第11章 マスク越しのキス
夕暮れ、研究室の窓際に差し込む光が、薄く色を変えていた。
長い実験の合間、陸と楓は向かい合って座っていた。
この数週間、ふたりの距離は確かに近づいていた。
名前で呼び合い、時には笑い合いながら。
だけど、ずっと“越えられない壁”があった。
それはマスク。
陸にとっては命を守るバリア。楓にとっては彼に近づかないための礼儀。
でも、ふたりとも、もう気づいていた。
心が、もうそのバリアを超えていることに。
「ねえ……陸」
楓が小さな声で言った。
「私、どうしても君に……触れたくなった」
陸は静かに立ち上がり、彼女の前に歩み寄った。
「僕も……君を感じたい。命の危険があっても、本当の意味で、生きてるって思いたいんだ」
沈黙の中、ふたりは手を伸ばし、
そっと、それぞれのマスクを外した。
空気が触れる。
何のバリアもない世界で、初めて“生身の自分”同士が向き合う。
「もし、これで……僕が倒れたら」
「いいよ、私が一緒に倒れる」
楓の言葉に、陸の瞳が潤む。
そして——
ふたりの唇が、深く、確かに重なった。
それは、決して軽く触れるものではなかった。
迷いも、恐れも、欲望も、すべてを抱きしめるような厚いキスだった。
陸の皮膚は、反応しなかった。
薬の効果か、心の変化か。それはわからなかった。
ただ——
“触れても大丈夫”という奇跡が、確かにそこにあった。
呼吸を整えるように、ゆっくりと離れたふたりの間には、
もうマスクも、距離も、壁もなかった。




