁね‥こういう仕事をしてると結構あるよ

特に中高生に多いけどほとんど多重人格や逃避と言ったものかな‥偶に本物も交じっているけど‥」

ほろりと言った早乙女の最後の言葉に優輝は驚いたような顔で早乙女を見た。

「どうして私の友人に霊能者がいるのかぶっちゃけ言うとそっち方面でお世話になってるからなんだよ」

少し微笑んで早乙女が続けると優輝は戸惑いを隠せない。

「マジか‥」

口元を抑えながら少し視線を下げて呟いた。俄かに信じられないが俊之の一件もあり信じる他無い。暫く気持ちと考えを整理してから凜子の事を相談してみる事にした。

「あの‥俺、今、精神障害者のカウンセリングに先生に言われて就いてるんですけどその患者が自分の中に鬼がいるって言うんだ

殺人犯なんでここへ連れてくる訳にはいかないけど一回一緒に面会に来て貰っても良い?」

優輝はそう言ってから今までの経緯と凜子に関する情報を事細かに早乙女に話して聞かせ協力を仰ぐ。

「もし多重人格なら部外者が行くと逆効果になる場合があるよ?

それに本当に鬼がその彼女の中にいるのだとしたら私だけではどうにも出来ないしそう言った場所に出入りするには許可がいるから彼を同行させるのはちょっと無理かな」

早乙女は優輝の話を聞き終ってから答えて溜息を吐く。二人は途方に暮れながら黙々と良い方法が無いか考えた。

「先生に頼んでみるかな‥」

困り果てて優輝は呟くと重い腰を上げる。

「長篠教授なら面白がって協力してくれるかもしれないけどあまり彼がこっち方面に協力的では無いんでうんと言ってくれるか‥

それに今向こうも大変そうだし‥」

早乙女が意外な所で難色を示す。

「うーん‥難題だらけだな‥」

「ともかくダメ元で聞いてみますか‥」

優輝が難しい顔で言うと早乙女は電話を取って真琴にかけ事の次第を話すが案の定、難色を示しているようでなかなか電話は終わらない。優輝はもう一度ソファに腰を下ろすと根気強く電話が終わるのを待つ。

「何とか協力を得られそうです

後は教授次第ですが‥」

それを聞くと優輝は心を決めたように深呼吸をしてから立ち上がった。

「とりあえずもう一回、研究所に戻って先生を説得して来るからまた後で電話する」

優輝は研究所に戻り俊之達の事は避けて事の経緯を話し協力を要請した。

「実に面白い‥是非、私も同行させて貰おうじゃないか」

老人が言うと優輝はやっぱりと言う顔で苦笑しながら予想通りの反応に頬を掻いた。


翌日、病院に大人数で訪れた面々を見て関係者が行く手を制止する。

「面白い案件なので研究生を同行させたい

身分は私が保証しよう」

老人がそう言うと塞いでいた道を開けた。そして病室の施錠を解くと一行は中へと入る。

「やぁ‥足立ぃ‥凜子さん?」

白々しく老人は再びカルテを見ながら名前を確認する仕草をした。

「今日は彼が君に無礼を働かないか見に来たので私の事は気にせんでくれたまえ‥」

それだけ言って部屋の隅に行くと丸椅子を寄せて座った。

真琴と早乙女は凜子の視界に入らないように部屋の隅で待機している。

「何だか変な感じだけど気にしないでね

俺、本当に信用ないって言うか‥それより今日は綺麗な花を見たんで買って来たんだ

あんまり派手じゃないけど綺麗な色だからさ‥」

優輝はいつものように話しかけながら花を短く切って髪にさしてやるとそのあまりの臭さに真琴は噴出しそうになり口元を抑えた。早乙女は慣れているが真琴はこういった誘導に慣れていないせいかいちいち突っ込みたくなる。ここへ来る前に散々注意を受けたので出来る限り気配を消すがまるで少女マンガのような演出に少し気が遠くなってきた。ぎょろりと老人に睨まれると真琴は何とか平静を取り戻す。それを気にも留めず優輝は延々凜子に話し続けた。

「そう言えば昨日、君の中に鬼がいるって言ってたけどどうしてそんな怖いモノが君の中にいるの?」

ようやく本題に話が行くと真琴は表情を変えて二人に見入る。優輝は相変わらず鶴を折り始めて壁に凭れリラックスしていた。やはり凜子は何も答えずに真琴が少し焦れてきた頃、凜子はふっと顔をこちらに向けた。

「私をこのまま殺して‥」

はっきり凜子は真琴に向けて言葉を発し、一同は思わず驚いて凜子と真琴を交互に見た。

「俺は人は殺さない‥お前は何者だ?」

じっと黙っていた真琴は言いながら凜子に歩み寄るとその顔を見たが凜子は視線を逸らせたまま顔だけを真琴に向けた。

「私が閉じ込めておかないとまたこの鬼は人を殺すの

だからお願い‥私をこのまま殺して‥」

凜子は呟くとまた顔を何時ものように天井に向け、それから何も反応を示さなくなった。

「そうか‥心を食われて正気を保て無いんだな‥」

真琴は呟くと凜子の額に手を翳し小さく何かを呟くとフッと払い除けた。しかし違和感を覚えて凜子の顔を見たが何も変わらずもう一度やってみたが結果は同じ。

「完全に同化しちまってる‥こりゃ早く鬼を祓わないと乗っ取られるぞ」

「どういう事だ?」

真琴が焦ったように呟くと早乙女が聞き驚きながらも老人はそれを静かに眺めている。

「彼女は同化をする事で取り憑いた鬼が暴走するのを押さえてる

そのせいで心が鬼に食われて人格崩壊を起こそうとしてるんだ

しかもこいつは専門家じゃなきゃ祓えない遣い魔の類だ」

そこまで言うとハッとする。

「蒼、この女が殺人犯だと言ったがこいつが殺したって言うその男の事は分かるか?」

慌てて真琴が早乙女に聞くと早乙女は優輝と老人を見た。

「被害者の名前は吉田潤‥東晋物産に勤めておったがあまり素行の良い青年では無かったようだ

交友関係も派手で取引先の女性に手を出しては問題になっていたようだね」

老人が淡々と語ると真琴はそれだと確信した。重森工業所に出入りしていた業者の名前と重なったからだ。

「今からもう一人‥いや二人呼びたいんだけど良いか?」

真琴が老人に問うと表情も動かさずOKサインを出した。

真琴はそれを見ると唯天に電話して俊之と病院に来るように告げ電話を切る。

「待ってろ‥もうすぐ自由にしてやる‥」

真琴は言うが凜子はただ天井を見たまま動かなかった。老人は病室の外にいる監視にもう二人、生徒が来るから案内するように告げると元居た場所に戻りワクワクした様子で腰を下ろす。暫くして唯天達が到着すると真琴は傍に来るよう視線で促した。

「たぶんこいつの中に堕往鬼がいる」

真琴が言うと唯天は凜子の額に手を翳して目を閉じた。

「間違いない‥堕往鬼だ‥」

ゆっくり目を開けて呟き、次に唯天がぱちんと指を弾くと辺りは途端に暗闇に包まれ一同は呆気に取られた。

「ああ‥心配無い、ただの結界だ」

真琴が惑う皆に言うと流石の老人も驚いたように腰を浮かせる。暗闇なのに周りははっきり見えて奇妙な感覚だ。

「汝、我に仕えし鬼神の僕‥ここに姿を現し契約の証を見せよ」

唯天が言うとふうっと凜子の身体が淡く青白い光を纏い始めた。そして凜子は徐に身体を起こして唯天を見る。

「主様‥私は一体‥」

戸惑うように言うのは凜子。それを見て唯天は目を見開いた。

「どういう事だ?分離しないじゃないか?」

それを見て慌てて真琴が唯天に問い質す。その様子に一同はただ事でない事態が起こっていると理解したが発する言葉も無くただ二人を見つめる。

「もう一度命じる‥姿を現し契約の証を見せよ!」

唯天はそれに答えずもう一度、命じるが凜子は表情も無いまま唯天を眺めた。

「主様‥この娘は我が無意識に食らった魂を全て引き受け力尽きたようです

今、この娘の心はほんの僅か残るばかり‥この体を出ればその命尽きましょう」

堕往鬼は暫くの沈黙の後、凜子の口を借りて現状を把握したかのように説明した。

「やはり同化してしまっているのか‥」

真琴が呟くと凜子の姿をしたままの堕往鬼はゆっくりとそちらに顔を向ける。

「己の魂を喰われ続けて尚、我を他の魂と共に消滅せぬよう守り、この体に留めた‥しかし彼女の人格は我の中に残っております

我が潜在意識化で眠りに就けばいずれ心は育ち己を取り戻すでしょう」

堕往鬼が答え、そのやりとりをただ戸惑いながら一同は見ていたが不意に俊之が一歩前へ出る。

「要は?要もそこにいるのか?」

凜子の中にいる堕往鬼に問いかけた。

「俊兄‥ごめん‥」

凜子がふっと表情を緩めて要の口調で俊之に語りかけると俊之は瞬きもせずに涙を零す。その姿は要に重なり間違いなく本人から発せられた言葉だと理解したからだ。

「ごめんじゃ無いだろう!

何があっても勝手に死ぬ奴があるか!」

俊之はその胸ぐらを掴もうかという勢いで歩み寄るがそれを優輝が制止する。

「落ち着けって!」

優輝が体を抑えながら言うと俊之はその場に泣き崩れた。

「父さんと母さんにもごめんって‥言ってよ‥」

凜子が言うと俊之はようやく顔を上げて凜子を見る。

やはり表情は要が作るそれで俊之は疑う事無く現実を受け入れた。

「今回の件は俺達のミスだ‥生き返らせる事は出来ないが希望があれば叶える」

真琴は凜子の中の要に話しかけるが要は首を振った。

「こうなった事は仕方ない事だってもう分かったから‥でももし願いが叶うならまた俊兄達と家族になりたいな」

少しはにかんで答える。

「了解‥」

了承すると真琴は凜子の胸元に手を翳してその身体から淡い光の球を一つ取り出した。そしてその球を俊之の傍まで持ってくると目線を合わせるように屈む。

「弟の魂だ‥受け取ってくれ‥」

そう言うとそれを渡し受け取った俊之は大事そうに抱えて肩を震わせた。暫くするとその光は吸い込まれるように消え俊之は心の奥深くで要を感じる。

「他の魂も開放してやらないとな

堕往鬼、凜子とかいう奴を連れて一旦隠れてろ‥詠唱拝詞をかける」

真琴が言うと凜子は頷き目を閉じる。真琴がさっきと同じように胸元に手をやり詠唱を始めると光の球が幾つか浮かび上がるように凜子の身体から湧き出てゆっくり上へと上がって行く。そして淡くその輪郭を失くすと空気に溶けるように消えた。

「さて、この後どうする?

もう彼女を生かしたまま堕往鬼を回収するのは無理だろ?」

詠唱が終わると真琴は唯天に視線を向けて言った。唯天は困ったように考えてから溜息を吐くと凜子を眺める。

「けどこの状態で放置する訳にいかない

こいつはもう鬼の眷属だ‥御山に連れて行って監視下に置く他無いな」

「あのー‥彼女、一応、囚人なんでここ出られないんだけど‥」

二人が話していると優輝は口を挟む。

「それは問題無いよ

こういう特殊案件にはお偉いさんが動いてくれるから‥」

真琴はすぐに答えると電話を出してどこかへかけた。優輝は何が何だかと言う顔で早乙女を見ると困ったような顔で含み笑いをされ余計に困惑する。暫くの会話の後に電話を切ると真琴はうんざりしたような顔で唯天に視線を向けた。

「すぐに手配するって‥細かい説明はお前がちゃんとしろよ

俺はこの件には無関係だからな!」

何があったのか分からないが真琴が涙目で言うと唯天は何かを察して溜息交じりに頷く。

「実に興味深い現象だがこの事案についてじっくり話を聞きたいものだね早乙女君‥出来れば君達にもね」

ずっと黙っていた老人はようやく立ち上がって真実達を見た。

「いや‥俺達は遠慮しときます

手品でもトリックでも好きに言って貰って結構なんで‥

貴方方と議論の場に立つ気は無いです」

真琴は困ったようにそのぎょろりと見る瞳に返すと助けを求めるように早乙女に視線を向けた。

「お前は暫く眠っていろ‥また利用価値があれば遣ってやる」

唯天が凜子の中の堕往鬼に言うと凜子はまたパタッと倒れて反応しなくなった。

それからまた唯天が指を弾くと元の空間に戻る。

「じゃぁ用事も済んだし俺等はこれで‥」

真琴は言うと俊之と唯天を押して病室を出ようとした。

「待ちたまえ‥少し位話を聞かせてくれても構わんだろう?」

老人は言いながらその後を追いかけ早乙女もそれに続く。

「また来るから‥」

優輝は相変わらず表情を示さない凜子にそう言うと微笑みかけた。

「ありがとう‥」

すると凜子は視線を合わせて優輝にそう返し、少しだけ微笑んだような顔をする。

「うん‥」

呆然とした後に感無量と言う顔で力強く答えて優輝はまた動かなくなった凜子の頭を撫でてから病室を後にした。


翌日、優輝が病院を訪問すると凜子はどこかへ移送された後だった。優輝は仕方なく肩を落とし帰って行く。

「お別れくらい言わなくて良いの?」

その様子を眺め真琴は隣に居る凜子に視線を移し、屋上の縁に屈んだまま聞いた。

「もう私には普通の生活は出来ないから‥」

凜子は表情も無いまま呟き小さくなっていく優輝の後姿を眺める。

「唯天も残酷な事するよなぁ

堕往鬼を回収すれば君もあのまま天国へ送ってあげられたのに‥」

「私が望んだの‥今は彼らが抱えてきた絶望を一緒に抱いて生きていきたいの」

「何かの償いのつもりなら止めた方が良いと思うよ?」

真琴の問いに凜子は答えず背を向けて歩き出す。その先には唯天がいて凜子と共にドアの向こうに消えて行った。真琴はいつまでも二人が消えた方を見ながら溜息を吐く。

「君が思うほど甘い世界じゃ無いんだよ、お嬢さん‥」

冷やかな顔で一人呟くと真琴は立ち上がり二人の後を追った。全ての事件は終息を迎え、新たな狩人が産声を上げる。その静かな誕生を誰も知る事は無かった。






                  おわり


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