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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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57 契約の王子たち

「陛下、『原初の森』の『女神の祭殿』へ遠征する許可を賜りたく存じます。」


 国王執務室。

 父王の執務机の前に立ったレオナルトは、まっすぐにその眼差しを向けた。


「……『女神の祭殿』などへ行って、何をするつもりだ?」


 第三十二代国王アレクシス・ヴァルトリアは、手にしていた書類を静かに机上に置くと、息子を鋭く見据えた。

 彼は息子たちとよく似た整った顔立ちをしていたが、年齢以上に髪に艶はなく、刻まれた皺の一つ一つに、長年背負ってきた懊悩の深さが滲んでいた。

 聖女を失い、それでも王統を繋ぐために歩み続けてきた男の顔だった。


 レオナルトは小さく息を整え、表情を崩さぬよう慎重に口を開く。


「――ある女性が、『女神の祭殿』にて長年囚われていることが判明しました。現地調査を実施し、もし事実であれば、直ちに救出を行いたく存じます。」


「……王太子自らが動くほどのことか?」


「はい。私の聖女、エリオットとその聖女も同行します。

今回の探索には、高度な術式学の理解と、いかなる魔物をも屠る武力が不可欠です。

さらに――祭殿には、王国成立の黎明期に関わる重大な機密が隠されている可能性があると見ております。迂闊に他の者へ委ねるわけには参りません。」


「……ふむ。」


 アレクシスはしばし息子を見つめ、顎に手を当てて思案の素振りを見せた。


「――証拠は? 王太子自ら動く以上、それ相応の根拠が要ることはお前も理解しておろう。」


 想定内の問いだった。レオナルトは、あらかじめ用意していた書類を恭しく差し出す。


「こちらを。エリオットの聖女が誘拐された際に押収されたものです。」


 国王は書面を受け取り、先頭の文字に目を止めた瞬間、わずかに表情を強ばらせた。


「――これは……」


「――リゼリヤーナ。陛下の聖女に関する文書です。この押収物をきっかけに、各方面から慎重に調査を進めた結果――『女神の祭殿』に彼女が囚われている可能性が浮上しました。

不確かな段階で陛下を煩わせぬよう、確証が得られるまで報告が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。」


 国王は、しばし声もなくその書類を見つめ続けた。

 何度か、何か言いかけるように口を開いたが、いずれも言葉にはならなかった。

 そしてついに、言葉にすること自体を諦めるように呟いた。


「……わかった。許可しよう。――気を付けて行きなさい。」


「はっ。ありがとうございます。」


 レオナルトは内心で安堵の息をつきながら、静かに頭を下げた。


 だが、そこで国王は再び口を開いた。

 今度は父としてではなく、かつて契約の儀を交わした王子としての顔を覗かせていた。


「レオナルト……ここから先は、父でもなく、国王でもなく――“契約の王子”として問う。

……お前たちは、この制度を……終わらせるつもりなのか?」


 頭を上げたレオナルトは、射殺されそうな父の強い視線に思わず生唾を呑んだ。

 それでも逃げずに居住まいを正し、静かに背筋を伸ばす。


「……父上。私もまた、王太子ではなく、“契約の王子”としてお答えいたします。」


 一拍置き、覚悟を込めて続ける。


「私たちは――この旧き制度を終わらせます。そして、新たな秩序を築くつもりです。

 父上のように、聖女を制度に奪われる王子を、もう誰も生み出さないために。

 国家の都合で搾取される聖女を、もう誰一人として生み出さないために。」


 アレクシスの瞳がわずかに揺れる。


「そのために、エリオットと彼の聖女が進むのです。あの二人ならば、きっと成し遂げる――私はそう信じています。」


 そして、さらに静かに事実を告げる。


「……それに、もはや時間も残されてはおりません。

 女神の崩壊は、早ければ数か月、遅くとも数年以内と見ています。

 もし崩れれば、王国の問題では済まず、この大陸、いや、世界全体に災厄は及びましょう。」


 重い言葉の隙間に、わずかな微笑を添えて結んだ。


「――もっとも。新時代が訪れても、貴族も民も、気付くことはないでしょう。

 これまで通り王子は生まれ、聖女は召喚され、王統は続く。

 ただその陰に、奪われる王子も、搾取される聖女もいない――それだけのことです。」


「そうか……エリオットが……」


 アレクシスは目元に手を当て、しばし黙り込んだ。

 その肩にかすかな震えが走るのを、レオナルトは見ていた。


 やがて、ゆっくりと顔を上げる。

 絞り出すように、静かな声が続いた。


「――相分かった。新時代のためにも、レオナルト。お前と、その聖女は――必ず、無事に戻ってくるのだ。」


「……はい。もちろんです。」


 レオナルトは静かな微笑を浮かべ、再び深々と頭を垂れた。





 一方その頃、神殿を訪れたエリオットは、防音魔法を自ら展開し、外界からの干渉も、内部の情報漏洩も遮断した応接室で、セラフィオスと対峙していた。


「セラフィオス。僕たちは、数日以内に『原初の森』の『女神の祭殿』へ向かう必要が生じた。

形式上にはなるけれど、正式にあなたの許可を得ておきたい。」


「……理由を伺っても?」


 セラフィオスは、部屋にかけられたあまりにも厳重な魔法にわずかに眉をひそめながら、慎重に問い返す。


「うん。――契約の儀の時、ファナが誘拐されたよね?あの時に押収された資料の中から、興味深いものが見つかってね。」


 エリオットは穏やかに、だが容赦なく告げる。


「リゼリヤーナ――アレクシス陛下の聖女が、『女神の祭殿』に囚われていることが判明したんだ。

祭殿は神殿の管轄とはいえ……あなた自身も、内部までは立ち入ったことはないのでは?」


 セラフィオスの顔が僅かに強張る。


「具体的な資料は、今はレオナルトが持って行っているけど――多方面から検証を重ねた上での、確かな情報だよ。

僕たちは、リゼリヤーナを陛下のもとへ返したい。それだけだ。」


 ファナの誘拐を、神殿内部の者が主導していたという事実だけでも、神殿の立場は危うい。

 それに加え、国王の聖女までもが、神殿管轄の施設に囚われていたとなれば――。


 セラフィオスは青ざめた顔で、ただ頷くしかなかった。


「……わかりました。殿下の立ち入りを許可いたします。

 ――しかし、それだけのために、ここまで厳重な防音魔法を施したわけではありますまい。

 ……他に、何か?」


 エリオットはしばし黙し、それから静かに息を吐いた。

 そして、これまで威圧的に組んでいた足をほどき、ゆっくりと背筋を伸ばす。深く、頭を垂れた。


「……セラフィオス。長い間、世話になった。

 色々あって、あなたへの態度を改めざるを得ない場面もあったけれど――

 それでも、僕を一王子として尊重してくれたことには、感謝している。」


 わずかに顔を上げ、真っ直ぐに相手を見据える。


「――もうすぐ、新しい時代がやって来る。

 その時が来ても、どうか変わらず女神の信仰を守ってほしい。

 王統が続くよう、聖女召喚の儀を維持してほしい。

 ……僕からの、最後のお願いだよ。」


「殿下……それは――」


 セラフィオスは言葉を失い、ただエリオットを見つめ続けた。

 やがて、静かに深く首を垂れる。


「……わかりました。殿下とのお約束、このセラフィオス、命ある限り守り抜きましょう。

 そして、後進にも、肝に銘じて受け継がせます。」


 わずかに声を震わせ、しかし最後は穏やかに微笑んだ。


「――ですが、殿下は、まだお若いのです。

 そのようなことを、お口にされませぬよう……。

 このセラフィオス、殿下の無事のご帰還を、心よりお待ちしておりますぞ。」


 セラフィオスの言葉に、エリオットは微笑んだまま何も答えなかった。

 ただ黙って立ち上がり、ゆるやかに防音の魔法を解除する。

 応接室の静寂に、再び外界の音が流れ込んだ。

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