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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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64 契約の終わり、永遠のはじまり

 静寂がすべてを包んだ。

 女神の去った玉座は、空虚の中に、なお威厳を保っていた。


 アレヴィシアの消えた空間を、ファナは膝をついたまま、しばらく見つめていた。

 やがて、そっと立ち上がる。その身を包む刺青は、彼女がこの世界に現れたときと同じ青白い光をまとい、淡く、規則正しく明滅していた。


 エリオットは、まだ膝をついたまま、彼女を見上げる。

 ファナは、振り返って微笑んだ。


「さあ、エル……今度は私の番です……あなたが――私をほんとうの女神にしてくれるのでしょう?」


 エリオットはファナの美しさに、息を呑み、返事をすることもできない。

 既に浮世を離れてしまったような神聖さの前に、ただ言葉を失っていた。


 動けない彼の手を引いて立たせると、ファナの手のひらから魔力があふれ出し、エリオットの身体に施された魔法陣の刺青を伝う。


 そうしてやっと、エリオットは我を取り戻したのだった。


「うん……じゃあ、はじめようか。」


 エリオットは彼女を抱き寄せると、自分たちの足元に魔法陣を展開した。


 それは、八百年前の禁術をもとに彼が設計したもの。

 ファナを女神とし、自らを贄として捧げ、世界の境界にて永遠の魔力循環を成す――完全なる封印の術式。

 一度発動させれば自動的に、必要な術式が順次展開される。

 どの段階まで自我が保てるかは未知数だったため、そう設計した。


 術を発動すればすべてが終わる――


「よし、魔法陣も正常に作動しているし、構文も間違いない。

 僕の理論が間違っていなければ、僕たちは永遠に循環させ続ける存在となる。」


 エリオットは言ってから、少し感慨深げに押し黙り、ふと思いついて改めてファナに正面から向き直った。


「ファナ……どうか、君のそばにいさせてほしい。

 贄であっても、神の座に届かなくても――僕は、君を愛している

 この先、時の果てまでも。君だけを、愛し続ける」


 僕たち、結局“婚姻の儀”はできなかっただろ、と笑うと、ファナも頬を染めてうなづいた。


「エリオット……

 あなたはずっと、私を見つめてくれました。

 だから今度は、私があなたを守ります。

 永遠の果てまで、あなたを愛します。――あなたが私の神です」


 エリオットが軽く目をつぶり、ファナに顔を寄せると、ファナも顔を上向けて目をつぶる。


 彼女の唇に、自分の唇を重ねるだけのキスをして、エリオットは顔をそっと離した。


「ファナ――、ファナトゥナカ……好きだよ。愛してる――今まで、ありがとう……」


 エリオットも、この上なく優しく微笑んで、彼女を抱きしめる。


「エリオット――、私も、愛しています。これからも、よろしくお願いいたします。」


 彼の胸に頬を寄せて、ファナも幸せそうに微笑んだ。


 エリオットは彼女と両手をしっかりと繋ぐと、よどみなく起動の術式構文を詠唱する。


「《再構成術式起動──対象:聖女〈ファナトゥナカ〉》

 《神格転移構文展開、階層接続:第零位「存在座標」》

 《贄素体確定:エリオット・ヴァルトリア。魔力流束、臨界状態に到達》

 《共鳴媒質:双方向循環型思念エネルギー》

 《変換式確立──感応位相安定化中……》

 《全域構文、問題なし。女神降臨シークエンス──実行》」


 ファナの青白い魔力の光が、魔法陣に走り、複雑で数多い術式が次々と発動してゆく。

 もうこの連鎖は止めることはできない。

 完全でも、不完全でも、ファナはこの世界に魔力炉としてあり続けるし、成功すればエリオットも永遠に彼女と共にある。ただそれだけだ。


「知ってました?先ほど言った『好き』と『愛してる』――初めて言ってくれたんですよ?」


 魔法陣の光の中で、ファナがそっと囁いた。


「そう――だったかな?じゃあ、もっと言えばよかったね。」


「――まだ遅くないですよ。時間はあります。」


 微笑むファナの額に自らの額を付け、エリオットは囁いた。


「じゃあ――僕は残りの時間、ずっと君に囁き続けるよ

 ――愛してる、あなたを誰よりも愛している。何よりあなたが好きだ――」


「エル……私も愛しています。あなたがいるから私は私でいられる――

 今ではそう思うんです……。本当に愛しています……」


 二人の身体が再構成され、足元からゆっくりと融合していく。


「愛してる――」


「愛しています――」


 光に包まれ、二人の意識が消えるその時まで――、


 その空間には、二人の愛の囁きが響き続けた。



 +++++




「ふぅ、寄る年波には勝てんな」


 アレクシスは自らの得物――大剣をオルディウスの喉元に突きつけて言った。


「まだ40代でしょ、何を言ってるんですか」


 リゼリヤーナも長弓に魔力の矢をつがえて、オルディウスの眉間を狙って引き絞っている。


「エルフの40代と一緒にしないでくれないか」


「あら、人間の基準で申してましてよ?」


 二人は軽妙にかけあうが、その刃先に隙は一切ない。

 オルディウスは四肢をもがれ深手を負い、退路を断たれ絶体絶命の状態にあった。


「クソっ……女神との接続が断たれなければ貴様らごときに!!

 八百年の叡知が、貴様らのような凡庸な王に絶たれるとは!」


「確かに私は凡庸だが……我が息子は凡庸ではなかったようだぞ?

 ほら、感じられぬか?旧き女神のいとまごいが。新しき女神の息吹が――お前には感じられぬか……」


「哀れですわね、オルディウス。

 この私ですら――肉体を変えられ、封印の贄として長らく囚われていたこの私ですら、

 女神の最期の想いを、確かに感じ取れましたのに。

 自らの女神に、最後の挨拶すらしてもらえないなんて……

 ……せめて、せめて一言でもかけていただけたら、救われましたのにね。ふふ、残念ですわ」


 アレクシスとリゼリヤーナの言葉に、オルディウスの表情が憤怒から驚愕へと変わる。


「な……なんだって……女神が……アレヴィシアが……逝ったというのか?

 認めん、認めんぞ!!彼女が逝ったなど、私に一言も告げずに――」


 その瞬間、アレクシスの大剣が彼の首を落とし、首が落ちる前にリゼリヤーナの矢が額を貫いていた。


「旧世界の傀儡師も――あっけないものだな……」


「それもこれも、あなたの優秀な息子さんのおかげですよ。

 女神と接続されたままなら――私たちももう少し苦戦していたでしょう。」


 二人が――、いや、上層に残っていた者たちの見ている前で、オルディウスはこと切れると、その身体は黒い砂のように崩れて、やがて見えなくなった。


 張り詰めた沈黙を破ったのは、鈍い音だった。

 膝をつく王の甲冑が、床に重くぶつかった音だ。


「ふぅ……くたびれた。歳のせいばかりとも言えぬな……」


「……ええ。運動不足、でしょう?お腹周りが、なかなか立派にあらせられますわ」


 苦笑しながら額の汗をぬぐうアレクシスに、リゼリヤーナがそっと寄り添う。


 その時――アレヴィシアの玉座の前、夜の私神殿へと続く重厚な扉が、わずかにきしみを立てて動き出した。


 やがて音もなく、扉は静かに左右へと開かれ、その奥から、ふわりと――白い光の蝶が一匹、また一匹と舞い上がる。

 蝶は傾きかけた午後の陽射しのなか、夕暮れへと向かう広間を、夢のように優雅に飛び交った。


「ファナ様の……蝶?」


 リリスが手を差し伸べると、その指先に止まり、数回羽をはばたかせるとふっと見えなくなる。


 やがて、レオナルトとリリス、侍従たち、そしてミーナは柱の陰から出てきて、地下の神殿への入り口の周りへと集まった。


「ファナ様が――私たちを導いているの?」


 リリスが蝶を目で追いながら言うと、レオナルトもゆっくりとうなづく。


「……ああ、エリオットは――成し遂げた……のか?」


 地下へと行こうと一歩踏み出そうとして、レオナルトはふと父王へと振り返る。

 彼らを認めたアレクシスは、ふと目を細め、疲れを湛えた微笑を浮かべて言った。


「新しき女神は、お前たちをお呼びだ。――行っておいで」


「……父上も、ご一緒に」


 レオナルトが一歩踏み出し、そう声をかけると、アレクシスは静かに首を振り手で遮った。

 その仕草は、一国の主ではなく、老いた父としての手だった。


「いや……私は、もうよい。少し、休ませてもらおう……

 ここで、お前たちの帰りを待たせてくれ」


 レオナルトは、ひと呼吸だけ、その場に立ち止まる。

 けれど、それ以上は何も言わず、ただひとつ深く頭を下げ、リリスや侍従たちを伴って、蝶に誘われて地下へと降りて行った。

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