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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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59 原初の森、最奥へ

 朝もやの立ちこめる中、セレノア宮の正門前は、にわかに騒がしさを増していた。


 レオナルト直属の近衛騎士団から、遺跡探索にも随行した精鋭十二名が再び召集され、出陣の時を今か今かと待ち構えている。


 原初の森の内部では、馬の移動は可能だが馬車は進めない。

 リリスはレオナルトと、ファナはエリオットと、それぞれの愛馬に同乗する。どうしても同行すると言い張ったリリスの侍女ミーナは、レオナルトの侍従ヴェイルと相乗りとなった。


 一方、エリオットとファナの側近はごくわずかだ。侍従セルジュと、護衛の騎士が一人だけ随行する。


「おはよう。レオナルト、リリス嬢。今日も頼りにしているよ。……教えた術式の詠唱練習は、しっかり済ませてくれた?」


「もちろん、万全だぞ。」


 玄関から姿を現したエリオットに、レオナルトが短く頷きを返す。


 レオナルトもエリオットも、王子としての正装に身を包み、リリスとファナもまた、聖女として最高位の装束をまとっていた。


 今回の遠征の真の目的を知るのは、彼ら四人だけである。

 聖域とはいえ、長らく打ち捨てられた『女神の祭殿』へ赴くのに、まるで戴冠式のような正装――最初は騎士や使用人たちも首を傾げたが、「女神に関わる重大な儀式を行う」と説明されれば、それ以上問いただす者はいなかった。


「《光の御使(みつかい)よ──吾が子らを守り、悪しき牙を退け、疲れを知らず、目は霞まず、征く子らを守り給え》」


 エリオットに従って玄関の階段を下りる前、ファナは静かに祝詞を唱えた。柔らかな声が空気に溶け、聖なる加護の言葉が紡がれていく。


 その瞬間、光の粒が周囲に生まれ、朝もやの中をふわりと漂い始める。

 霧の白に溶けこみながら、金銀に煌めく無数の光粒が、随行の騎士たち一人ひとりの肩や額にそっと降り注いだ。


「おお……」


 どよめきが起こる。騎士たちは驚きつつも、身体を揺らして効果を確かめ、じわじわと広がる力の流れに目を見張った。

 重い鎧の下に満ちていく活力。視界が澄み、空気すらも軽く感じられる。


「さすがファナ様……」


 セルジュが思わず感嘆の声を漏らす。

 エリオットは小さく笑みを浮かべ、隣に立つファナにだけ聞こえる声で囁いた。


「上出来だよ、ファナ。素晴らしい加護だ。」


 ファナは控えめに微笑み返した。


「皆様の無事のためですから。」



 いよいよ旅立ちの時が来た。


 騎乗する前に、ファナはセレノア宮の侍女たち一人ひとりと抱擁を交わし、その小さな手でそっと祝福を授けていく。光の粒が指先から零れ、侍女たちの髪や袖口に静かに降り積もった。


 最後に、一番世話になった侍女長と向き合った。短い間だったが、仕えてくれた彼女は、ほんのわずかに眉根を下げると、深々と頭を垂れる。


「ファナ様……わたくしどもは、皆、奥様の侍女でございます。いつまでも……ファナ様のお帰りをお待ちしておりますよ。」


「……ええ。ありがとう。世話になりました。」


 侍女たちは、まだファナが帰らぬ旅路に向かうことを知らない。

 だが侍女長は、ここ連日の様子から、うっすらと何かを感じ取っているのかもしれなかった。ファナはそれ以上、何も言えなかった。


 そのまま、エリオットに手を取られて馬上へ引き上げられ、横座りに落ち着く。

 エリオットはそっと囁いた。


「あんなに厚い祝福を与えるなんて……君が女神になったって知ったら、侍女たちは全員出家して、いずれ聖人に列せられちゃうかもね?」


「あら、それは困りますね。彼女たちには、幸せな人生を歩めるような祝福を授けましたのに。」


 小さな冗談が、わずかな緊張を和らげた。

 だが朝もやの向こうに広がる森の影は、確実に二人を待っていた。


 やがて一行は、セレノア宮の裏手から森へと入って行った。



 森の中は、ここ四十年ほど人の手が入っていない。

 木々は鬱蒼と茂り、そこかしこに魔物の気配が漂っていた。だが──これも祭殿の魔法なのだろうか。いにしえの小道は不思議なほど明瞭に残されていた。厚い下草に覆われることもなく、まるで目に見えぬ誰かが今日まで整え続けてきたかのように、彼らをまっすぐ導いていく。


 分かれ道のたびに、上古神聖文字を刻んだ道標が静かに立っていた。

 レオナルトやリリスの目には、ただの模様にしか映らない古びた立石――だが、エリオットの目には、それは確かな文字列として読み取れた。


「右だ。このまま進めば、祭殿に至る。」


 エリオットが迷いなく指示を出すたび、騎士たちは粛然と従った。


 ファナとリリスは、広範囲に聖魔法を展開し、結界のように隊列を守る。

 それでも時折、結界の隙間を縫うように魔物が接近してきたが、騎士たちが素早く剣を抜き、露払いを果たしていく。


 朝もやが次第に晴れてゆく。

 差し込む木漏れ日が揺れ、鳥たちの声が微かに響き始めた。


 やがて、太陽が真上に差しかかる頃──一行は、不思議な広場へとたどり着いた。


 木立が不自然に途切れ、円形の空間がぽっかりと開けている。地面は平坦に均され、青々とした芝が一面を覆っていた。

 遠くの梢で、見たこともない色彩の小鳥が一羽、ひくく啼く。


 静寂と神秘。

 誰もが無言のまま、馬の歩みを止めた。


 広場の中央にそびえ立つのは、白亜の神殿――『女神の祭殿』だった。


「……何百年も前の――エルフの神殿様式だ。」


 エリオットが感嘆と共に呟く。


「何百年も前だと? 確かに、エルフは八百年前にこの大陸を去ったが……

 あいつ……オルディウスの魔力か?」


 くすみ一つなく、塵一つなく。まるで今しがた建てられたばかりのような祭殿の外観に、レオナルトが驚きの声を上げる。だが、エリオットは首を横に振った。


「いや。あいつの気配はしない。

 これは、もっと古い……より原始的な術式で保全されているみたいだ。」


 エリオットは試しに、土魔法で泥団子を作り出し、白亜の壁へと投げつける。

 だが、泥が壁に触れた瞬間、わずかに光のゆらめきが生じ──泥は滑り落ち、瞬く間に地面へ吸い込まれていった。壁はまるで、初めから何も触れていなかったかのように清浄なままだった。


「……自己浄化式か。完全に閉鎖された結界領域……アレヴィシアの居城として、ふさわしい造りだ。」


 エリオットが低く呟くと、後方のセルジュが緊張をにじませた声を漏らす。


「まるで、生きているみたいですね……」


 誰もそれに答えなかった。

 祭殿はただ、静かに彼らを迎え入れようとしているようだった。


「で、いったいどこから内部に入れるんだ?」


 後列にいたレオナルトが問いかける。

 エリオットとファナは馬から降り、慎重に祭殿の正面へと歩を進める。

 レオナルトとリリス、そして騎士たちも次々と下馬し、二人の背に続いた。


 エリオットが緩やかな階段を上がり、正面の巨大な扉に手を掛ける。

 しかし──押しても引いても、びくともしなかった。


「正面からは無理か。……なら──」


 周囲に視線を巡らせ始めたエリオットの隣で、ファナが静かに大扉へ手を当てる。

 その瞬間、鈍い重音が内部から響いた。魔力のうねりと共に、封じられていた何かがゆっくりと解かれていく。

 蝶番がかすかにきしみ、大扉はひとりでにゆっくりと、外側に向かって開かれていった。


「……まるで、俺たちを歓迎しているようじゃないか。」


 レオナルトが、わずかに震えそうな心を奮い立たせるように言った。


「歓迎してくれているならありがたいけど――さて……レオナルト、リリス嬢。覚悟はいいかな?」


 振り返ったエリオットに、レオナルトもリリスも静かに頷く。

 それぞれの決意が、もう後戻りできぬところまで固まっていた。


「よし。騎士隊は半数を祭殿周辺の哨戒に残す。残りは内部に同行して通路の警戒にあたれ。

 ヴェイル、それからセルジュは同行許可だ。……ミーナは、どうする?」


 エリオットが視線を向けると、侍女のミーナはわずかに唇を噛んだあと、きっぱりと答えた。


「行かせてください。お嬢様の御側にいたいです。」


「わかった。だが、絶対に無理はしないこと。」


「はい!」


 ミーナの声は少しだけ震えていたが、その足取りは迷いなくリリスの後ろについた。

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