10-俺の名は。
「マスター、おはようございます」
重たいまぶたをどうにか持ち上げると、視界に黒髪の女性が入った。
……誰だっけ。いや、すぐに思い出した。レイだ。
「……おはよう」
昔と同じように、なんとなく彼女の顔に手を伸ばして触れた。たぶん、前にもこんなことがあった気がする。
「お身体の調子はどうですか?」
「んー、大丈夫。……俺、なんで倒れてたんだっけ?」
正直、そこがすっぽり抜けてる。
「レオンの封印を解いた時に、そのまま……」
「あー、そうだったな」
あいつの封印を『全解乃誓』で解除したんだった。
「で、次は……あのフェリスとかいう女の封印か?」
ゆっくりと体を起こしながら、いつの間にか背が低くなっていたレイに聞く。
「そうですね。ぜひ、よろしくお願いします」
立ち上がった彼女は、俺とほとんど同じくらいの背丈になっていた。
「……彼らは何処に?」
周囲にレオンの姿も、フェリスの姿も無かった。
「家の中に入られましたね。マスターもお疲れですし、待つのが良いと思います」
レイの言う通りだ。俺の身体は少し怠さを感じている。
「もし良ければ、また少し眠りますか?」
彼女は再び地べたに座り、自らの太腿を手で叩いた。
「無しじゃないな。
でも、別に膝枕は要らない……」
「遠慮しないでください」
いや、遠慮しないでって言われてもなぁ。
「それとも、その外見はお嫌いですか?」
彼女は黒髪を揺らしながら、綺麗な黒い瞳で俺を下から覗き込んできた。
「……何かに影響されたか?」
思わず首を傾げるほどに、彼女の様子が普段と違う。
「いつも通りですよ。……嫌、ですか?」
「……俺は嫌じゃないけど、俺が起きるまで動けないぞ?」
「どうせスライムですから、あまり気になさらずに」
そうだった。こんなに綺麗な姿をしていても、中身はスライムなんだよな。
「わかったよ」
レイの隣に座って、俺は身体を横に倒した。
「では、ゆっくりお休みください。時が来たら起こしますね」
彼女の膝の上から、下から見えた彼女の表情は、とても柔らかかった。
「必要な時に起こしてくれ」
その表情を見た瞬間、俺は安心しきって力を抜いた。無意識のうちにまとっていた力がすっと抜けて、意識が暗闇に落ちていく──
──「マスター、起きてください」
どれくらい眠ってたのかはわからない。
目を開けて視線をゆるりと動かすと、レオンとフェリスが俺の目の前に立っているのがわかった。
「……フェリスの、封印を解けば良いんだよな?」
少し寝惚けた声になってしまったが、やるべき事は明確に理解している。
「はい、よろしくお願いします」
レイの声を聞いて、俺はゆっくりと立ち上がった。
「よろしくお願いいたします」
フェリスが丁寧に頭を下げた。動作の一つひとつがやたらと綺麗で、どこか気品があった。
「全解」
右手を彼女に向けて『全解乃誓』を発動する。
休んで軽くなったはずの身体に、またずしんとした重さが戻ってきた。
そしてフェリスの背中から、六枚の翼が広がった。まさに“天使”って感じの姿だった。
彼女は俺の方へと手を伸ばし、その指先がふれるより先に、体がふわっと軽くなるのを感じた。
これはフェリスの能力なのだろう。
「ありがとうございます。
私に刻まれた封印の、その全てが解かれました」
彼女は羽ばたくように六枚の翼を広げながら、また深々と頭を下げた。
「いや、こちらこそありがとう。
身体がだいぶ楽になったよ」
「これくらいはさせてください。私とレオンの礼です。……もちろん、これで足りるとは思ってませんが」
礼とか言われても、別に何かを求めてたわけじゃない。もしかしたら、レイに何か考えがあるかもしれないが──
と、思ってたら、レオンが片膝をついて、頭を垂れた。
「キング。俺はあんたをキングとして認める。礼になるかはわかんねえが、もし良かったら、俺の剣をあんたに捧げたい」
なんか急に重い話を持ち出してきた。
「素性のわからない相手に剣を捧げるのは、良くないと思うがな」
俺は間接的に否定をした。冷静になって考えて欲しい。
忠誠を誓うほど、俺に価値があるとは思えない。過去の記憶すらないからな。
「マスターは、キングであるべきだと思います」
すると、隣で地べたに座ったままのレイは、レオンの言葉をしっかりはっきりした口調で肯定した。
え、レイもそんなことを思っていたのか?
「私も、あなた様をキングとお呼びすることに、何の疑問もありません。
あの封印を解ける方が、他にいらっしゃるとは思えませんので」
フェリスも、やけに自然に受け入れてる。
この感じ……俺が寝てる間に何か話したっぽいな。
「ただ……キングとして敬愛するにしても、そろそろ“名前”を決めた方がよろしいのでは?」
急にそんな話を振ってきたフェリスは、まるで聖母のような表情で俺を見ていた。
確かに名前が欲しい、とは俺も思っている。
マスターやキングと呼ばれ続けるのは、まるで俺が"俺"である必要がないような、そんな錯覚を受けるからだ。
「名前……ねぇ」
でも、だからって簡単に決められるもんじゃない。
「“シン”が良いと思います」
フェリスがぽつりと言った。
たしか前にも、彼女はその名前を口にしてた気がする。
でも気になったのはそこじゃない。隣でレイが驚いたように立ち上がったことだった。
戸惑ってるというか、何かを飲み込めずにいるような表情で、フェリスをじっと見ていた。
「どうですか?」
フェリスはレイの反応をわざと無視して、俺に決断を迫ってきた。
「……なんでその名前なんだ?」
前も、そして今回も口にされてしまったら、何か意味があると思うのは当然だろう。
「あなた様に一番似合う名前だと思ったまでです。
……天使の直感だと思ってください」
フェリスは最初に接触した時に、レイの本名を看破していた。
彼女がそのような能力を持っているのは知っている。
……つまり、俺の昔の名は"シン"だったってことか?
色々と頭を巡らせた。
俺が"シン"という名を名乗るべきかどうか。
それを名乗ったことによる利点はあるのか。
逆に言えば、何か不利益を被ることがあるのか。
利点はない。ただの名前だし。
不利益も……今のところはない。ただの名前だからな。
「わかった。俺はこれからシンと名乗ることにするよ。
俺の名はシン・エルヴァディア。……どうだろうか?」
あれ……エルヴァディアって単語は何処から出てきたんだ?
勝手に、まるで当たり前のように、俺の口をついて出た言葉は、何も違和感を感じさせなかった。
レイの方を見ると、口をパクパクさせていた。
「エルヴァディアって知ってる?」
「……あ、いえ……その……」
レイに訊ねると、彼女はわかりやすく挙動不審になった。この様子は答えてくれなさそうだな。
更に問い詰めるのは可哀想だ。
「フェリス、レオン。俺の名をどう思う?」
だから、目の前の天使と悪魔に問い掛けた。
「良いと思うぜ。
んじゃあ、俺にもその『エルヴァディア』って名前をくれよ」
「えっ?」
レオンの言葉に、俺は思わず聞き返していた。
「王の騎士になるんだから、それくらいあったって良いだろ?」
「でしたら、レオンの妻である私は、強制的に『エルヴァディア』の性を名乗ることになりますね」
レオンとフェリスは勝手に盛り上がっていた。
「いやいやいや、何の由来かもわからない性を名乗るつもりなのか?」
俺はその盛り上がりに、敢えて冷水を浴びせる。
「フェリスが良いと思ってんなら、俺は異論ねえよ」
「私はその名の響きが好きですよ。綺麗ですし」
名前って、そんな簡単に決めて良いものじゃないだろ。
……そもそも、エルヴァディアって性を彼らに名乗らせるには、どうしたら良いんだ?
彼らが自称しているだけでは、恐らく意味が無いだろうし。
「……マスター、儀式を行ってください」
レイはボソリと言った。
「えっ?」
「名付けの儀式です」
「いや、そのやり方を知らない」
「……まあ、そうですよね」
彼女は遠い目をしていた。
何もかもやり方がわからなくて、本当に申し訳ない……
「私が儀式用の陣を描きます。それを使ってください」
「……わかった」
俺にはレイの気持ちがわからなかった。
さっきまで挙動不審だったのに、今はその名前の為に協力しようとしている。
その感情が変化した理由を、俺は察することができなかった。
個別情報一覧
名前:シン・エルヴァディア
種族:???
能力
・直感:Lv.MAX
・個別情報一覧
・創造:Lv.MAX
・暗視:Lv.MAX
・解析眼:Lv.MAX
・火魔法:Lv.MAX
・雷魔法:Lv.MAX
・全解乃誓:Lv.ERROR
技術
・格闘術:Lv.MAX