第3章 青い注射と鼓動の音
注射器に満たされた薬剤は、わずかに青みがかった透明だった。
それは「試験段階の抗アレルギー治療薬」——陸の体に合わせて調整された特別なものだ。
「これが、青い……?」
陸は、注射器をまじまじと見つめた。普段の薬剤は無色か淡黄色。青い液体なんて初めてだった。
「青というより、澄んだ空みたいな色だね」
そう言ったのは、隣で立っていた宮坂楓だった。
彼女は、研究者であると同時に、看護の資格も持っているらしい。手際がよく、無駄がない。けれど、彼女の動きにはどこか“優しさ”が滲んでいた。
「副作用の可能性は、ゼロじゃない。けど、これまでの実験データから見て、君の体には適応する可能性が高い。……挑戦してみる?」
楓の問いに、陸はしばらく黙っていた。
アレルギーの薬は、刃物のようなものだ。
効けば命をつなぐが、外れれば命を断つ。
それでも——
「やってみるよ。……生きたいから」
楓の目が、少しだけ潤んだように見えた。
「じゃあ、始めるね。……ちょっとチクっとするよ」
細い針が、彼の左腕の静脈に刺さる。
青い薬剤が、体内へとゆっくり流れ込んでいく。
時間が止まったようだった。
心拍数を確認するモニターが、静かに、規則正しくピッ、ピッと音を立てる。
でも、それよりも大きく聞こえたのは——楓の手から伝わるわずかな鼓動だった。
手袋越しなのに、温かい。
「体の感覚、どう?」
「……なんか、眠くなる。ふわふわして……」
「副作用かもしれない。深くは寝ないで。私、ここにいるから」
楓の声が、どこか遠くから響いた。
薄れていく意識の中で、陸は自分でも驚くような感情を抱いていた。
——ああ、誰かに“任せる”って、こんなに安心できるんだな。
彼女がそばにいるだけで、ほんの少し、アレルギーという牢獄の檻が緩んだ気がした。
鼓動の音が、少しずつ静かに、柔らかくなっていく。
それは、長い戦いの果てに見えた一筋の青空だった。