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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第四章

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49 花は舞い、風は止む

 セレノア宮の昼下がり、中庭でファナは魔法の練習をしていた。


 ミルドアとの面会から数日。彼が示した遺跡──カル=ゼフ遺跡への探索計画も、着々と整いつつあった。


 遺跡探索にはエリオットたちだけではなくレオナルトと騎士団の精鋭部隊も同行することになった。

 百年ほど前に王都の東方に位置するラセド村の郊外で発見された『カル=ゼフ遺跡』は、かつては観光地として栄えていたが、現在は訪れる者も稀である。

 十年ほど前から周辺の森で魔物の発生が相次いでおり、伯爵令息とその婚約者が襲撃され、命を落としかけた事件が決定打となった。以後、村は人の足もまばらになり、今ではすっかり忘れられた地となっている。


 そんな場所に赴くことが決まり、ファナは攻撃魔法も習得しようと張り切ったのだ。

 先日はお茶をしにやって来たリリスから、貴族令嬢たちが身に着けている優雅で美しく、且つ実用的な魔法をいくつか教わり、自分なりに精霊魔法に落とし込んだ。


  この国の貴族令嬢たちは、飾りではない。己の領地を守るため、父兄や夫とともに並び立ち、魔物や他国の脅威にも立ち向かう。

 貴族のみが強力な魔力を持ち、魔法を行使するこの国では、それが貴族たる矜持だと、リリスは語っていた。


「《花よ舞え 炎よ踊れ》」


 右手で花吹雪を出しながら、左手でそれらに火の属性を纏わせる。

 はらはらと舞い散るそれは、対象物に触れると爆発し燃え上がる。

 問題は、ファナ自身がまだ魔物と対峙したことがないという事だったが――


「すごくきれいな魔法だね」


 彼女の背後にある建物の日陰に座り、ミルドアから渡された本を読んでいたエリオットが声をかけた。


「まるでファナが炎の化身になったみたいだ。」


「ふふ、ありがとうございます。まあ、あんまり威力はないんですけどね……目くらましにはなるかと……」


「十分だよ。土魔法の花吹雪に火属性が纏ってあるように見えるけど、聖属性の浄化魔法も混ざってるでしょ。魔物にはよく効くと思うよ?」


 ファナは彼のいる日陰の方へと入ってゆく。


「エルはどうですか?ミルドア氏から頂いたその本、ずっと読んでいますね。」


「うん……、ハ百年も前の人が、こんな面白い洗練された魔術を使っていなんて、知らなかった……僕はずっと現代の最先端の術式理論を探求してきたけど、驚かされるばかりだよ。

 古代の視点から見れば、現代の魔術は、構文至上主義というか、術環至上主義というか、非常に専門化が進んで特化されていて、合理的ではあるんだけど、本来の魔術はもっと自由なものだったんじゃないかって……ね。」


「その本には、今使われている魔法よりも、もっと昔に使われていた魔法が書かれているんですね?」


 ファナがエリオットの隣に腰を下ろしながら言うと、彼は軽く首を振った。


「いや、この本自体は、むしろ現代的な術式の有用性を説く内容なんだ。

 構文化された魔術体系の整合性や再現性を重視する立場で書かれていて、

 ガルナシオン朝の魔術形態は、どちらかといえば時代遅れのものとして批判的に扱われている。」


 ページをめくりながら、彼は続けた。


「でもね――だからこそ、どんな魔法を著者が“否定したのか”という視点で読むと、むしろ当時の主流が浮かび上がってくるんだ。

 間接的だけど、すごく興味深いよ。」


「その……昔の魔法は、私の魔法に似ていますか?」


 ファナは、自分の手のひらに浮かぶ術環と、本のページを見比べながら尋ねた。

 エリオットは少し考えてから、首を横に振る。


「ううん、全然違うかな。僕も最初は意外だったんだけどね。

 古術式学って、今は精霊魔法の流れに近い研究が多いから、てっきりガルナシオン時代の魔法も、精霊との共鳴を基盤にしていたと思ってたんだ。」


 ページを指でなぞりながら、彼は少し眉をひそめた。


「でもどうも違う。確かに、自然の力とか精霊的な存在を“利用”してはいるみたいなんだけど……ただの魔力源として扱ってるというか。

 魔力を、何か“与えられるもの”じゃなくて、“掘り出す資源”みたいに捉えてる感じがあるんだよ。」


「掘り出す……資源?」


 ファナが不安そうにエリオットを見ると、彼は本を閉じ、小さく息を吐いた。


「ああ、この時代は、魔石を使って魔力を蓄える技術が発展していたらしくて……それが、魔力を“資源”と見なす思想に拍車をかけたんだと思う。」


 エリオットは本をわきに置いて、ファナの肩を抱き寄せながら言う。


「この本の著者――オルディウスって人なんだけど、彼はこう書いてる。

 “精霊や自然から魔力を奪い続けるだけでは、いずれ彼らは疲弊し、世界の魔力は枯渇する。

 だからこそ、術式や構文によって運用と制御を徹底すべきだ”って。

『術式魔法研究学会』の名簿を見直したんだ。最初のページ、五番目に“オルディウス”の名があったよ。生年も没年も記されていなかったけど、入会年は設立と同じだった。

 この本の内容から考えると、現代術式は、術環も含めて彼が設計し体系化したんじゃないかとすら思うよ。」


「でも――オルディウスという人も、あくまでも魔力は資源である。という考え方なんですね。」


 ファナはエリオットを見上げて少し悲しそうに言った。


「そうだね。

 ファナの魔法は……実際に一緒に使ってみて、僕も驚いたよ。」


 彼は一度目を閉じて、思い出すように微笑んだ。


「あの時、一緒に風を起こしたでしょ? 後から分析してみたけど、あれは精霊から魔力を“借りる”んじゃなくて――まるで、一緒に音楽を奏でるみたいだった。

 共鳴し合って、魔力が“増えていく”ような感覚だった。」


「そうですね。私が魔力という存在をすぐに理解できたのも、

 元いた世界で精霊と対話し、共に生きる“カムナギィの祈り”に、思想的にとても近い部分があったからだと思います。

 人も、精霊も、自然も――すべては、大きな円環の上を巡っているにすぎない。

 今この瞬間は、一方的にもらっているだけに見えるかもしれない。

 けれど、長い目で見れば、私も“与える存在”になれる。

 ……それを、自覚することが大切なんです。」


「……それが、君の信じる“魔法”なんだね。」


 エリオットは嬉しそうに微笑みながら、ファナの唇にそっと自分の唇を重ねた。

 昼下がりの中庭は、温かい日差しでいっぱいで、鳥の鳴き声が響く。

 少し上気した二人の頬を涼しい風が撫でていく。


 穏やかな口付けをそっと解いて、エリオットはファナの目を愛おし気に見つめながら髪を撫でた。


「愛に――似てるよね。僕は今、こうやって君の唇を奪った。だけど、僕の心はずっと君に奪われ続けてる。僕は君に愛を捧げ続けているつもりで、君から愛をもらい続けている。

 そして――これは、いくら奪っても奪われても、捧げても受け取っても、減って無くなるどころか、いくらでも湧いてくるんだ……」


 幸せそうに緩んだエリオットの顔に、今度はファナが顔を近づける。


「そうですよ――、愛とは与えても与えてもなくならない。精霊や神との繋がりだって同じなんです。

 祈っても祈っても、信仰と崇敬は減ることなく、呼応と共鳴により増えるばかりです。

 きっと、精霊魔法の原理も、そんな感じなんじゃ無いでしょうか?」


 言ってから、ファナは自分の唇をエリオットの唇に重ねる。

 エリオットは嬉しげに彼女を受け入れ、受け入れるだけでは足らなくて、深く求める。

 鼓動が速くなり、息が上がるまで口付けて、それでもふたりは名残惜しげに唇を離した。


「つまりは、純粋な精霊魔法ってさ、わずかな魔力を、何も無いところから、精霊と協力して増幅するってことなのかな?その鍵が術者の心の動きって、なんて不確かなんだろうね。」


「私にしてみれば、魔法自体がまさにそんな感じですよ?何も無いとこから、見えないよく分からない魔力で、現実世界に影響を及ぼすんですもの。」


 ファナがおどけたポーズで笑うと、エリオットも笑う。


「そうか、君の世界の人から見たらそうなんだね。面白いなあ。

 今気づいたんだけど、僕たちの魔力共有や、君の刺青の回路による魔力増強ってさ、還元式で無限になるなら……すごいことだって思わない?

 現に、今君は女神の範疇外で魔力を伝説級の強度まで増強させてるんだし、なんかやろうって思ったらできるような気がしないでもなくはない……」


「はは、でもそうしたら、私、人ではいられなくなりそうです」


「人ではないって……女神とか?もし君が女神になったら、僕は一番最初の一番篤い信仰者になるよ。

 永遠に君を信仰する。たとえこの身が朽ちたとしても、君への信仰が無くならないように、教団を組織して、すごい神殿を打ち建てる。」


「それは、嫌ですねぇ……私、祭り上げられたくなんかないです。それより、こうやってエルとおしゃべりしたいし、触れ合っていたい。口付けだって……」


 ファナが頬を染めて言うと、エリオットは再び軽くファナに口付ける。


「僕だっていやだよ。君を遠く女神へと祭り上げて、自分は祭壇の前に膝まづくなんて、身を切られるようにつらい……僕だって、君とは触れ合える関係でいたい。」


「そういえば、エルは、その本の著者をエルが今使っている魔術や、この術環を設計した人じゃないかって言ってましたが……その本に『女神』やそれに準ずる存在は出てきましたか?」


 ファナが言うと、エリオットはハッとした顔をして、内容を瞬時に思い出す。


「出て……こなかった。全く出てこなかったよ。この時代、女神は影も形もなかった。まあ、女神が接触したとされてるのはヴァルトリア朝の初代国王だから、ガルナシオン時代にはまだ顕現しなかっただけか、あるいは――」


「あるいは?」


「『女神』ではない、別の名で呼ばれていたか……」


 風が止み、木々の枝が、さざめきをやめた。

 ふたりを包む午後の日差しは、すでに夕方の色を帯びている。


 遠くで、鐘の音が一つ鳴った。


「遺跡に……答えがあるといいですね。」


「そうだね。」


 さっきまでさえずっていた小鳥たちが、空高く舞い上がり、巣へと帰ってゆく。

 二人はしばらくそのまま、色を変えてゆく空を眺めていた。

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