03-スライム
「おわっ!?」
ちょうど500階層に足を踏み入れた俺は、次の瞬間に一切の身動きが取れなくなった。
息もできなくなった。何故なら粘性の高い液体に身体が包み込まれてしまったからだ。
「……」
『……』
「……」
『……』
でも、息苦しくならないな。呼吸をしなくても、そんなに苦しくならない。俺の身体が特別性なのは理解してるが、ここまで来ると何でもありだな……
本気で周囲の液体を殴ってみた。衝撃が全く伝わらず変化がない。今まで数多くの化物を屠ってきた拳すらも、こうやって衝撃が吸収されてしまえば意味がない。
レイ、何か良い手はないか?
『対応できる能力を創造すれば良いのではないでしょうか?』
対応できる能力……か。それを創造するにしても、この液体の正体を知らなければ話にならない。
この液体は何なんだ?
『イモータル・スライム。
不死のスライム、今までと同様に神話級の化物です』
スライム、本来は全身がゼリー状の粘体で構成された低級魔物だ。知能はほとんどなく、動きも鈍重だが、打撃や物理攻撃を吸収しやすく、初見では侮れない存在だ。
ここまでは知っている。だから、俺の拳で殴っても意味がないのかと納得はした。魔術や魔法などの非物理攻撃であれば、討伐できることも知っている。
何で俺が知ってるのか?
それはわからない。何で知ってるのかわからないんだよなぁ……
この知識の出所は気になることではあるが、誰かに聞けるわけでもないし、身動きが取れない状態で考えることじゃない。
……まずは効きそうな魔法を創造してみるか。
『"火魔法:Lv.MAX"を取得しました』
レイの言葉を聞いて無事に創造できたことを認識する。そして、次の瞬間に火魔法を使用した。……けど、作った次の瞬間には消えてしまった。
スライムには、火のように燃え広がりながら継続的にダメージを与える魔法でなければ効果が薄い。氷や土の魔法では、所詮は単なる物理攻撃と大差ないからだ。
『"雷魔法:Lv.MAX"を取得しました』
別の魔法を創造して、再び周囲に向けて放つ。だがしかし、やはり全く効果がなかった。どうすればいいんだ……
いや、違うな。対処方法を変えるべきだ。
何もわからないのならば、まずはわかるようにすればいい。知らないことがあるのならば、理解できるようにすればいい。
『"解析眼:Lv.MAX"を取得しました』
レイの言葉が響いた瞬間、頭蓋を割られるような激痛が襲いかかった。思考は砕け散り、世界は濁った闇へと急降下していった。
私──レイルバレルは、静かに目を覚ました。
マスターの意識が表層にある限り、私は彼の身体に干渉しない。それが私たちの間にある、暗黙の原則である。
だが今回、マスターは意識を失った。原因は、彼が創造した能力の特殊性にある。
“解析眼”──それは、世界の構造を無理に歪め、視界に入るあらゆる存在を強制的に読み解く力。
極めて高負荷かつ非互換な能力であったため、マスターの脳に過剰な負担がかかり、意識の喪失を招いたのだ。
このような状況で彼が倒れたままでは、死は免れない。よって、私が表層へと移行し、行動を引き継ぐ。
まず私は、“解析眼”を用いて周囲を構成するスライムの能力を解析した。
個別情報一覧
名前:
種族:イモータルスライム
能力
・全耐性:Lv.MAX
・物理無効:Lv.MAX
・溶喰:Lv.5
技術
なるほど……マスターの攻撃が通じなかった理由も、この高い防御能力によって説明がつく。
また、彼の衣服が一部溶けていた点からも、この個体が“溶喰”を用いてマスターを取り込もうとしていたのは明白だ。
もっとも、マスターの肉体は異常なまでに強固であるため、スライム側がその消化に失敗していたようだが。
対処の方向性を定める。
具体的にどのように対処をするべきか。
『「……」』
『「……」』
『「……」』
『「……」』
ひとつ、有効な手段が思い浮かんだ。
それは、私にとっても都合のよい解決策である──いや、正確には「倒す」手段ではないのだが。
私は意識を、マスターの身体を包むスライムへと向けた。そしてそのまま、精神的な接触によって、その内部へと潜り込む。
スライムとは本来、明確な意識を持たない、植物的な構造の魔物である。であれば、私のような高度な意思を持つ存在が、精神干渉によって支配することは理論上可能だ。
私は、スライムの“核意識”と接触し、それを捕食するようにして支配権を奪った。
難易度はさほど高くなかった。だが、それと引き換えに驚くべき事実が明らかとなった。
このスライムの身体は、500階層全域にまで広がっている。
マスターが時速200kmで半日かけて走破するほどの距離を、隙間なく覆い尽くす──そのような膨大な体積を、この個体は有しているのだ。
まず私は、スライムの体積を圧縮した。
そうしなければ、マスターにさらなる損傷が及ぶ危険があったためである。
そしてついに、自身の身体からマスターを丁寧に分離し、救出することに成功した。
一つ目の目的は、これにて完了である。
次に行うことこそが、私がスライムの身体を掌握した本来の理由である。
スライムは軟体生物であるため、任意の形状に変化することが可能だ。視認または記憶した対象であれば、おおよその外形模写も容易である。
しかし通常のスライムには“意思”が存在しないため、どろりとしたゼリー状の姿を保ったまま、無為に存在しているに過ぎない。
私は、自身にとって最も好ましい形へと変化した。
腰まで流れる黒髪。漆黒の瞳。女性的な曲線を持つ、しなやかな体躯。
マスターのように不用心な姿ではなく、身にまとった外装も、黒を基調としたタイトドレス──身体のラインを強調し、なおかつ戦闘行動に支障をきたさない機能性を備えている。
私はマスターのもとへと歩み寄った。
彼の衣服は、既に“溶喰”によって損傷していた。私は彼をそっと抱きかかえ、洞窟の端へと静かに移動させる。
マスターが目を覚ますまでには、ある程度の時間を要する──それは私にも理解できていた。
“解析眼”の構造と特性を考慮すれば、精神への負荷は一過性のものではなく、回復には相応の休息が必要となる。
周囲に他の化物の姿は見えない。地下深くであるため、当然ながら人の姿もない。であれば、大人しくこの場でマスターの目覚めを待つべきだ。
万が一の状況に備えて、今の自分がどの程度の力を持っているのかを正確に把握しておく必要がある。
私は、マスターが目覚めるまでの間に、自身の能力を確認することにした。
個別情報一覧
名前:レイルバレル
種族:イモータルスライム
能力
・個別情報一覧
・全耐性:Lv.MAX
・物理無効:Lv.MAX
・溶喰:Lv.5
・変身:Lv.1
技術
この“変身”という能力は、明確な意志によって肉体を自在に構築・維持するためのスキルと考えられる。
既存のスライムには存在しないはずの高度な機構だ。
意識を持たぬ存在には不要な能力──だが、私のように理性と構築意識を併せ持つ存在にとっては、むしろ自然な帰結なのかもしれない。
これまで、マスターを通して幾度となく目にしてきた魔物たち。
私は、その記憶を参照しながら、いくつかの姿へと順に変化を試みた。
しかし結果として、再現精度は想定よりも低かった。
外見こそある程度は模倣できたものの、様々な部位で多くの誤差が見られた。
特に、一度しか視認していない個体については、記憶の曖昧さが顕著に影響し、再現の完成度は著しく下がった。実際に変身しようとしても、変身をしている途中で形が崩れてしまった。
この結果から、変化の成否は記憶の鮮明さと、対象構造への理解度に大きく依存していることが明らかとなった。
単なる外見の模倣では不十分であり、内部構造や重量配分、関節の動きに至るまで正確に把握していなければ、実用に耐える変身は不可能である。
現在の私の人の姿は、それだけ記憶に強く焼きついているということだ。
おそらくその明瞭さが、姿形の安定維持を可能にしているのだろう。
“変身”のレベルは、初期状態では「1」と表示されていた。
つまり、現時点の精度はまだ発展途上であり、さらに向上させる余地があるということだ。
そう判断して、念のため再度ステータスを確認したところ、すでにレベルは「2」に上昇していた。
どうやら、複数回にわたって変身を繰り返したことで、能力そのものが成長したようだ。
意図的に成長を促せるかは未確定だが、“習熟によって精度が向上する”という傾向は見て取れる。
私は、マスターの目覚めを待つその時間を、変身能力の訓練に充てることにした。
個別情報一覧
名前:レイルバレル
種族:イモータルスライム
能力
・個別情報一覧
・全耐性:Lv.MAX
・物理無効:Lv.MAX
・溶喰:Lv.5
・変身:Lv.2
技術