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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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50 遺跡へ

 遺跡への遠征には、エリオットとファナ、王太子レオナルトと聖女リリス――二組の王子と聖女に加え、王太子付き近衛騎士団から選りすぐられた十二名が随行することとなった。

 馬車は、王子たち用に一台、侍従や侍女たちのためにもう一台。騎馬は十二騎が伴走する。

 目的地のカル=ゼフ遺跡は、王都から馬車で半日ほどの距離にあるラセド村の外れに位置しており、近隣にはヴォルステッド侯爵の居城が構えていた。

 一行は数日、その侯爵家に逗留する予定である。


 ヴォルステッド侯爵は、穏健派の重鎮として知られる初老の男だ。

 神殿に多くの親族を送り込み、女神への信仰も厚い。そんな彼にとって、王子と聖女が二組も自領を訪れるなど、まさに神意そのもの。

 それが、魔物の出現によって観光地としては廃れてしまった遺跡の“魔物討伐調査”という、彼の領地にとっては願ってもない名目となれば――なおさらだ。

 侯爵は、間もなく家督を継ぐ予定の令息とともに、地に額を擦りつける勢いで一行を出迎え、感涙のあまり溺れかねないほどの歓待を予告しているという。


「ふぅ……」


 王太子専用の大きくて豪奢な馬車の中で、リリスは何度目かのため息をついた。


「大丈夫ですか?顔色も悪いみたいですし……」


 向かいに座ったファナが心配そうにうかがう。


「ええ、ちょっと酔っちゃったみたいで……私、王都から出るの初めてで、昨夜は緊張してよく寝られなかったんです……そのせいかもしれないわ。」


 リリスが弱々しく言うと、隣に座っていたレオナルトが彼女を抱き寄せる。


「無理するな。横になって、少し眠ってもいい。」


 彼は言って、自分の膝をたたいた。


「えぇ……そこまでしていただくわけには……」


「ダメです、具合の悪いときは、遠慮しないでください。レオナルト様が良いっておっしゃってるんだし、私たちだって気にしませんから。」


 遠慮したリリスに、ファナは心底心配そうに言い含める。


「じゃあ……お言葉に甘えて……」


 リリスは観念して上半身を横たえると、頭をレオナルトの膝に載せて目をつぶった。


「やっぱり、僕たちは別の馬車で来た方がよかったんじゃないかな……」


 エリオットがボソッとつぶやくと、レオナルトが首を横に振る。


「いや、馬車が三台も連なったら、大げさすぎる。

 王子と聖女がそろって動いていると知られれば、民は不安になる。

 この遠征は、儀式ではなく任務だ。だからこそ、慎重に、簡素でなければならない。」


「……確かに……」


 エリオットは少しだけ面白くないような、悔しいような、そんな声色で答えた。


 王子二人のやり取りを、ファナとリリスはほほえまし気に聞いていた。



 リリスの体調がすぐれなかったため、行程には度々休憩が設けられた。

 休憩の度に、リリスの侍女ミーナが心配そうに彼女に付き添い、ファナのためについてきた侍女もそろって介抱していた。


 本来の予定だと、昼過ぎにはヴォルステッド侯爵の居城に着く予定だったが、結局夕方になってしまった。

 もちろん、レオナルトは、遅れるとわかった時点で騎士の中から早馬を出している。




「で、明日からどうする。」


 一人掛けの椅子で足を組み、くつろいだ服装のまま、レオナルトが切り出した。


 侯爵の歓待を受け、晩餐も終えた四人は、レオナルトの客間に集まっている。


「騎士たちには、遺跡周辺の警戒と調査を任せよう。中に入るのは、基本的に僕たちだけにした方がいいと思う。」


 エリオットの言葉に、リリスが少し不安げに眉をひそめた。だが、口には出さなかった。


 代わって、レオナルトが口を開く。


「それは――遺跡にある情報が、最高レベルの秘匿情報である可能性が高いからか?」


「ああ。最悪、王国の根幹すら揺るがすかもしれない。」


「……だとしても、俺たち四人では、あまりに脆弱だ。」


 レオナルトの目はまっすぐだった。王太子としての責務の重さが、彼の警戒心を強くしていた。


 エリオットは静かに首を振る。


「ファナは、攻撃魔法を覚えた。しかも、複数属性を自在に扱え、対象も細かく制御できる。

 判定の儀の後、セラフィオスが言ったんだ――“太古の世界を統べたルミナドラゴン”や、“八百年前に姿を消したエルフ王女アレヴィシア”と並ぶ存在だと。今はあの時よりもさらに強くなっている可能性すらある。」


 そこで一度、言葉を区切ってから、エリオットは続けた。


「それほどの力を持っていても、まだ心配だと言うなら……たぶん、それは戦力の問題じゃなくて、僕たちの信頼の問題だよ。」


「……セラフィオスにそこまで言わしめたのか? 本当に?」


 レオナルトは信じられないというように、のほほんと微笑むファナを見つめた。


 エリオットは、その視線の先を追うように静かに続ける。


「本当だよ。……しかも、それだけじゃない。前に少し話した“女神の構文”の件、覚えてる?」


「ああ。お前が、女神から魔力を借りていない……という話か?」


「うん。それには理由がある。……契約の儀の直前、僕は――ファナを再編成してしまうことが、どうしても惜しくなったんだ。」


 静かに語りながらも、エリオットの目には奇妙な光が宿っている。


「ファナの魔力は、僕たちが使う術式のそれとは、根本から異なっていた。

 再編の過程で無自覚に壊してしまったら、きっと二度と戻らないと……そう思ったんだ。」


 レオナルトが息を呑んだのを感じながら、エリオットは淡々と続けた。


「だから僕は、持てる限りの知識と技術、そして――神殿の神官たちの目すら欺く術式で、すべてを解除した。

 契約の枠ごとね。ファナの身体を保ったまま、僕との魔力だけを常時接続する構造に書き換えた。

 “王子が死ぬ”という強制運命さえ、女神ごと騙したんだ。」


「……!」


「結果、僕は女神の構文を失った。けど代わりに、ファナの構文を得たんだ。

 たぶん今の僕は、ファナの魔力に無制限にアクセスできる。抑えなければ、王都どころか、大陸全土を制圧できるくらいにはね。」


 そう言って、エリオットはほんの少し笑った。まるで天気の話でもするかのように。


「――しないけど。僕は世界より、ファナの笑顔がほしいから。」


「では……ファナ様は、再編成を受けていないと……それって、赤ちゃんはできないのでは?」


 リリスが驚きを隠さずに問いかけると、エリオットは静かに首を横に振った。


「そうかもしれないね。でも――それでもいいと思ってる。

 彼女の外見は、少なくとも今のこの世界の女性と大きくは変わらない。だから、できたらいいな、くらいの気持ちでいるよ。」


「ファナ様は、それで……いいんですか?」


 今度はリリスがファナに向き直る。問いかけに、ファナは微笑みながら答えた。


「はい。子どもは授かりものですから。」


「――二人がそう思っているのなら、それでいいんじゃないか。」


 リリスの言葉を遮るように、レオナルトが言った。


「でも――」


 さらに何か言いかけたリリスを、レオナルトは軽く手で制して続ける。


「……ある程度は、お前たちを信頼しよう。だが、完全に丸腰というわけにもいかない。

 二名。二名だけ騎士を連れていく。重要そうな場所や部屋に差し掛かったら、外で待機させる――それなら、どうだ?」


「うん、それならいい。」


 エリオットは頷いてから、少し真顔でたずねた。


「遺跡周辺って、大体どのくらいの強さの魔物が出るか把握できてる?」


 レオナルトは腕を組んで、眉間にしわを寄せた。


「それがな……少し妙なんだ。お前から遺跡の話が出てすぐに、偵察部隊を先行させたんだが、

 中も外も、出てくる魔物は低級からせいぜい中級程度。危険と言えるようなものは確認されていない」


「それは……確かに妙だね」


 エリオットが少し首をかしげる。


「たしかカル=ゼフ遺跡って、観光地として廃れた理由が――伯爵令息とその婚約者が重傷を負ったから、だよね?

 魔法をまったく使えない平民ならともかく、伯爵家の人間がそこまでの怪我をするなんて、ちょっと考えづらい。

 それに、そこまで強くない魔物しかいないのに、侯爵が十年も放置してたっていうのも――変な話だよね?」


「ああ、その点は、さっき侯爵にも訊いた」


 レオナルトは少し声を潜める。


「曰く、伯爵令息が重傷を負ったという話を聞いて、ボス級の高位魔物でも潜んでいるのではないかと恐れて、それ以上深入りしなかったらしい。

 しかもあの遺跡は、ガルナシオン王朝の終末期に築かれた、女神に見放された者たちの旧跡だそうでな。

 侯爵のような信心深い者にしてみれば、そんな“不浄の地”を観光資源にするのは気が進まなかった――と、そう言っていた」


「……まあ、信仰心篤い穏健派の卿なら……さもありなん、か」


エリオットは顎に指を当て、考えるように呟いた。


「ま、行ってみればわかるでしょう」


話はここまで、とばかりに、エリオットは椅子から立ち上がった。ファナもそれに倣って立ち上がる。


「では、また明日……」


リリスが小さくあくびをして、少し眠そうに言った。



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