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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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62 契約は今もここに、聖女と王再び

「よし、リリス。エリオットの話だと、オルディウスが感知してこちらに転移するまで猶予は数分だ。

 とはいえ――落ち着いて、確実にいこう」


「はい、レオさま!」


 リリスは持ってきた聖杖をミーナから受け取ると、しっかりと握りしめる。


「俺が術式の展開と詠唱を担う。リリスは俺の支援と、リゼリヤーナ様の各循環系統及びバイタルサインを常時監視してくれ。

 大丈夫だ。安心しろ。リオットが考え抜いた手順だ。リリスは打ち合わせ通りに指示を出してくれればいい。」


レオナルトの言葉に、リリスは少し緊張を自覚して、照れた顔になる。


「ヴェイルとセルジュはオルディウスの襲来に備えて警戒を怠るな。

 陛下は……どうか、リゼリヤーナ様の御手を取り、魔力で、呼びかけ続けてください。それが彼女の一番の励ましになるかと。」


「相分った。」


 アレクシスは、まるで触れることすら畏れ多いかのように、そっとリゼリヤーナの両手を包み込んだ。

 掌から掌へ、静かな魔力のゆらぎが伝わっていく。


「リズ……長らく待たせて悪かった。やっとそなたを見付けられた――。」


 王は目をつぶり、その言葉の続きは胸の内でのみ、つづられた。


「リリス様。背後は、私が守ります。――必ず。」


 ミーナがリリスの後ろに付き従う。



 全員の配置が済むと、レオナルトは壇上まで登ると深く深呼吸をして、両手をリゼリヤーナの上方へと突き出す。


「《構文展開 対象 アレクシス・ヴァルトリア聖女 リゼリヤーナ》」


 レオナルトの詠唱に呼応し、リゼリヤーナの頭上に白く輝く魔法陣が静かに展開されていく。


 後方に控えるリリスは、場全体に自身の聖魔法の魔力を薄く張り巡らせ、

 魔術の進行状況に応じて魔力を補給し、同時にリゼリヤーナの状態を細かく監視しはじめた。


 やがて魔法陣が展開し終えると、リリスは分析構文を発動し、静かに照査する。


「レオ様、第一命令から第四命令の構文および、魔力状態確認しました。魔法陣正常です。」


 リリスの声にうなづくと、レオナルトは手を大きく振り、空中の魔法陣を制御し、ゆるやかに足元へと収めると――レオナルトは、静かに詠唱を開始した。


「《制御層接続位相の乖離を確認。対象との精神同調を断絶せよ――“神核リンク、遮断”》」


 魔法陣が一瞬まばゆく光り、場に魔力波が走る。

 その場にいた者が、一瞬自らの魔力に違和感を感じた。


「魔力低下確認!補助回路および、増幅回路を展開します!」


 リリスは叫ぶと、エリオットから指示されていた通りに術式を展開する。

 レオナルトの魔法陣の外側に、もう一重、ファナの刺青に似た魔力回路が描かれる。

 そして離れた対象から魔力を引き出す。


 リリスは、あらかじめ渡されていた構文用紙を迷いなく展開する。そこには、対象をマーキングするための魔力が練り込まれていた。

 即座に見覚えのある赤い魔力が魔力回路を流れる。


 ――遺跡でオルディウスを刺した後、やけに丁寧に血をぬぐっていると思ったが……

 まさか奴の魔力を拝借してやろうなんて……

 こちらの術を強化しつつ、あいつを削るとはな……まったく、我が弟ながら油断ならん。


 レオナルトは、心の中で皮肉混じりに笑った

 やがて魔力が安定すると、レオナルトは次の詠唱へと移る。


「《第四重構文より展開。対象封印コードを照合、共振干渉を開始――“封印陣式、解析解除”》」


 レオナルトの発声に呼応して、対応する構文が明滅し、複数の術式にまたがる反応が連鎖的に起動してゆく。

 この構文はリゼリヤーナを束縛している封印を残らず解除してゆくものだった。


 ――俺には何が起こっているのか、半分も理解できない……でも、俺の詠唱だけで正確に魔法が発動するように設計されていることは分る……

 エリオットなら、これを状況に合わせてリアルタイムに組んでいくのだろうな……

 本当に――惜しいことよ……あいつをこんな風に使い捨ててしまうとは――我が国の損失だ……


 心の中で呟いているうちに、リゼリヤーナの状態を確認していたリリスが声を上げる。


「封印解除確認!残留構文の有無を確認――ありません!

 次の段階へ移行できます!!」


 リリスの合図で、レオナルトは次の詠唱を始める。


「《記憶保持領域へ、微細な精神波動を誘導し、刺激を伝達――“眠りの霧、散華せよ”》」


「陛下、意識が戻ります!積極的に呼びかけてくださいっ!!」


 リリスの声掛けに、アレクシスの表情が険しくなり、額に汗がにじむ。彼も自らの魔力を、必死にリゼリヤーナに送っている。

 リゼリヤーナの身体が、痙攣を起し始め、玉座から大きく傾いだ。


 レオナルトはすぐに生命維持に関する詠唱を開始した。


「《生命環の流転を模倣、肉体構造に再活性信号を伝達――“原初の律動、再帰せよ”》」


 これで届かなきゃ、どうすればいい……!


 レオナルトが祈るようにリゼリヤーナに視線を上げると――

 ……ちょうど彼女が痙攣を止め、アレクシスの腕の中で――ゆっくりと、目を開けるところだった。


 エリオットが残した構文の詠唱がすべて完了し、魔法陣はゆっくりと光を失っていった。

 だが――リリスには、まだ一つ仕事が残っている。


「陛下、失礼っ! 魔力の源の穴を、簡易的にふさぎます!」


 聖杖を高くかざし、ひと振りする。


「《魔の器に穿たれし穴よ、いま閉じよ。

 再び巡るべき流れの道を、祝福の光で満たさん――

 “聖癒の環、再環せよ”》」


 詠唱と同時に、聖魔法を象徴する白い光があたりを満たし、

 その光は静かにリゼリヤーナの中へと収束していった。


 彼女の表情が柔らかいものへと変わり、その視界ははっきりとアレクシスを捉える。


「リズ、私だ……アレクシスだ……わかるか?」


 王は、不安を押し隠すように、その瞳をのぞき込むと、リゼリヤーナははんなりと微笑んだ。


「はい、殿()()……ずいぶんお年を召したみたいですが――わかりますよ。」


「もう殿下じゃない……即位したのだ……成人した息子もいる……

 お前を差し置いて私は――」


 アレクシスが自責の念から言葉に詰まると、リゼリヤーナは優しく微笑んだまま、彼の頬に手を当てる。


「ずっと――、魔力であなたを感じておりましたので、ある程度は存じております。

 随分と長い間――御元を離れましたこと、お詫び申し上げます。

 あなたの御側にいられなかったこと、口惜しく思いこそすれ――

 王太子というお立場、致し方ないと、私は理解しておりますゆえ……」


「よい……そなたは、私を責めてよいのだ……」


 アレクシスの瞳が、かすかに揺れる。

 王の仮面が、いま、音もなく崩れ落ちようとしていた。


 リゼリヤーナは、アレクシスに身体を預けたまま、今度は少し離れた所に立つレオナルトとリリスに目をやった。


「あなた方が――アレクシス様の継嗣(けいし)さまですね?」


 レオナルトとリリスが居住まいを正すと、リゼリヤーナは少し申し訳なさそうに眉根を下げた。


「御父上の聖女とは……きっと、心中複雑なものもあったでしょう。

 それでも、私を解放してくださり、ありがとうございました。

 こうして殿下と再びまみえましたこと――心より、うれしゅうございます。」


「いえ――」


 レオナルトは何か続けようと思ったが、言葉が続かなかった。

 聖女でない母から生まれた自分もまた、加害者のような気がしたからだ。


 その時、異常な魔力波……もうそれは下から突き上げるような、魔力と言うよりも物理的な力がその場を襲った。


「なっ、何事だ!」


 リゼリヤーナをかき抱き、かばいながら、アレクシスがレオナルトに問いただした。


「女神との――本格的な戦闘が始まったのでしょう……となると、じきに……」


 レオナルトが広間の入口の方へ顔を向けると、そこには黒衣の男――オルディウスが、禍々しい魔力を、赤くオーラのように纏いながら現れた所だった。


「貴様らぁぁぁっっ!!」


 その怒声だけで、広間の空気が破裂した。

 柱がきしみ、壁が震え、魔力というよりも、呪詛そのものが押し寄せる。


 術式を詠唱する者の、魔力を纏った発声法で放たれた怒声が、空気だけでなく床や柱をビリビリと震わせる。

 それだけでも彼がいかに怒り狂っているかを如実に示していた。


「私の女神に何をした! 封印の贄まで解き放ちおって――

 この世界を滅ぼす気か!!」


 オルディウスが怒号を放ち、自身の背後に幾本もの鋭利な氷柱を出現させる。

 それらは容赦なく、レオナルトたちめがけて放たれた。


 レオナルトはとっさにリリスをかばい、防御壁を展開しようとする――だが。


 氷柱が届くより早く、二人の前には蔓で編まれた強靭な防壁が現れる。

 氷の槍は蔓にからめ取られ、締め上げられ、無残に砕け散った。


 リゼリヤーナが腕を突き出して、無詠唱で防御壁を展開していた。


「アレクシス様の御子ならば、我が子も同然。その嫁御(よめご)はおめでたと聞きましたゆえ――妊婦はいたわってくださいまし」


 アレクシスの腕の中から、ゆっくりと、しかし確かな足取りでリゼリヤーナが立ち上がる。


「な、なぜリズがそれを……! 本当なのか、レオナルト!」


「はい。ファナ聖女が、そう申しておりました」


 レオナルトの返答に、アレクシスの表情がぱっと明るくなる。

 そしてすぐに、まるで何かに背を押されるように、彼もまた勢いよく立ち上がった。


「そうか、そうか――それは実に、めでたい話だ。ならば、なおさら……この落とし前は、我々がつけねばなるまい。のう?」


「ええ、参りましょう、アレクシス様。

 レオナルト様、リリス様。ここからは私たちにお任せを。どうか、安全な場所へお退きくださいまし」


「オルディウスとやら――聖女を奪い、神を騙り、我らの民を弄んだ罪。もはや見逃す理由などない。貴様には、この私が直々に引導を渡してやろう!」


 アレクシスが鋭くオルディウスを見据えると、その怒気が、さらに荒れ狂った魔力となって膨れ上がる。


「なぁにが『許しがたい』だァッ!! 貴様ら王族が、八百年も安穏と玉座に座っていられたのは――誰のおかげだと思っている!? すべてはこの私の采配によるもの!

 犠牲?対価? 当然の話だろうがァ! 勝手なことを……!」


 咆哮と共に、オルディウスは無数の氷槍をアレクシスめがけて放つ。

 だが――その半数は、リゼリヤーナが瞬時に展開した防御障壁に阻まれ、

 残りの全ては、アレクシスの剣さばきによって見事に叩き落された。


 いずれの刃も、彼らのもとには届かない。


 レオナルトは、この場は二人に任せるべきと即座に判断し、リリスをかばいながら、ミーナやヴェイルたちとともに柱の陰へと退避した。


 その間にも、リゼリヤーナは魔法で長弓を召喚すると、魔力の矢をつがえては次々とオルディウスに射かけていく。

 矢は蒼白い軌跡を描き、鋭く空気を切り裂いた。

 そして、アレクシスもまた、年齢を感じさせぬ鋭い踏み込みで斬り込みをかける。


 ――かつて契約を交わした聖女と王が、再び肩を並べて戦う。


 その瞬間、静寂は崩れ去り、祭殿は戦場と化した。

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