07-原初の天使
「レイルバレルさん。まずは感謝を」
私──フェリスは美しい黒髪を携えた女性に、ひとつ丁寧な所作を心掛けて頭を下げた。
何故このような行動を取ったか。それは彼女の魂を見たからです。
私の魂は今年で1030歳となります。これでもそれなりに長寿であるはずなのに……
彼女たちの魂の年齢は、何億……いや、何兆?
少なくとも私の目にはその概念を捉えることができませんでした。
即ち、私より圧倒的高次元な存在であることは、明確にわかってしまったのです。
だから、丁寧に対応しなければなりません。
「レイでいいです。私もお話したいと思ったので、気にしないでください」
彼女はそう言ってくれました。……良かった。
レイルバレル──レイさんの魂の根幹にあるのは、隣に居た彼への"愛"でした。
そこまで見えたのにも関わらず、彼の魂に刻まれた名を私が口に出した時に、とても困ったような焦ったような、そんな表情をしたのです。
「……何故、マスターの名を?」
「その話に移る前に、こちらに掛けてください」
それなりに長い話になるだろうと思ったので、私は居間の中央に置かれた、木製のテーブル席に座るように促します。
「……わかりました」
少し不服な表情をされましたが、それでも素直に誘導に乗ってくれました。
私は彼女が席に着くのを確認しながら、二つのカップにお茶を汲みテーブルに置きました。
「粗茶ですが、良かったら」
すると、彼女の表情は不服なものから怪訝なものへと変わりました。
「毒は入ってませんよ」
「……それは気にしてません」
私の言葉は、どうやら余計だったようです。
私は相手の魂を見ることができますが、考えが読めるわけではありません。
「何故、彼の名を隠しているのですか?」
席に着いた私は、目の前の彼女に問いかけました。
彼の魂に刻まれた名は"シン"だったのに、目の前の彼女はそれを知っているのにも関わらず、意図的に隠しているかのような、そんな印象を受けたからです。
確かに彼の魂には、様々な魂の欠片が纏わりついていましたし、普通の魂では無いのだろう……とは思いましたが。
「そういう呪いなのです。
私が神々と約束した……それと引き換えに受け入れた、私の、呪いなんです」
「彼の名を告げることが、出来ない呪いなのですか?」
彼女の言葉はあまりにも抽象的で、ついつい深堀するように私は聞いていました。
こういう私の性格は、この階層に封印される前から変わりませんね。
「……いえ、彼の過去に、私が触れることができない呪いですね」
レイさんは恐る恐る、周囲には聞こえないように言いました。
私にしか聞こえない、本当に小さな声でそうやって言いました。
その声音と、表情には、とても大きな名残惜しさを感じました。
まるで、レイさんは彼の過去に触れたがっているような、そう考えているのではないかと思ってしまうほどでした。
「大切な方なのですね」
彼女にとって彼は大切な存在なのでしょう。どうしようもなく愛おしくて、どうしようもなく思い悩んでしまうのでしょう。
「……まあ、それは、そうですね」
レイさんはとても優しそうな、そんな柔和な表情をしていました。
美人が更に美人に見えるほどに、柔らかな雰囲気を漂わせて。
「呪いの解呪であれば、私ができるかもしれませんよ?」
私は恩を売る目的もあって、彼女にそんな提案をしてみました。
「いいえ、結構です。もし仮に試みるとしても、今はまだ時が早いのです」
レイさんはカップを口に運んで、優雅な動きでずずっとお茶を啜りました。
「それは……何故ですか?
レイさんはこんなにも、彼の事を愛しているのに」
魂に刻まれるほどの愛が激情でないはずがないのに、なぜ彼女は待つことを選ぶことができるのでしょうか?
「フェリスさん、昔話を……聞いてくれますか?」
レイさんはまた、小さな声で恐る恐る続けます。
それはまるで、私の疑問になぞるかのように、けれども、自分の感情の吐露する先を探すかのようにも感じられました。
「もちろん、構いませんよ」
他者の悩みを聞くのは、私の天使としての本分ですから、もしお話してくださるのであれば、私は幾らでもお伺いしましょう。
「私は彼の妻、だった者なんです。
……といっても、幾兆年も昔の話なんですが」
レイさんは語り口調で、ゆっくりと話し始めました。
「彼はどんなおなごも好きに娶ることができるような、そんな強大な王でした」
彼女は少し寂しそうな表情をしていました。
「どれくらい強大かと言いますと、宇宙全土を統治するような……それくらいです」
彼女の愛しき相手は、彼女の言葉を信じるのであれば、様々な世界の創世神話の時代から存在していることになります。
「それでも、彼は私を大切に愛してくれました。宇宙の全てを収めた彼は、それでも私を愛してくれました」
彼女の魂は幾兆と年月を重ねています。それは彼も同様です。それを考えると、到底信じられない話でも信憑性が上がりますね。
「私はそんな生活が幸せでした。そんな男に愛されて、不幸せであることわけがありません」
レイさんは、しとしとと言葉を続けます。
「……ですが、そんな平穏は、宇宙崩壊が始まると同時に、あっさりと崩れ去ります」
一千年以上生きた私でも、全く聞いた事のない歴史です。
惑星単位の崩壊ですら、ほとんど知らないですし聞くことはありません。
「王は様々な英雄と共に、宇宙崩壊の原因となった超巨大なブラックホールへと、立ち向かっていきました」
本当に聞いたことがない歴史の話です。彼女の妄想だと一蹴しても良いくらいです。
……ですが、一蹴にできない説得力があります。
「そのブラックホールを力で壊すことができませんでした。どんな技術や感情があっても、その領域に辿り着くことはできませんでした」
ブラックホール、私が知る限りは全ての光を飲み込む影だとか……
「だから王は、自らの身体をブラックホールに投げ込んで、そして、そのブラックホールを乗っ取る形で宇宙崩壊の危機を救いました」
私の視線には、思わず恐怖の色が宿ってしまった。
彼がブラックホールの力を抱えているということは、それ即ち、いつでも世界を飲み込むことができるということだから。
「ブラックホールと同化して、身も心もやつれてしまった彼を裏切ったのは、様々な世界の神々でした。
……あろうことか、彼を助けてやるから、その代わりに王であった過去に触れるなと」
そこに強い恨みがこもっていました。対峙する私が、思わず身体を仰け反らせるほどに。
「私が彼に過去を教えてしまうと、あらゆる世界の神々が彼を殺しに来ます。
そういう……呪いなのです」
もし仮に私が解呪に失敗した場合の、その代償が大き過ぎると判断されたのでしょう。
だから、彼女は自分の感情より冷静な判断を優先させた。
「そうなのですね。
だから、私の力添えは必要ないのですね。
もし可能であれば、私たちの封印を解いてもらえないかと思っていたのですが……」
私は彼女の話に、初めて口を挟みました。
自分が考えていたことを、正直に話した方が良いと判断したまでですが。
基本的に相手との付き合いは、相互利益が必要です。
特に、自分より上の相手には、先に与える事が必要です。
ですが、こちらから与えられる物が何も無いのだとしたら、こちらが欲しい物を提示する他ありません。
「封印の解除であれば、マスターの力を借りればできると思います。
それに、恩を売らなくても、彼はやってくれると思いますよ。
……そういう存在だから、私は好きになったんです」
少し照れくさそうにレイさんは言いました。
その表情は外見には似合っていましたが、魂の年齢には似合っていませんでした。
「その……頼んでもよろしいのですか?」
本当に封印が解除できるのであれば、今の今まで、私の為にこの地に縛り付けていたレオンを解放してやれます。
悪魔のくせに、天使の私を庇って、私ともども封印されてしまった愛すべき馬鹿を、そろそろ私の手から離してやらねばと思っていました。
「まずは、マスターに聞いてみましょう」
「ありがとうございます」
私は素直に頭を下げた。
封印を解除してくださるのならば、私も彼に力添えしようと心に決めました。
個別情報一覧
名前:フェリス
種族:プリモーディアルエンジェル
能力
・識魂:Lv.MAX
・祝福:Lv.MAX
・浄化:Lv.MAX
・加護:Lv.MAX
技術
・飛翔:Lv.10
・護身術:Lv.10
・生活雑務:Lv.6