第九章:触れられない距離
夏の陽射しが強くなるにつれて、陸の体も少しずつ変わり始めていた。
血液検査の結果は確かな進歩を示し、以前よりもアレルギー反応は軽減していた。
しかし、心の距離はまだまだ遠かった。
陸は「触れられること」を恐れていた。
体が弱く、傷つきやすいことはもちろん、心もまた同じだった。
楓がそばにいても、手を繋ぐことすら、彼には時に重く感じられた。
その距離は見えない壁のように、二人の間にあった。
「もう少しだけ、時間をくれ」
陸はそう言いながら、自分の気持ちに嘘をついていることに気づいていた。
楓は無言で陸の手を包み、優しく握り返した。
その温もりは、ゆっくりと陸の心のバリアを溶かしていくようだった。
けれど、ある日突然、陸は倒れてしまった。
激しいアレルギー反応が体を襲い、意識が遠のく中で、楓の声がかすかに聞こえた。
「陸、大丈夫。僕がいる——」
病院のベッドの上、回復した陸は初めて、自分の弱さを素直に受け入れられた。
そして、それは楓との距離を縮める新たな一歩でもあった。
意識が戻った陸の目に最初に映ったのは、楓の真剣な表情だった。
彼の手がずっと陸の手を握って離さなかった。
「ごめん、無理させてしまって……」
陸は弱々しく呟く。
楓は首を横に振り、優しく微笑んだ。
「謝ることなんてないよ。君が無理しないように、これからはちゃんと見守るから」
その言葉に、陸は胸の奥が熱くなった。
ずっと遠ざけてきた“人との繋がり”が、こんなにもあたたかいものだったとは。
「もう、触れられることも怖くないのかもしれない」
陸のその言葉に、楓は小さく頷いた。
「ゆっくりでいい。君のペースで、少しずつ」
その日から、陸は少しずつ、楓の手を握る時間を増やしていった。
いちかも二人のそばで嬉しそうに尻尾を振っている。
触れ合うことで生まれる信頼と安心感。
それは陸がずっと欲しかったものだった。
日々がゆっくりと流れていく中で、陸はようやく自分の気持ちを整理し始めていた。
心の中にあった見えない壁は、少しずつ薄くなり、楓やいちか、そして自分自身に向き合う勇気が湧いてきたのだ。
ある夏の午後、二人は公園のベンチに座っていた。
楓がそっと手を差し出すと、陸はためらいながらもその手を取った。
その触れ合いは、もはや恐怖ではなく、信頼の証となっていた。
「こんなに近くに感じられるなんて、昔は思いもしなかったよ」
陸がぽつりと呟く。
楓は優しく微笑み、「これからもずっと、一緒に歩いていこう」と答えた。
その瞬間、いちかが二人の間に顔を出し、尻尾を大きく振った。
彼女もまた、二人の絆を祝福しているかのようだった。




